ジョブ型雇用とリスキング 人的資本投資の増大 促進も

大湾 秀雄
ファカルティフェロー

デジタルトランスフォーメーション(DX)に向けた努力がコロナ禍を機に加速している。特にリモートワークの普及は情報通信技術(ICT)・人工知能(AI)導入への抵抗を弱め、一気に障害を取り除きつつある。こうした動きが広がるなか、日本企業の人事や組織がどう変わるのか最近の研究を基に整理したい。

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多岐にわたるデジタル技術は人事や組織に様々な影響を与えうる。経済学では、情報取得コストを下げるIT(情報技術)、コミュニケーションコストを下げる伝達技術(CT)、定型的な仕事を代替する自動化技術(ロボット・AI)――の3つの領域に分けて議論することが多い。

人事・組織への影響は以下の4つにまとめられる。

第1にICT・AI技術の導入が進む職種では、通常は経験年数とともに生産性が上昇する関係(生産性カーブ)が、既存スキルの陳腐化で、経験が蓄積されても生産性が上がらない「フラット化」もしくは「傾きの逆転」が生じ得る。

デービッド・デミング米ハーバード大教授らは、就職サイトの求人情報を用いて、分野ごとのスキル要件変化のスピードを測り、賃金との関係を調べている。新しいスキルの登場やスキルの陳腐化が激しい分野では、他の分野と比べて卒業直後の賃金プレミアム(上乗せ)が最も高く、年齢と賃金の関係を示す賃金カーブはフラット化することを示した。図からも、STEM(科学、技術、工学、数学)分野の労働者の賃金プレミアムが年齢とともに低下していることがわかる。

図:STEM(科学、技術、工学、数学)分野の労働者の賃金プレミアム

第2に理論上、コミュニケーションコストの低下は組織の上下層間での情報統合・伝達のコストを下げ、集権化を促す。他方、情報取得コストの低下は、従業員間の情報共有も加わり分権化につながる。欧米での実証分析によると、組織の上層では集権化、下層では分権化に向かう力が強くなっていることが示された。

結果として中間管理職一人が監督する部下の数は増え、組織はフラット化し、中間管理職の数は減る。ロボット・AI導入でミスが減り、かつ上司の監督が必要な中間スキルの人間の雇用が減ることも監視や指導に必要な時間を減らし、中間管理職の削減につながる。

第3に仕事とスキルをマッチさせる(適材適所)の重要性が一層高まる。仕事の高度化・非定型化で能力による生産性格差が増したことや、適切な人材を探すためのサーチコストの低下が背景にある。組織内外での人材流動化も重なり、賃金格差の拡大をもたらす。

第4に長期インセンティブ(誘因)が消失しつつある。中間管理職の減少は成長鈍化で低下した昇進確率を一層低下させる。生産性カーブのフラット化は年功的賃金が多くの企業で維持できないことを意味する。モチベーション維持のため短期インセンティブを強める必要が高まるだろう。

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こうした変化は、職の設計や評価制度のあり方にも影響を及ぼしつつある。その中心がジョブ型雇用への動きだ。ジョブ型雇用は、①職の標準化②人事の分権化③自律的なキャリア形成――の3つの柱を持つ。

標準化が必要になった理由は前述したDXの影響と密接な関係がある。まず生産性カーブがフラット化するなか、年功的に決まっていた賃金カーブを生産性に近づける必要が出てきた。2つ目に仕事とスキルをマッチさせることの重要性が増し、職の標準化でスキル要件を明確にする必要が出てきた。3つ目に短期インセンティブを高めるため、賃金体系に市場賃金を反映させる必要が出てきた。

そもそも日本企業が採用・育成・異動配置といった人事権を人事部に集中させたのは、計画的な配置で幅広い経験と人脈を構築し、企業特殊的な調整能力を高めることが狙いだった。だが管理職に昇進する人が減るなか、あるいはICT活用で業務プロセスの標準化が進むなか、企業特殊的な人的資本の蓄積を図る仕組みのメリットは低下した。

むしろ仕事とスキルのマッチングを効率的に進めたり、部下育成への現場の関与を高めたりするため、分権的な仕組みにシフトする方が理にかなっている。それには現場マネジャーの意識改革も必要となろう。

自律的なキャリア形成の重要性が増しているのは、技術革新のスピードが速くなり、学び直しが一層求められる環境になっているためだ。にもかかわらず、民間セクターの人的資本投資は低水準にとどまる。スキル形成を急ぐには、企業の育成投資増だけでなく、学ぶ意欲の向上が不可欠だ。

それには自分のキャリアは自分で作るというオーナーシップ意識を育み、キャリア構築のための社員への情報提供が欠かせない。職やスキルを標準化し、社員の職務経験やスキル形成を類型化したデータベースを構築して、キャリア形成を支援する仕組みが必要だ。

ジョブ型雇用の導入は、人的資本投資の増大を引き起こす。ジョブ型雇用への移行は離職率を高め、企業の人的資本投資を減らすという議論もあるが、筆者は逆だと考える。確かに一般的な人的資本モデルで考えると投資意欲は低下しそうだ。だが従来のモデルでは、人的資本投資を契約に含めた採用・転職市場での競争は想定されていないし、経営人材獲得のリターンが十分に考慮されていない。

ジョブ型雇用が理想的な形で導入されれば、スキルを高めなければ給料は増えないので、社員も応募者も自己研さん意欲を高め、人材育成に熱心な企業に就職・転職しようとする。優秀な人材を引きつけるため、大企業は人材育成投資を増やす。優秀な将来の経営人材を獲得することのリターンは非常に高いので、離職率が上昇しても投資コストを回収できる。欧米企業が人材育成に多くのリソース(資源)を割いていることはこの見方を支持する。

進行中のDX革命の下で80年代のパソコン拡大期以上に、必要とされるスキルの代替が急速に進む可能性が高い。短期間にスキル需要と供給のギャップが生じると、転職市場が発達した欧米でも社員の学び直しへの投資(リスキリング)が経営の最重要課題となる。

多くの米国企業が巨額の育成投資を実行してリスキリングを始めている。STEM人材が豊富で、転職市場が発達した米国でさえ危機感を持って動いているのに、日本企業の動きは鈍い。

ヤフーがこのほど、社員8千人を先端IT人材に転換すべく再教育すると明らかにしたが、それ以外は同規模のリスキリング計画を聞かない。人材のデータベース化の遅れに加え、技術革新が進むなか将来ビジョンを描けていない企業が多いことが主因ではないか。

混沌とした経営環境では多様性のある経営チームの編成やデータと実験に基づく意思決定が求められる。新しいスキルを体得した若い人材、海外や異業種からの人材をもっと登用すべきだ。社員のリスキリングと並び、日本特有の「遅い昇進」や生え抜き主義からの脱却と、経営人材育成体制の見直しなど課題は多い。

2022年2月9日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2022年2月22日掲載

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