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総論

ここでは、報告書II「基本的な戦略」について、執筆者の村上敬亮情報政策課長補佐、森川毅情報経済課係長が解説します。ここでは、基本的に報告書第II部で論じている、戦略Iとしての、新しいイノベーションを核とした収益モデル構築への戦略、そして戦略IIとして、従来から強みを発揮してきた部分をどう伸ばしていくかについて、議論を進めていきます。

2004年12月23日 理屈・・

前回ご紹介した「意見のまとめ」は、Sebastianさんのご指摘にもあるとおり、あまり理屈を意識せずに、主な論点毎によく聞かれた意見を網羅的に整理してみたものです。不用意な持ち出し方をしてしまい、申し訳ございませんでした。
   ★ 議論をしているわけですから、ブログ外部のコメントを引用するにしても、せめて理屈をきちんと通すべき
というご指摘もそのとおりでしたし、もとより、Blogの議論の内容自体が
   ★ 収益力強化の「道筋」が明確にならない
   ★ 解説的・啓蒙的ではあっても、だから実行してみようと言う気にはならない
といったレベルにとどまっているとのご批判も、甘んじて受けざるを得ないところがあると思います。

しかし、開き直れば、
   ★ それだけ収益力強化の道筋を探すというテーマが難しい設定だ
ということになると思いますし、
   ★ 扱っているテーマが大きいので、どの点を取ってもなかなか積み上げによる議論の収束が難しい
ということでもあると思います。
そういってしまうとただの逃げになるので、今日は、「一つの理屈の整理としては、こんなことになるのではないかな、」と思って、整理してみました。

(また、今日は、それが何故、役所による「参照モデル」の主導という全体主義的なアプローチの提唱になるのか、という本音ベースの言い訳も少し混ぜてみようと思います(本当は、こういう本音トークは役経済産業省のクレジットの下で行っているブログにはふさわしくないのかもしれませんが・・・)

そもそも、このブログのレポートは、家電をネットワーク化しよう、という話と、家電産業の収益力強化を両立させようと言う目論見の元に始まっています。しかし、Sebastianさんのコメントを伺っていると、そもそもこの目論見こそ、甘い、という指摘にも繋がってくるように思います。何故かと言えば、
   ★ 全体最適と言えば聞こえは良いけれども、自分の利益を削ってまで全体のために協力する「ビジネス」なんて存在しない。
   ★ サービスから入ると言えば聞こえはよいが、使い手のリテラシーが前提になることを考えれば、
     村上が批判の対象にする技術シーズ志向のアプローチと結局同じことになるので、解がない。
     (まあ、この点は、結局どっちが先が正しいかではなく、創発性みたいなことに帰着するということだと思いますし、
     だからこそ、「目的」(若しくは流行の言葉で言えば「ミッション」でしょうか)が必要。というお話にも繋がっていくんだと思いますけれど)

もちろん、仰りたいことは、家電がネット化するとかしないとかってことではなくて、過当競争ではない大競争を導くような環境整備こそが行政の考えること、であって、それが上手く行けば、家電のネット化と収益力強化が両立することもありえないわけではない、ということだと思います。しかし、このエントリでは、もう少し俗っぼく、やや別の理屈から似たような結論にアプローチしてみようかと思います。

情報家電ということが、元のレポートで定義したように、仮に家電のネット化、プラットフォーム化を目指しているとすれば(現に、家電とサービスの連携というと、そちらの連想を働かせる人が多いんだと思いますけれども)、最大の課題は、データの相互互換性の保証、課金認証機能の提供といった各種サービスにとってのプラットフォームとなる部分を誰が提供するのか、ということだと思います。というのも、問題は、このプラットフォームビジネス自体がなかなか儲からない。通信インフラは儲かる。その上のサービスも儲かりうる。でも、間に挟まってプラットフォームビジネスの所で儲かる絵が描けない。でも、そこは誰かがやらなきゃいけない。

そりゃ、通信インフラ自体にも、定額制への流れは止められないと言う悩みはありますが、変な領域に手を出さない限り、ビジネスとして儲からないということは無い。まあ細かく言い出せば、ここはIP化が進めば進むほど、後は、土管のメンテと償却が勝負の世界に入ってきますから、高付加価値型モデルという点では、結構きついかもしれないとか、だからむしろ公益性を強める方向に行くべきなのかもしれないとか、色々な議論があり得るとは思いますが。
また、プラットフォームの上に来るサービス自体も、誰かがプラットフォームビジネスを提供してくれれば、顧客の絞り込み、ビジネスモデルの作り込み方など、やりようによっては採算性が見える。そこはまさに、市場の世界として今後活性化を期待したいところ。
だけれども、プラットフォーム機能だけ取り出されると、その部分の料金・対価性の獲得は非常に難しい。でも、だれかがプラットフォーム機能を提供しないと、家電はBBを活用したサービスの端末にはなれない。 さて・・・

