意味のある形での男女賃金差の開示を求める

大湾 秀雄
ファカルティフェロー

日本の男女賃金格差は、2020年時点で22.5%と、OECD平均の12.5%(2019年)に比べ10%も高い(フルタイムおよび自営業勤務者のサンプルで、女性の男性に対する賃金中央値の比率で測ったもの)。パートタイマーまで含めると、日本女性の平均収入は男性の6割にしかならない。こうした格差を解消するため、政府は、女性活躍推進分野で重点的に取り組む政策を定めた「女性版骨太の方針2022」を発表し、301人以上の企業を対象に、男女間賃金格差の開示義務化を課すことを明らかにした(注1)。制度を改正した上で2022年7月に施行する。

統計的裏付けのない賃金差開示の問題

しかしながら、賃金格差をどう計算するかについては、「男性の賃金に対する女性の賃金の割合」としか書いておらず、単純平均(もしくは中央値)での比較を想定しているようである。当然のことながら、賃金は性別以外にも、年齢、学歴、勤続年数、職種等の影響を強く受けるため、単純に男女の平均賃金を比較しても意味がない。というのも、賃金における単純な男女差を確認したところで、それが女性差別から直接的に生じている差なのか、それとも経験や学歴、仕事の中身などの他の要因が男女で異なることから生じている差なのかが釈然としないためだ。

仮に、何もガイドラインを定めずに開示を義務化したら何が起きるか。多くの企業は、単なる平均の差を示した上で、男性社員は平均年齢・勤続年数が高く、女性とは職域分布もまったく異なるので、女性との平均賃金の差が過大に出ているという弁解を述べた後、引き続き男女賃金格差の縮小に努めるというありきたりな声明を発表するだけにとどまるのではないだろうか。統計学的な処理を施さない単純な差の計算やクロス集計では、企業にこのような言い逃れをする余地を与えてしまう。

あるいは、統計的素養のある社員が担当部署にいる企業では、いくつかの回帰分析を行い、細かい雇用管理区分や職種や職位、労働時間まで統制した上で、最も男女格差が小さく見える結果だけを取り出し、これまでの企業努力で男女格差は解消したと喧伝するかもしれない。計算の仕方についての企業の裁量は最小限にとどめなければ、恣意的な運用がなされる恐れがあるばかりか、横並びに比較することもできなくなる。

いずれにせよ、意味のある男女賃金格差を計算するための手順を標準化せず、恣意的な計算の仕方や解釈の余地を残したままでは、男女格差を解消する企業努力を促すという本来の目的から外れた結果に陥るのは目に見えているのだ。

スイス政府の取り組みにならおう

ではどうすれば良いか。1つのモデルケースとして参考になるのは、スイス政府の取り組みである。同政府は1981年に憲法を改正し、従業員は性別にかかわらず同一労働に対し同一賃金を受け取る権利を有すると定め、1998年施行の男女均等法で同一賃金の保障を定めた。格差を解消するためには、差別の存在を特定できなければいけないとの考えから、連邦内務省男女均等待遇局(FOGE)は、2006年に、回帰分析を基に男女賃金差を自己診断できる計算ツールLogibを英語、独語、仏語、伊語で無料提供し始めた。自社の賃金格差を確認したい企業は、Logibをローカルコンピュータにインストールし、全従業員の時間あたり賃金、性別、年齢、勤続年数、学歴、職位をエクセルで決められたフォーマットで読み込むと、同じ属性の男女で比較した賃金格差とその95%信頼区間が表示される仕組みとなっている(注2)。また、男女賃金差の計算結果を解釈し、原因を探り、解消のための助言を行える企業や組織の紹介も行っていた。

