政策提言的ポイント
- 維持できない地域・インフラを特定し、撤退の順番を決める。
- 水道、ごみ収集、道路維持などの行政サービスを人口ではなく世帯ベースで再設計する。
- 人口増加策から「縮小管理政策」への転換-縮小をどう管理するかに政策目的を置き、持続可能なサービス提供を優先する。
- コンパクトシティ政策を抜本的に見直す。
- 地方交付税・基金を再編促進に活用する。
- 空き地・空き家を戦略的に緑地へ転換する。
人口減少の議論は、たいてい一つの数字から始まる。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の推計では、2070年の日本の人口は8,700万人になると見込まれている。2020年の約1億2,600万人から、ほぼ3割減るとの推計は正しいものの、政策的な観点からはほとんど役に立たない。
全国で3割という平均は、どこがどれだけ減るかを語らない。自治体が決めなければならないのは、どの小学校を閉じるか、どの水道管を更新せずに手放すか、どのバス路線を残すかである。いずれも、数百メートル単位の問いだ。
私たちは、この解像度で将来を描いてきた。全国を500メートルのグリッドに分け、国勢調査と衛星観測データを機械学習でつないで、2100年までの人口・世帯・納税者数・所得を予測する。RIETIには、すでに同じ方向の研究がある。森知也・村上大輔は集積理論に基づく空間統計モデルで1kmメッシュの分布を2200年まで予測し、都市の数が2020年の431から2120年に269へ減り、人口10万人以上の都市は83から約40になると示した。出発点は違う。森らは理論に根拠を置く統計モデルのアンサンブル、私たちは衛星データと深層学習だ。それでも二つの解像度で同じ方向の地図が出てくる。方法の違う予測が同じ絵を描くことは、心強い。
結論から書く。減るのは人口だが、変わるのは地図である。
人口は9,000万人台で下げ止まり、世帯は1.39人になる
予測の基礎になる500メートル格子の人口データベースは全国155万3,024セルを覆い、精度は約92%である。その上で300万を超えるパラメータの深層学習モデルを走らせると、平均精度は99%を上回る。日本の人口は2055年前後に1億人を割り、2070年に9,050万人となったあと、下げ止まって世紀末にわずかに戻る。社人研の8,700万人より、やや緩い経路だ。
だが政策にとって重要なのは総数ではない。同じ予測で、平均世帯人員は2020年の2.26人から1.39人まで下がる。人口が3割減っても、世帯の数はそれほど減らない。水道の引き込み口、郵便受け、ごみの集積所、除雪の対象区間——行政の費用は世帯の数と、管路や道路の延長で決まるのであって、頭数で決まるのではない。人口が減るほど、1人当たりの維持費は上がる。
そして、人の住まないグリッドが全体の半分を超える。居住が消える範囲は、人口の減少率よりも速く広がる。外国人住民は人口の6%を超え、3,000を超えるグリッドでは多数派になる。森・村上の予測では住宅地価が2120年までに全国平均で24%下落し、東京では48%下がる。空くのは辺境だけではない。
ここで一つ断っておきたい。英サウサンプトン大学のWorldPopは100メートル格子の人口データとして広く使われているが、あれは国勢調査の数を空間に案分して現在を推定するもので、長期予測ではない。2025年のFuturePopは2100年までの1km格子を出すが、各国のSSP人口見通しを空間に割り振るダウンスケーリングであり、不確実性の幅も付いていない。そして、解像度が上がれば精度が上がるわけでもない。小規模地域人口予測のレビューは、この分野の方法論が全国予測に比べて貧弱で、誤差を定量的に報告した研究自体が少ないと指摘する。世界を1km格子で予測した研究でも、検証時の地域別の誤差は5.5%から59.7%まで広がる。高解像度予測は、個々のマスを当てる道具ではない。どのマスから順に空くのか、その順序を読む道具である。
払う人が減り、1人当たりは豊かになる
同じ枠組みを財政に当てはめた。全国1,896都市の納税者数と総所得を2100年まで予測すると、納税者数は14.52%減る。ところが総所得はむしろ5.21%増え、平均所得は23.07%上がる。都市別の予測でも、大都市圏は全国の高齢化傾向にあらがう一方、遠隔地域は急激に落ちる。
この組み合わせは直観に反する。縮小社会の財政問題は「みんなが貧しくなる」ことではない。払う人が減り、1人当たりは豊かになり、その分布が極端に偏る、ということである。総額だけを見ていると、何も起きていないように見えてしまう。
では人を集めれば所得は上がるのか。近藤恵介の分析はそう単純ではないと言う。500メートルメッシュの内側では、雇用密度は賃金に有意に正だが、人口密度は有意に負である。半径8kmまで広げると両者は一致する。近接の単位で効いているのは、人の密度ではなく仕事の密度だ。何が失われるかについては森・小川の分析が明快で、産業は都市規模に応じて入れ子状に立地し、産業ごとに必要な最小人口があるため、2010年代に最小規模の都市は産業の約20%を丸ごと失い、最大都市はほとんど失わなかった。縮小は各地で少しずつ薄くなるのではなく、下から順に階層ごと抜け落ちる。
