中国のイノベーションシステム改革と産業競争力の展望

元橋 一之
ファカルティフェロー

市場経済化に伴う中国経済の台頭は著しい。2001年のWTO加盟によって、国内経済改革の動きはいっそう加速し、安価な製造コストを求めた生産拠点としてではなく、巨大なマーケットをにらんだ先進諸国の対中進出が活発化している。1990年代からの対外経済開放政策によって外資導入とともに、市場原理に従って国有企業改革を進め、中国政府は国内産業の競争力強化にも力を入れている。その重要な政策の一部がイノベーションシステム改革の動きである。

イノベーションシステムとは、企業における新製品開発や新たな生産技術の導入などのイノベーションを活性化させる国全体のシステムを示す。たとえば、大学や公的研究機関における研究成果が企業におけるイノベーションに対して、いかに有効に取り入れられるかといった産官学連携のあり方も重要な要素である。また、シリコンバレーにみられるようなベンチャー企業によるイノベーション創出を促進するためのリスクマネーに関する資本市場の充実やライセンシング市場を活性化するための知的財産権政策など、国全体のイノベーションパフォーマンスを向上させるための幅広い経済制度を含む概念である。

計画経済体制下における中国のイノベーションシステムは、企業、大学、中国科学院を中心とする公的研究所が独立した形態をとっていた。国有企業は計画経済にもとづく生産に従事し、大学は教育機関であり、また公的研究所は科学技術研究を行うための機関というようにそのミッションは明確に定義され、それぞれが分断された構造となっていた。このような旧ソ連を手本とした科学技術体制は、「両張皮」(2つの皮:科学技術と経済の分離)や「大鍋飯」(大きな鍋のご飯:身分が保証されていることによるモラルハザード)という問題を引き起こし、中国政府は80年代半ばからイノベーションシステム改革に乗り出した。この改革の過程は、85~92年まで、92~98年まで、98年以降の3つの段階に大きく区分することができる注1

第1段階は、計画経済体制下の制度改革の動きである。85年に「中国共産党中央の科学技術体制改革に関する決定」が発表され、科学技術と生産の連携が方針のひとつとして打ち出された。また、中国の科学技術システムにおける「大鍋飯」を解消するためのいくつかの制度改革が打ち出された。たとえば、公的研究機関は、(1)基礎研究を中心とする機関、(2)応用技術開発を中心とする機関、(3)社会公益的研究や農業研究を行う機関の3つに分類され、とくに(2)の技術開発型機関については事業費を縮小し5年以内にはその活動を停止するという厳しい方針が打ち出された。また、(1)については基金制による一定額の補助、(3)については請負制によって政策ニーズに対応した研究が義務付けられ、肥大化した研究機関機構改革が始まった。その結果、91年までに県以上の政府部門所管の5074の自然科学関係機関のうち、1186機関の事業が停止した。また、科学技術と生産の連携については、技術市場の形成の基盤となる「特許法」や「技術契約法」が制定され、またイノベーション市場促進策としては、ハイテク産業開発試験区の制定や技術交流や技術コンサルティングを業務とする民間科技企業の設立が奨励された。しかし、これらの政策がその効果を発揮するのは市場経済への移行が進んだ90年代以降である。

第2段階は、トウ小平による南巡講和によって市場経済改革路線が明確に示された92年に始まり、98年までの改革である。ここでの特徴は、「穏住一頭放開一片」(一端を安定させ、一面を手放す)という言葉に表すことができる。ここで「穏住一頭」とは、国の基盤的科学技術システムとして必要な基礎研究や防衛技術開発の安定的な推進を、「放開一片」はその一方で産業技術にかかる分野の開放と市場経済下での育成を示す。とくに後者については、市場経済への移行をめざした経済改革の動きと相まって大きな成果をあげた。具体的な政策としては、公的研究機関や大学における技術をベースとした企業(校弁企業)のスピンアウト促進である。また、一定の条件を有する産業技術に関する公的研究機関には、研究所の運営に関する権限を委譲し、民間科技企業とのM&Aや企業集団の形成などの自由を与えた。

これらの市場経済化におけるイノベーション改革の動きを受けた98年以降の第3段階は、「科教興国」(科学技術と教育による国家の振興)を前面に打ち出し、国全体としてイノベーションシステムの建設を狙ったものである。ここでのフォーカスは公的研究機関の改革の更なる推進と民間企業に対する技術移転促進など、企業とのリンケージの推進である。これまで研究機関、企業、大学とそれぞれのセクターで改革が進められてきたが、それらの間の有機的連携を明確に意識したナショナルイノベーションシステムの構築が前面に打ち出されたことが特徴である。96年に制定された「中国人民共和国科技成果転化促進法」や99年に国務院から頒布された科技部門に対する「科技成果転化の促進に関する規定」によって産官学連携に関する制度整備が行われた。これらの規定によって、公的研究機関の民間科技企業に対する出資ルールや大学、研究機関の職務発明の成果の帰属に関する規則などが整備された。また、中小科技企業の促進策などイノベーションの主体としての企業セクターにも配慮した政策が打ち出されている。

