所得増加を妨げる財政の不確実性

森川 正之
特別上席研究員(特任)

所得税の基礎控除引き上げ論議が政治的に混迷しており、先行き不透明感が高い。制度改正により「103万円の壁」をなくすとともに、勤労者の手取り収入を増やすのが目的とされている。しかし、減税による手取り増加は1回限りの「水準効果」なので、減税額を増やし続けていかない限り、翌年度以降は所得へのプラス効果が剝落する。手取り所得を増やすことを目的とした定額減税や給付金の場合、翌年度には所得の「反動減」要因になる。

物価上昇に負けない持続的な賃上げを実現するには、生産性上昇を通じた経済成長が必要である。しかし、政府債務の増加、財政の不確実性は、経済成長にマイナスの影響を与えかねない。

今般の大型経済対策や税制変更により、基礎的財政収支の2025年度黒字化目標が実現する可能性は低下した。財政赤字が続く限り政府債務は増えていく。巨額の政府債務の下、金利上昇に伴う利払い費の増加が予算を圧迫するだけでなく、ゼロ金利下では顕在化しなかった民間投資をクラウドアウトする影響も生じうる。また、財政の先行き不確実性が経済活動にマイナスの影響を持つことを多くの研究が示している。

筆者が日本企業を対象に行った調査で、不確実性の高い政策を聞いたところ、48%の企業が「政府財政」を挙げた。これは様々な政策の中で最多だ。10年代半ばの調査ではこれを挙げた企業は26%だったので、コロナ禍を経て財政の将来への不透明感は大幅に高まった。少数与党体制で負担を伴う政策はこれまで以上に困難になるだろう。政府債務の一層の悪化、成長押し下げ圧力の増大という悪循環に陥ることが懸念される。

財政赤字や政府債務増加の一因は経済予測の楽観バイアスである。過去20年間の政府経済見通しで、実質成長率の予測値と実績値を比較すると、平均で1ポイントを超える実績値の下振れが見られる。日本に限らず政府の経済予測には楽観バイアスがあり、特に中長期の予測ほどバイアスが大きい傾向がある。マクロ経済予測のバイアスが財政赤字拡大の要因となり、過剰債務などを通じて成長率を押し下げることを示す研究は多い。

成長予測にバイアスが生じる一因として、世界金融危機、自然災害、パンデミックなど「想定外」のショックで実績値が下振れする一方、その反動増はある程度予想でき、事前に織り込まれるという非対称性がある。このため民間エコノミストの予測にも平均0.8ポイントの上方バイアスがある。ただし、政府予測のバイアスはエコノミストよりもやや大きく、両者の差が純粋の政府バイアスである。

経済・財政予測を、政治的に中立な独立財政機関が行うことが解決策としてよく提案される。これが一定の役割を果たしうることは否定しないが、エコノミストの予測にもバイアスがあるとすると、単に中立化しただけでは予測を改善できる余地は限られる。例えば、過去の平均的なバイアスを補正した、控えめな成長見通しを前提に財政運営を行うなど、手法面の改善も必要である。

2024年12月27日 日本経済新聞「エコノミスト360°視点」に掲載

2025年1月8日掲載

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