例えば、Docomoさんは、通信事業とプラットフォーム機能をバンドルして一つの閉じた世界を作られた。これはこれで、一定のサービスレベル保証も付いてくるし、一つの形である。他方、母体が大きくしっかりとしすぎているし、やはり携帯が出口という制約要件がある。
じゃあ、PCを端末にするというと、通信の物理層部分はインターネット、プラットフォーム機能もIPの機能と各種サービス・アプリ等を活用することで比較的簡単に作れ、自由度も高い。ただし、その分、使い手のリテラシーに厳しい。
さて、自由度とサービスレベル保証を両立するようなBBビジネス・プラットフォームがあるかというと、なかなか無い。それならキラーアプリを探して、情報家電の端末機器がそこに手を出そうかと。例えば、機器の売上の中からプラットフォームビジネスのコストを捻り出そうか、なんていう発想が、i-Podなんかにはあるんでしょうか?(この点は、全く未勉強です。すいません。これは一つの形にはなるんだと思いますけれど、後があんまり続いてきませんね。)

かように、インフラから上ろうとしても、制約は大きい。サービスから降りてこようとしてもいろいろ支障がある。端末から入ろうとしても、なかなか上手くビジネスにならない。で、プラットフォームが形成されないから、結局サービスの多様化も活性化も、ハード屋とサービス屋の連携も進んでこない。上下の台形は分離したまま。

どれもこれも、議論として抽象化すれば、ニーズとシーズの創発性、それを引き出す「目的」(i-Podであれば、ある種のファッション性といつでもどこでも好きな音楽が聴けるという生活の両立(「ポータブル・ジュークボックス」みたいな感じでしょうか))の発見次第ということになるんだと思います。そこに絶対的な正解となるようなパスは無いのかもしれませんし、逆に言えば、どのアプローチにも正解は含まれているんでしょう。だからこそ、それを引き出しやすくする環境の整備が重要であり、だから金融面、知財処理面、行政面の対策といわれるSebastianさんの議論が正論だと思うんですが、もう一つ加えたいのが、では、「目的」の発見・共有、若しくは、ある「目的」の下での活動の集約化が何故なかなか進まないのか? ということなんだと思います。

さて、これらを整理すると、いくつかの示唆が引き出せると思います。
(1) Sebastianさんが言われるような環境整備は、いずれにせよ必要(個人的には、ご指摘の特許論議にはやや異論がありますが)。
(2) ただし、これも、「道筋」を特定することにはならない。しかし、「道筋」は、それがその市場をどう売り抜けるかといった類の「道筋」を期待されているのだとしたら、そもそも特定できるものではないかもしれない。
(3) プラットフォームビジネスのマネジメントスタイル自体にブレークスルーはないのか?そこに、一つの問題を解く鍵がないか。

それぞれが大きなテーマなので、このエントリで全ては追いかけられませんが、ここでは、そういう整理が出来ると思っている自分が、次に、何故、「参照モデル」と叫び、「全体最適」を主導するかについて、言い訳となる理屈を整理してみたいと思います。
やはり、大きな課題は

   ■ で、なぜ、目的の共有が進まないのか。創発性を引き出すコミュニティがなかなか作れないのか。

という点にあり、議論も、この点に引きずり込まれて行かなくてはならないんだと思います。Sebastianさんご指摘のとおり、多様なサービスに手を出してみること自体が回答な訳ではありません。

じゃあ、そこで「参照モデル」なのか。そういってしまうと、それ自体が全体主義的に聞こえるので、目的の押しつけになるようなアプローチには「異論」あり、っということになるでしょう。それに対する反論は、「参照モデル」とは、目的と目的がぶつかり合うための道具ではないか、この抽象度で目的をぶつけ合うことが、結局、90年代のIT業界の活力を生み出してきたのではないかと言うことなんです。
PCやインターネットの世界などを中心に90年代繰り広げられた「参照モデル」競争は、まさにエゴのぶつかり合いであって、その競争を生き抜いていった人達、若しくは、勝ち残った「参照モデル」を作り上げた人達についていった人達が勝ち残った、という印象を持っています。
「『???』。だからこそ、国が「参照モデル」を作ろうというのは余計なお世話じゃないのか」というご指摘がすぐにも聞こえてきそうです。その議論は、実は、非常に同感します。そこは確信犯で言い出しているんです。では、どう確信犯なのか。