このような一連のイノベーションシステム改革の結果として、中国におけるイノベーションを担う主体は公的研究機関から企業へ大きくシフトしてきている。たとえば、研究開発投資における企業、公的研究機関、大学のシェアは95年にそれぞれ43%、44%、および13%であったが、2001年には62%、28%および10%となり、企業を中心とするイノベーションシステムの構築への移行が進んでいる。企業セクターにおけるイノベーション活動の活性化は、国有企業改革や外資系企業に対する規制の緩和などの企業改革の影響が大きい。企業に対する経営の自主権を認めるコーポレートガバナンスシステム改革は、新商品の開発などのイノベーションに対するインセンティブ構造に大きな影響を与える。製造業のデータをみると国有企業の売上高に占めるシェアは1995年には77%であったものが、2002年には38%に低下した。その一方でシェアを伸ばしたのは株式企業(7%→35%)や外資系企業(5%→12%)である。これらの企業は国有企業と比べて研究開発費売上高比率が高く、高い生産性レベルにあることがわかっている。また、国有企業のシェア減少はイノベーション能力の低い企業の退出によってもたらされたものであり、企業セクター全体の生産性向上に貢献している。

このように中国経済の市場経済化への移行に伴って、市場競争が活発化してイノベーションに対するインセンティブの向上がみられるが、その一方でいくつかの弊害もみられる。そのひとつは研究開発がより実証的な内容にシフトしていることである。市場競争が激化するとより短期的なイノベーション効率をめざした研究が行われることは自然である。ただし、基礎的な研究がおろそかになることによって長期的なイノベーション能力や競争力が損なわれる恐れがあることに留意することが必要である。1995年から2001年の研究開発費の分野別支出割合をみると、基礎研究については両年とも5%と変わらないが、応用研究が26%から17%に減少する一方で、開発研究が69%から78%に上昇している。基礎研究はおもに公的研究機関において行われているものであるが、基礎研究の成果をイノベーションにつなげていくための応用研究の減少は産官学連携の有機的連携に逆行する動きであり、今後注視することが必要である。

また、市場競争の激化に伴って、大学や公的研究機関からのスピンアウト企業数も減少してきている。2001年時点で大学からスピンアウトした科学技術企業(校弁企業)の数は約2000社となっているが、ここ5年間で500社程度減少してきている。また、校弁企業の売上高利益率も1997年に10%近くあったものが、2003年には4%程度まで低下してきている。中国経済の市場経済化が進み、また外資系企業の進出が活発になるなか、企業セクターの相対的な技術力や競争力の上昇の結果によるものと考えられる。これは、中国のイノベーションシステム全体の活性化を示すものといってもよい。ただ、これまでの大学等における技術優位にもとづいたスピンアウトモデルが有効ではなくなっていることから、企業との共同研究の推進など、これまでとは異なったイノベーション政策が必要となってきていることを示している。

中国のイノベーションシステムは改革途上にあり、まだまだ不十分な点が多いが、最後にひとつ重要な課題をあげるとすると知的所有権政策の強化による技術市場の確立である。中国市場においては模倣品が横行し、日本企業にとっても深刻な問題になっているが、知的財産の保護が不十分な状況は、長期的にみると中国経済のイノベーション能力や競争力にとっては好ましくない。とくに、企業間連携や産学連携などを通じたイノベーションシステムの強化を図っていくためには、知的所有権によるしっかりとした技術市場が形成されることが重要になってくる。このところ中国知的財産局に対する特許出願数は急激に増加しているが、2001年の発明特許の総出願件数は1万5000件弱にすぎない。日本では大企業になると年間数千件の特許出願を行っているところもあり、まだまだ技術市場が未成熟であることを示している。

このように中国のイノベーションシステムはその改革途上にあり、大きな成果があがっている一方で、まだまだ課題は多い。「世界の工場」といわれ産業構造に占める製造業の割合も急激に増加しているが、貿易統計などの競争力指標でみる限り、少なくとも日本やNIES諸国と比べて産業競争力のレベルは低い状況にある。GDPに対する研究開発費の割合も日本が3%を超えているのに対して、中国は1%弱にとどまっており、イノベーションに対する投資も遅れている。しかし、中国経済は着実にその競争力をつけてきていることも事実である。その背景には、市場経済化に向けた経済改革の中で、国際競争で通用するイノベーション能力の強化を狙ったイノベーションシステム改革の影響が大きいことが考えられる。

このような巨大な隣国がダイナミックな成長を遂げるなかで日本としてはどのような対応を考えるべきか? 日本のイノベーションシステムは、大企業が中心の自前主義が特徴といわれてきた。競争力のある大企業が自社研究所をもち、基礎的な研究から製品開発までを自社リソースによって行う一方で、大学や公的研究機関との連携には消極的であった。ただ、最近は国際的なイノベーション競争の激化によって、製品開発スピードの上昇が重要になっている。また画期的な商品を開発するための研究開発コストが上昇するなか、研究開発に関するアライアンスの動きが活発化している注2。このようなネットワーク型へのイノベーションシステムへ移行する過程においては、競争力をつけつつある中国の企業や大学、研究機関との連携も視野に入れた戦略を構築するべきである。とくに、中国には優秀な研究人材が豊富に存在するが、その研究環境についてはまだまだ遅れている。これらの人材を日本のイノベーションシステムに取り込んでいくことは両国にとってメリットがあると考えられる。そのためには科学技術の分野における両国の交流の活発化や、人的交流を円滑に行うための入管規制の緩和などの制度的整備が必要である。

2004年11月号 海外投融資情報財団『海外投融資』に掲載

脚注
  • 注1:ここでのシステム改革の3段階の分類は中国科学技術部が中心になって編集している「中国科技発展研究報告2003」によるものである。
  • 注2:経済産業研究所において行われた研究開発の外部連携に関する実態調査を参照。
    http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0137.html

2004年12月6日掲載

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