制度のそのものにも、縮小を遅らせる仕組みがある。佐藤主光が指摘するように、地方交付税は小規模で供給費用の高い自治体ほど多く配分されるため、「小さいままとどまる」誘因が働く。予測が示しているのは、負担の総額ではない。負担の配置である。
立地適正化計画は、まだ効いていない
日本にはすでに制度がある。立地適正化計画は2024年3月末時点で568市町村が作成・公表し、747市町村が取り組んでいる。都市計画区域をもつ1,374市町村の半分を超えた。数の上では、普及した政策である。
効いているかは別の問題だ。国土交通省自身が2024年3月の検討会に出した資料は、評価指標の欠陥を率直に並べている。主要指標である居住誘導区域内の人口の割合は、密度が下がっていても改善したり横ばいになったりする。高齢化した地区の自然減だけで、計画が機能していても指標は悪化しうる。市街化区域の全域を居住誘導区域に指定した計画もあり、そこには20年で人口が約2割減ると見込む都市も含まれる。同省の結論はこうだ——評価基準はなお検討中であり、効果は標準化された形では確認されていない。
独立した評価も、今のところ肯定的ではない。中小都市の短期効果を推定した研究は、計画の策定が人口動態をより負の方向に動かしたことと関連し、自治体間の純移動には頑健な効果が見られないと報告している。代表例の富山市についても、岩田真一郎・近藤恵介は、既存小売事業所の雇用と売上は長期では増えるが、生産性を高める正のスピルオーバーは現行の枠組みでは生じないとする。近藤・大久保の分析では、中心市街地活性化政策は県庁所在地級の地方中枢都市では効くが、それ以外の都市では有意な効果がない。森はコンパクトシティ政策は持続可能性の閾値(しきいち)である人口約10万人を下回る都市では機能せず、インフラはスケーラブルに、地域政策は行政単位ではなく経済単位で組むべきだと述べている。
これは「コンパクトシティが間違っている」という話ではない。近藤が早くから論じているように、これは集積の便益を取る政策というより、公共サービスを持続的に賄うための「財政的コンパクト化」であって、手段であり目的ではない。効く場所と効かない場所があり、現在の指標ではその区別がつかない。それが問題なのである。
空いた土地は、負債ではなく資本にできる
縮小の議論は、たいてい失うものの話で終わる。だが予測が示す「空くマス」は、放っておけば空き家と管理されない土地になり、使い方を決めれば緑地へと生まれ変わる。予測が示す未来をどちらに導くかは、結局のところ政策次第である。
私たちはRIETIのディスカッション・ペーパーで、緑と開発の適量を推定した。ランダムフォレスト(精度81.83%)によれば、ウェルビーイングから見て望ましい緑化度はおおよそ10.91%から32.99%の範囲にあり、緑化度1%ポイントの平均価値は約3,352米ドルに相当する。その後の空間機械学習では、地域の植生指数が1%ポイント上がることは379.01米ドルの価値に当たり、夜間光が1単位増えることはマイナス1,434.59米ドルに当たった。重要なのは、この関係が場所によって大きく違うことだ。緑化の全国一律の基準は、この結果と整合しない。
健康と行動についても、同じ手法で測ってきた。世界の調査データで自然の土地被覆からメンタルヘルスを説明する精度はランダムフォレストで67.59%、最小二乗法では42.66%であり、人口密度の高い地域では農地・森林・水域がよい精神的健康と結びつく。気温との関係は逆U字で、平均の極端な上昇よりも季節変動の極端な拡大のほうが大きなリスクになる。東京では気温が1度上がることが、徒歩と自転車の46万6,851人回の減少と結びついていた。地域への愛着と住みやすさが環境行動にどう結びつくか、就業形態の異なる世帯が人口減少の世紀にどう分布するかも、別稿で扱っている。ただし誠実に付け加えると、土地被覆の分析で効果量が大きいのは土地被覆以外の変数であり、各類型の寄与は1.50%から2.23%にとどまる。緑の効果は実在するが、決定的ではない。
国際的な証拠はもっと直接的だ。フィラデルフィアでは、空き地541区画を110クラスターに分けた無作為化試験が行われた。緑地化した区画の周辺住民は、何もしなかった区画の周辺と比べて「気分が落ち込む」と答える割合が41.5%低く、貧困線以下の地区では68.7%低かった。ごみを片付けただけの区画では有意な変化が出なかった。効いているのは清掃ではなく緑化である。費用も分かっている。1区画の緑地化は初期費用約1,597米ドル、年間維持費約180米ドルで、初年度の便益費用比は納税者から見て26倍と推定された。ただし便益の大半は銃器による暴行の減少であり、内訳はそのまま日本に移せない。移せるのは費用対効果の構造のほうだ。同じ研究で、空き家・廃屋の解体と補修は1件あたり約2,550米ドルかかり、納税者から見た便益費用比は5倍にとどまる。空き地を緑地にするほうが、安くて効きがよい。
