石破茂首相は「地方創生2.0」を政策の柱に掲げる。しかし、大都市への集中を抑制するのは非常に難しい。集積の経済効果で、大都市ほど生産性や賃金が高いからである。人口移動はゼロサムなので、移民を大規模に受け入れない限り、全ての市町村の人口は維持できない。東京一極集中の是正といわれるが、地方自治体間の存続を巡る競争という面もある。
賃金は人口移動を決める大きな要素だ。だが、空間経済学の研究によれば、住宅価格やアメニティー、つまり生活の質の違いを考慮せず、名目賃金だけを地域間比較するのは適当ではない。「物価上昇に負けない賃上げ」という観点から、物価上昇率を差し引いた実質賃金の動向が注目されているが、時系列だけでなく地域間の横断面でも物価水準の違いを調整した実質賃金を比較する必要がある。
代表的な労働統計から時間当たり賃金を見ると、東京都と下位県の間には50〜60%の差があるが、学歴、年齢、勤続などの違いを調整すると約半分に縮小する。一方、物価水準の地域差は、「消費者物価地域差指数」によると最大9%だ。ただし、この指数には消費者物価指数の16%を占める持ち家の帰属家賃(持ち家所有により払わずに済む家賃)は含まれていない。
東京の住宅価格は非常に高く、これを無視した比較は適当でない。一橋大学の阿部修人教授らの研究によれば、帰属家賃を含めた物価水準の地域差は20%以上である。つまり生計費を補正した実質賃金の地域差は意外に小さい。
私たちは名目の数字で比較しがちである。最低賃金を全国一律にすべきだという主張も聞くが、これは生産性や生計費の地域差を無視した乱暴な議論だ。仮に名目最低賃金を一律に東京並みにした場合、地方経済には労働需要減少を通じて深刻な打撃になるだろう。逆に地方経済に悪影響がない水準で一律にすれば、生計費が高い東京の実質最低賃金は極端に低くなる。
様々な制度は名目額で設計されている。累進所得税の税率の刻みや基礎控除額は名目額で全国一律なので、実質所得が同じでも生計費が高い地域ほど所得税負担は相対的に重い。この点も勘案すると東京の実質手取り所得はさらに低くなる。東京への人口集中には実質賃金以外の要因が強く働いていると考えられる。
安全・安心、美しい街並み、豊かな文化を享受できる地域はアメニティーが高く、犯罪や事故の多い地域は低い。これらは地域間人口移動を規定する大きな要因である。東京は多様なサービスを享受できる半面、混雑という大きなディスアメニティーがある。「働き方改革」で労働時間削減は進んだが、長い通勤時間への忌避感は長時間労働以上に強く、特に女性で顕著だ。テレワークも普及したが、フル在宅勤務が可能な仕事はごく一部に過ぎない。
物価や働き方への関心は高い。地方都市は低い生計費や短い通勤時間などのメリットを生かし、アメニティーを高めることが重要だ。簡単ではないが、それができた市町村は、地域間競争の中で生き残る可能性が高まるだろう。
2025年3月21日 日本経済新聞「エコノミスト360°視点」に掲載