目的の共有を引き出すプロセスを創り出すのは、非常に動的なプロセスですから、かなり広範な「場」の共有を必要とすると同時に、おそらく、同時に、とても非論理的なアプローチ、刺激とか、文化とか、事件とか、個性とか、ある種の「ユラギ」の活性化や「アフォーダンス」の引き出しに成功するようなイベントが必要ということになると思います。自分自身も、米国のVC業界の端っこに首を突っ込んだことがあるので、シリコンバレーのある種の「ユラギ」の活性化メカニズムみたいな部分には、日本の匠に仕切られた発見の世界とはまた別の魅力を感じたのも事実です。おそらく、情報家電だけではなく、色々な意味で産業の活性化を図るためには、こうした「ユラギ」の活性化や「アフォーダンス」の引き出しを可能とする密度の高い「場」の設計がいるんだと思います。

そりゃ、米国西海岸のように日本が今すぐなれればいいかもしれません。しかし、彼らだって、20年とか30年といった時間をかけてあの仕組みを作ってきたのだと思います(この点については、私見ですが、VENTURE CAPITAL AT THE CROSSROADS〈Bygrave, William D.;Timmons, Jeffrey A.〉 という名著(邦訳あり)があります)。

米国市場という後背地を背負ってシリコンバレーが成長したように、中国沿岸部という後背地を背負って日本が成長するロジックを手にするためには、日本が、アジアの中でどこよりも密度の高い「場」をもつための仕組みを持つことが日本にとって必要なんだろうと思います。しかし、それは、決して米国流と同じにはならないでしょう。そこに、日本オリジナルが無くてはならないんだと思うし、だから、「旦那衆」という議論をしてみたり、敢えて今頃、2年前のチャールズ・ハンディの議論を紹介してみたり、ということに僕自身も関心を持つわけです。そういう実験場を作る題材としては、ある種「匠」が力を発揮してきた家電の世界と、様々なバックグラウンドを持った人達が作るコミュニティの創発性が付加価値のあるサービスを引き出すネットの世界との融合を、日本という国がどのように消化していくかというのは、大変面白いテーマであると考えているわけです。

そういう場作りの第一歩としてみんなが寄ってきやすいKeyWordや、活動の旗頭は何か。実は、政策も、論理的に正しいアプローチをするだけでなく、実業展開を通じて有力なPDCAサイクルの輪にコミットすること自体が重要と考え始めているものですから、環境整備の視点にとどまらず、それを活用して動く人達の触媒になりたい、という思いがあります。
実は、「参照モデル」という持ち出しも、色々方が様々な思いを持って集まっていただくのに、面白い活動の切り口になると考えているわけであります。正直に言えば、最後は、経済産業省が、純粋に民間のビジネスに用いられる「参照モデル」をメンテできるわけはありません。それを強要すれば、それこそ、霞が関が思いこんだ全体最適に無理矢理市場をつきあわせる「全体主義」みたいなことになるんでしょうから、そんなことは冗談じゃない、と僕も思います(苦笑)。しかし、Take Actionの火付けの一端にコミットしたいという意味では、それが我が国のSocialCapitalになるのであれば、持ち出してみたいとも思うんです。官民の役割分担を突き詰めすぎるよりも、社会的資本の形成に資するものであれば、官民が連携して積極的に初期の活動を立ち上げてしまうべきだと。大切なことは、そこで成熟度の高いPDCAサイクルが回り始めることであって、ある時点でのROIや役割分担論ではなく、密度の高い知見の集積が、どこでどうやったら日本の中で始められるのか? ということではないかと。

ある種、自分のエゴかもしれませんが、経済産業省で仕事をさせていただいていると、本当に様々な、非常に高い水準の知見を勉強させていただけます(それは、やはり村上個人ではなく、あくまでも経済産業省村上ということに対して付いてくる知見です)。そうだとすれば、これは一国民として、知見集積の場作り自体に経済産業省という看板がコミットする必要があるだろう。そういう意味で言えば、「参照モデル」作りの実行まで仮にリーチできなかったとしても、それを題材に作ることが出来る知見の交換の場や、少なくとも自分がいただいた知見を自分なりに編集して広くフィードバックしていくプロセスをきちんと作る義務がある。そうでないと、経済産業省という場と看板が、現にこれだけの知見を集めているのにもったいないではないかと。そういう意味では、「全体最適」という指向性も、「参照モデル」という考え方の普及も、大変面白いItemだと思うんです。もちろん、本当に作ってみたいという思いもあるんですが。だんだん、話が脱線してきましたのでここでうち切りますが(苦笑)、以上が、「参照モデル」を持ち出すに至る理屈と、経緯でしょうか。。。

追伸:

こうやって、聞いたこと感じていることを書かなきゃ書かなきゃって焦って全部書こうとするから、ブログが掲示板になってしまってるんでしょうね。。。

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2004年12月23日掲載