暑さについては、より移しやすい推計がある。欧州93都市の健康影響評価では、ヒートアイランドが夏季死亡の4.33%、約6,700人の早期死亡の原因となっており、樹木被覆率を30%まで上げれば都市は平均0.4度冷え、2,644人の早期死亡を防げると推定された。なお公園の冷却効果は日中0.97度・夜間1.15度と統合されているが、街路樹や屋上緑化では統合推定ができていない。「木を植えれば何度下がる」という一つの数字は、まだ存在しない。
そして、緑が増えれば幸福になるという話でもない。私たち自身がRIETIの全国調査で確かめたところ、縮小地域から成長地域への移住は雇用・賃金や育児・介護の満足度を有意に高めたが、成長地域から縮小地域への移住で期待された環境・安全・コミュニティーの満足度の向上は観察されなかった。地方には、自然環境へのアクセスの基盤が足りていない。基盤のない緑は、ただの空き地である。
たたむ順番を、先に決める
縮小を空間的に管理する手段は、すでに国際的に試されている。重要なのは、どれも万能ではなく、失敗の記録まで残っていることだ。
計画的な減築ではドイツの東部都市改造が最大の実例である。2014年までに連邦と州で約29億ユーロが用意され、483市町村が事業の対象となった。2001年から2014年に新連邦州と東ベルリンで約34万戸が解体され、その約9割がこの事業による。東部の中核都市の空室率は2011年に8.0%まで下がった。記録されている失敗は解体そのものではなく、都心部に散在する古い建物の在庫が放置され、空室が団地から古い市街地へ広がったことだった。日本の空き家問題は、まさにその散在部分である。減築は集合住宅には効くが、散らばった空き家には効かない。日本が最初に手を付けるべきは、ドイツが最後まで手を付けられなかった課題だ。
ランドバンク(土地銀行)は評価が分かれている。デトロイトの「Detroit Future City」は、インフラ網の容量を需要に合わせて適正化し、維持管理の水準をゾーンごとに変えると明記した最も踏み込んだ計画文書である。だが五つのランドバンク事業を比較した研究では、競売による売却が周辺地価を緩やかに上げた一方、解体した区画は周辺地価を一貫して下げていた。さらに、この計画が「イノベーション・ランドスケープ」として再編の対象に挙げた地域は、市内で最も不利な立場にある、主に黒人の住民が多く住む地域であり、そこからサービスを引き揚げれば住民をさらに周縁化しかねないと批判されてきた。「どこを縮小するか」を決めることは、「誰のサービス水準を落とすか」を決めることである。この等式を先に示さない縮小計画は、あとで必ず行き詰まる。
逆に、人を呼び戻す戦略の評価ははっきりしている。オランダの環境評価庁の検証は、住宅供給を軸に減少と「戦う」戦略がおおむね無効だったと結論した。縮小は続き、新しい住宅は主に同じ地域の他の自治体から住民を引き抜いただけで、空室の増加、売却期間の長期化、価格の下落を招いた。彼らが有効だと見たのは、隣接自治体が住宅計画を競わないよう広域で調整することだった。合併も同じで、各国の研究をまとめたレビューでは、節約効果は一般管理費に集中し、サービスの質はあまり変わらず、地方民主主義の質はむしろ下がる傾向がある。日本では、合併相手のうち最大でなかった自治体で人口成長への負の影響が観察された。規模の小さい自治体が費用を負っているのだ。
撤退の実務には規模の逆説がある。米国で1989年から2017年に連邦が資金を出した自主的買い取りは4万3,633件あったが、郡の単位で見ると、買い取りは所得も人口も多い郡に集中していた。行政の実行能力の効果である。その郡の内側で見ると、買い取られた地区は所得が低く、密度が低く、学歴が低い。最も撤退が必要な小規模自治体には撤退を組織する力がなく、組織できる自治体では最も貧しい地区から順に動く。日本の集落再編にそのまま当てはまる構図だ。制度としての踏み込みでは韓国が先に行っており、2026年10月の再指定で人口減少地域は92市郡区となり、年間1兆ウォン規模の地方消滅対応基金が地域の事情に応じて配分される。日本にも過疎地域の指定と地方債による財源措置がある。問われているのは制度の有無ではなく、その財源が「どこを残すか」の順序づけに結びついているかどうかである。
最後に、エビデンスの効き方そのものについて。伊芸研吾らがRIETIで自治体職員に行ったコンジョイント実験は、「近隣自治体が実施しているか」が首長の意向や議会・住民の反応と同程度に効く一方、「効果がある」というエビデンスの影響は相対的に小さく、「効果がない」というエビデンスの負の影響だけが非常に大きいことを示した。この非対称性は、高解像度予測の役割を言い当てている。予測が政策を動かすとしたら、それは「こうすればうまくいく」と示すからではない。「このままでは維持できない」ということを、場所を特定して示すからである。500メートルの地図は、希望を配る道具ではなく、どの約束がもう守れないかを名指しする道具だ。だからこそ、将来予測を提示する者には精度と限界を同時に示す責任がある。グリッド単位の予測は外れる。私の研究室が公開してきた予測も例外ではない。外れることを前提に、どの決定を先に固め、どの決定を後に回すかを設計しなければならない。
縮小社会で決めるべきは、どこを残すかではない。空いた場所を、誰のために何に使うかである。