さらに、検証可能な形で男女賃金差を分析し、差別を解消することを宣言する運動“Commitment to Equal Pay” への参加も呼び掛けた。政府調達への参加や補助金の受領に応募する従業員50人以上の企業に、男女賃金差の基準(5%有意水準で5%を上回る賃金差が生じてはいけない)を定め、Logibで計算した賃金差を提出させた。また、政府調達を受注した企業からごく少数のランダムに選んだ企業には、給与データを政府に提出させ、男女賃金差が基準を満たしていない場合は、半年から1年の猶予期間を与えた後、基準を満たす改善が図られなければ、以後の調達からの締め出しや契約解消といった罰則が科された。こうした取り組みが評価され、2018年にFOGEは、国連の持続可能な発展目標(SDGs)の達成に貢献する公共機関として、「公共サービス賞」を受賞している。また、スイス政府にならい、ドイツ政府も2010年に男女賃金差診断ツールLogib-Dを、オーストリア政府も2014年から賃金計算ツールを提供し始めた。

スイス政府の例にならって、単に男女賃金差を計算することを命じるだけではなく、自己診断できるツールを整備したり、政府調達においてそれらを活用したりすることが、政策を実効性のあるものにしていくために不可欠だろう。

ガイドラインと診断ツールの提供が政策効果につながる

男女格差解消への取り組みは、もちろん民間企業の情報開示だけで大きく前進する話ではない。大まかに整理して、3つの原因があり、その一つ一つに政策的取り組みが必要だ。まず、家庭内分業の不均衡がある。家事育児負担が女性に偏り、妻がキャリアを形成できない構図が見られる。2つ目に、高賃金職種で長時間労働へ報いる傾向が強く、性別職域分離が男女賃金格差につながっている。3つ目に、採用、配置、職務分配、評価、昇進のさまざまなレベルで、ジェンダーバイアスが存在し、女性活躍機会が広がらない遠因を作っている。これら3つの原因が相互に補強しあい絡みあって格差を生み出しているため、職の設計の見直しまで踏み込んだ働き方改革、労働者の意識改革、管理職層の意識改革を同時に進める必要がある。従って、民間企業における男女賃金差だけの開示義務化だけでは不十分で、今後、会社の人材育成・活用全般にわたる人的資本情報の開示など補完的な施策を併せた総合的な政策パッケージ推進していく必要があるだろう。

とは言え、そのまず第一歩として、男女賃金差の開示義務化を政策効果のあるものにするために何が必要であろうか。前述のスイス政府の取り組みの中で指摘されたように、男女格差を解消する企業努力を促すためには、差別の存在を特定できなければいけない。まずは賃金構造の透明性を高め、男女賃金差がどの程度あるか、当該企業が知り、他社と比較できることが重要である。また開示義務を通じて、男女賃金格差の大きな企業に対し、資本市場、労働市場、製品市場を通じた圧力がかかることが必須である。経営陣が、ESG(環境・社会・ガバナンス)への取り組みに敏感な投資家の評価、人材獲得競争が激化する中での採用ブランド、消費者が持つ企業ブランドイメージなどへの影響を理解し、格差縮小へのコミットメントを表明することが第一歩であろう。

上述の流れを作るため、開示される男女賃金差が企業間で比較可能であることを保証するガイドラインや計算ツールの提供が欠かせない。また、結果を知った企業が原因を理解して必要な行動を取れるよう、賃金格差を検知した上で、その要因を特定し、解決のアドバイスまで提示するような診断ツールの提供も必要になってくるだろう。こうした環境整備を行わずに開示義務化を施行すれば、目に見える政策効果は期待できず、無策を批判されても仕方がない。

筆者と早稲田大学大学院の北川梨津氏の研究グループは、男女賃金差の開示義務化を政策効果につなげるため、東京大学エコノミックコンサルティング株式会社の事業として、オンライン診断ツールの提供を準備している。政治や社会に根強く残るジェンダーバイアスの是正につながることを期待して、企業の格差縮小努力を支援していきたい。

脚注
  1. ^ 内閣官房(2022) すべての女性が輝く社会づくり本部(第12回)・男女共同参画推進本部(第22回)合同会議 『女性活躍・男女共同参画の重点方針2022(女性版骨太の方針2022)』 Ⅰ 女性の経済的自立 (1)男女間賃金格差への対応
    https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kagayakujosei/dai12/siryou2.pdf
  2. ^ Logibについては、下記サイトをご参照ください。
    https://www.ebg.admin.ch/ebg/en/home/services/logib-triage.html

2022年6月6日掲載

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