トランプ米大統領による関税率大幅引き上げの発表後、米国の経済政策不確実性指数は急上昇し、コロナ危機時を上回る水準となった。この指数は新聞報道のテキスト分析をもとに算出されており、貿易政策に絞ると、米国だけでなく日本でも過去に類例のない高水準になっている。
不確実性が高まると、企業や家計はそれが収まるまで投資や消費の意思決定を先送りして様子見をする。このため不確実性ショックは1年以上にわたり経済活動を下押しする。特に、いったん決めると撤回できない不可逆性の高い投資や耐久財消費でこの影響が強く表れる。グローバルな経済活動の多くはそうした性質を持っている。
関税率引き上げは貿易の抑制につながる。さらにトランプ関税では、自社製品が対象になるのか、どの程度の税率が課されるのか、といった不透明感が極めて強い。このため企業活動へのマイナスの影響は増幅される。関税率引き下げを目指して行われている2国間交渉も、最終決着に至るまでの間の不確実性を高め、意思決定の先送りを助長する可能性がある。
最恵国待遇や、一定率以上の関税を課さないことを約束する関税譲許制度といった、国際貿易ルールへの各国のコミットメントは、高関税の恣意的な発動という不確実性を抑制する。こうしたルールが貿易や直接投資の拡大に寄与したことは、国際経済学の研究で明らかだ。今般のトランプ関税は、国際社会が構築してきた制度的インフラを破壊しかねない暴挙である。
しばらくは世界的な経済活動の鈍化が避けられないだろう。特に米国自身には、高率関税が物価上昇と景気悪化というスタグフレーション的な影響を与える可能性が高い。米連邦準備理事会(FRB)は先般の連邦公開市場委員会で政策金利の維持を決めたが、経済見通しの不確実性が高い中、景気悪化リスクとインフレリスクをともに考慮した結果だと説明している。金利調整という政策手段だけで景気悪化と物価上昇の両方には対処できないからだ。
不確実性が高いときに、様子見をするメカニズムは経済政策に対しても働く。企業や家計の政策への反応が弱まり、マクロ経済政策の有効性が低下する。不確実性指数が高いとき、財政政策の乗数効果が大幅に縮小することは実証研究が示している。トランプ政権は減税などの財政政策で景気を下支えする考えのようだが、不確実性が高いままではその効果は減殺される。
日本では参議院選挙を控え、多くの政党が物価高対策やトランプ関税への対応という名目で、消費税率引き下げや給付金の支給を唱えている。しかし、不確実性が高ければそうした政策の景気浮揚効果は期待しにくい。仮に政策目的が総需要創出ではなく所得補塡なら、対象を深刻な影響を受ける家計や労働者に絞るのが適切である。膨大な政府債務を抱える中、効果の乏しいバラマキ政策を繰り返すことで、自然災害、パンデミック、国際武力紛争など今後もたびたび起こりうる不確実性ショックへの対応余力を殺(そ)ぐのは避けるべきだ。
2025年5月30日 日本経済新聞「エコノミスト360°視点」に掲載