今夏から最高気温40度以上の日が「酷暑日」と定義された。気候変動リスクはもはや遠い未来の話ではない。熱中症による労働生産性の低下は、企業の日常的な業務運営を直撃する現実の脅威となっている。
実際、人の移動データを空間単位で分析すると、気温が1度上昇するだけで東京都心では約40万人の外出行動が失われている。すでに可視化できる経済的損失が生じている。
加えて、地政学的な混乱に端を発した化石燃料の供給不安は経済安全保障の観点からもエネルギー構造の転換を迫っている。
気候変動に関心が高まる今、経営者や政策立案者が持つべき視座とは何か。それは環境への取り組みを「書類上の開示(たとえば欧州の企業サステナビリティー報告指令=CSRD)」で済ます段階の卒業だ。
財務への実質的なリスクを先読みし、自らサプライチェーン(供給網)を動かす――。自律・行動型のサステナビリティー経営がいま求められている。開示はゴールではなく、あくまで出発点にすぎない。
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国連は次世代の持続可能な開発目標(ポストSDGs)の核心として、国内総生産(GDP)を超えた豊かさの指標を策定中だ。これに関連するグローバルな動きも始まっている。
長年、経済の豊かさは1年間に生み出された価値のフローとしてのGDPだけで測られてきた。しかし気候危機や生態系の破壊が深刻化する今日、国や企業の真の持続可能性を評価するには不十分となっている。
物的資本(インフラ等)、人的資本(健康・教育)、自然資本(森林・水・資源等)という3種類のストックを合算した「新国富指標」、すなわち「豊かさの総合評価(Beyond GDP)」の視点が欠かせない。
5月に提出された国連報告書でも、この指標は「持続可能性とレジリエンスの指標」として正式に位置づけられた。
GDPが「今期の売上高」に相当するなら、新国富指標は「企業の純資産」に相当する。売り上げが伸びても資産を食い潰しているなら経営は持続しない。
同じ論理は国や地域にも当てはまる。森林を伐採して収入を得ても、自然資本が消えれば長期的な富は減少する。GDPはその関係を見えなくしてしまう。
世界38カ国・地域を対象に実施した筆者らの研究では、企業の株価に対し、その企業が立地する地域の人的・自然資本の豊かさが正の影響を持つことが判明している。つまり地域社会の健康や健全な生態系を支える投資は、長期的には企業価値を高める効果がある。
逆の例もある。2020年、英豪資源大手リオ・ティントは豪州の鉄鉱石鉱山の拡張に伴い、先住民の文化遺産を含む自然資本を破壊し、国際的な非難を浴びた。合法的な開発だったが、その経営姿勢は機関投資家の反発を招いた。
結果として同社の株価は下落し、経営陣は引責辞任に追い込まれた。この事例は自然資本の毀損が単なる評判の低下にとどまらず、企業価値を根底から揺るがすリスクへと変貌したことを示している。
企業は具体的に何をすべきか。まずは将来のリスクを評価するための予測技術に着目すべきだろう。
我々は独自の生成AI(人工知能)を活用し、世界で最も細かい空間単位(5キロメートル四方)により、2050年までの月次気温や人口動態を予測するシステムを構築した。
これにより5〜20年後の夏の暑さや人口の増減を地域ごとに把握でき、インフラ計画や調達戦略の立案に活用できる。従来の気候モデルが国・地域単位の平均値を示すにとどまっていたのに対し、工場や物流拠点レベルで影響を推定できる点が決定的に異なる。
例えば国連の予測では、50年8月の気温は関東地域の平均として34.5度とまでしかわからない。一方、我々のシステムでは東京都中野区野方駅付近は40.9度とまで予想できる(図参照)。現実の意思決定には住所までわかるレベルが必要となるため、このような詳細化が大事である。
このシステムを使えば、自社サプライチェーンのどの地域が将来的に酷暑による生産性低下に直面するかを、具体的に特定することが可能になる。調達先のリスクを事前に地図に落とし込むイメージだ。
他方、欧州では企業サステナビリティー・デューデリジェンス指令(CSDDD)が法制化された。下請け企業にアンケートを配るだけの対応は不当な負担とみなされる。実態が伴わなければ偽りの開示(グリーンウオッシング)として制裁金の対象にもなり得る。
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日本企業にも対岸の問題ではない。求められるのは高精度なAI予測をリスク管理の基盤に組み込み、真にリスクの高い地域やサプライヤーを特定した上で、具体的な対話と改善を促す姿勢である。
自治体と企業が連携した排出枠取引の実践や、都市のウェルビーイングをデジタルで予測する「スマートシティー」の構築も各地で始まっている。これらは単なる環境対策ではなく、都市の競争力と住民の生活水準を左右する。
物理的な環境変化を客観的なデータとして把握し、人的・自然資本の増減を金額に換算して経営判断に反映させる。こうした予測・行動型の経営指標の確立こそが気候危機を突破し、「質的な成長(Quality Growth)」をけん引するための新たな針路になる。
こうした取り組みは決して大企業や大都市だけの問題ではない。人口減少の荒波に直面する地方自治体にこそ、極めて重要な問いを投げかけている。
我々は気候と同様に2100年までの人口を500メートル四方で予測している。その結果が示す未来は冷徹だ。日本国内のほとんどの地域で、人口は劇的に減少の一途をたどる。
この現実を前にしたとき、地方都市は自らの生存戦略として「頼るべきは自然資本しかない」という事実を、真正面から受け入れるべきである。
豊かな自然が残るからこそ、二酸化炭素(CO2)の排出量を可視化する「カーボンクレジット」や、海や里山が持つ生態的価値を可視化する「ネイチャークレジット」など新たな手法を利用して経済を循環させる道が開かれている。民間ベースではすでに複数の地域でクレジットの創出・取引が開始されている。
企業が自然資本の価値観に賛同し、地方創生に本気でコミットすることは、経済的な潤いをもたらすだけにとどまらない。その土地には新たな産業とコミュニティーが生まれ、次世代を担う「人」も育つ。自然資本の育成は人的資本の育成にもつながるのである。
GDPというフローの最大化を追い求めた20世紀型の経営から、人的・自然・物的資本というストックを育てる21世紀型の経営へ。この転換を先取りした企業と国家だけが、2050年の世界で真の競争力を手にするだろう。酷暑の夏は、その分岐点を私たちに突きつけている。
2026年7月29日 日本経済新聞「経済教室」に掲載