米中貿易戦争の新局面 TPPの拡大・連携を目指せ

川瀬 剛志
ファカルティフェロー

11月の米大統領選は、6月の討論会でのバイデン大統領の不調や先週のトランプ前大統領への銃撃を受けて混沌としてきた。ただどちらが当選しても、対中通商戦略は大差ないだろう。米通商代表部(USTR)のタイ代表と前任のライトハイザー氏も6月の講演で、トランプ・バイデン両氏が中国への見方で一致すると互いに認めていた。

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実際、表に示した両政権の主な対中措置を種類別に見ると、高い継続性・関連性が認められる。

米政権の主な対中貿易・投資規制

まずトランプ前政権が課した「1974年通商法301条」による関税をバイデン政権も継続した。5月には最高税率を25%から電気自動車(EV)100%、半導体50%などと上げる方針を表明した。トランプ氏が始めた「1962年通商拡大法232条」による鉄鋼・アルミ製品への追加関税も維持したままだ。

2022年10月以後のバイデン政権による先端半導体関連の輸出規制強化も、トランプ政権時代の輸出管理改革法(ECRA)制定(18年)、事実上の禁輸対象となる「エンティティ・リスト」への華為技術(ファーウェイ)追加(19年)や半導体関連の輸出管理規則(EAR)適用に端を発するものだ。

またトランプ政権は本来、安全保障が目的だったEARを、ウイグルや香港での政治弾圧への貢献を理由に中国企業に適用した。これもバイデン政権による人権基準を設けたEAR改正につながる。22年6月施行の「ウイグル強制労働防止法」も、トランプ政権下で活発になった、強制労働を理由とした中国製品の通関差し止めの延長線上だ。

もっとも同盟国との協力方針は大きく異なる。バイデン政権はインド太平洋経済枠組み(IPEF)で対中包囲網を築き、人権保護目的の輸出管理では「輸出管理・人権イニシアチブ」や米EUの「貿易・技術評議会」などの協力枠組みを構築した。トランプ政権にはみられなかった対応だ。

この点は異なるにせよ、次期大統領がどちらになるかにかかわらず対中強硬姿勢に大きな変化はなく、世界貿易機関(WTO)ルール無視の場外乱闘が続くだろう。ただトランプ氏の場合、ライトハイザー氏も近著で提唱する「戦略的デカップリング(分離)」を掲げ、より象徴的で過激な措置に傾斜する恐れはある。

実際、トランプ氏は自称「タリフマン(関税男)」らしいアイデアを披露する。第一に、全輸入に普遍的基本関税10%を課し、さらに中国産品には60%、中国の直接投資によって生産されたメキシコ製自動車に100%の関税を課すという。現状の301条関税はEVなどごく一部を除けば依然25%以内だが、第2次トランプ政権誕生なら大幅に引き上げることになる。

第二に、中国に対する最恵国待遇(MFN)の停止である。01年の中国のWTO加盟以前、米国はMFNの対中付与を毎年審査の上で更新しており、中国にMFNを恒久的に与えることは必ずしも当然ではなかった。ただ、こうした極端なアイデアは全て選挙向けかもしれず実現は不確定だ。

他方、中国に不利な政策でも、別の理由で継続されない措置もありそうだ。自由貿易を嫌うトランプ氏は対中包囲網のIPEFから離脱をほのめかす。友好国との間で供給網を構築する「フレンドショアリング」の枠組みも同じ運命かもしれない。また反・脱炭素の立場から、EVの税額控除も廃止が見込まれる。

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こうした米中摩擦の継続や、激化した場合の日本への影響について、国際通商秩序の観点から以下の2点を指摘したい。

第一に、中国を含む東アジアの通商秩序構築への影響である。5月の日中韓首脳会談では、質の高い自由貿易協定(FTA)の交渉加速に合意した。しかし、特にトランプ氏再選でデカップリングの圧力が強まると、日本としては中国との経済連携の模索が難しくなる。ハイレベルなFTAを目指すとなれば、米国の輸出規制に協力する半導体など戦略物資へのアクセスについて中国から切り込まれ、妥結は困難であろう。

第二に、WTO体制の維持にも影響が及ぶ。すでにWTOの紛争処理小委員会(パネル)が301条関税や鉄鋼・アルミ関税の協定違反を認定しているが、米国はかたくなに撤廃に応じず、トランプ氏再選なら対立激化のおそれもある。

6月下旬には16人のノーベル経済学賞受賞者が、トランプ氏が再選した場合の米経済への悪影響に懸念を表明した。またポール・クルーグマン氏は高関税が、米国がもはや世界経済のリーダーたり得ないという負のメッセージとなることを危惧する。

特にMFNと関税ルールは、自由・無差別な貿易を標榜するWTO協定の中核的な原則である。これを公然と米国が無視すれば、WTO体制のますますの地位低下は必至だ。また、米国の対中通商制限を妨げる可能性のあるWTO上級委員会の改革も頓挫するだろう。WTO体制への依存度が高い日本としては痛手だ。

米中摩擦がさらに4年間続くとすれば、ルールの支配による多国間自由貿易体制に依存する日本は、他のミドルパワーと連携して維持に努める必要がある。

例えば、機能を停止しているWTO上級委員会の再開に米国が消極的なら、当面は有志国が設けた「多国間暫定上訴仲裁アレンジメント(MPIA)」の活用で、限定的でも紛争解決のルールを取り戻すべきだ。中国もMPIAの当事国であり、その経済的威圧を封じる手段にもなる。

他方で日本はカナダなど改革・良識派のミドルパワーと欧州連合(EU)からなる「オタワグループ」の一員として、WTO改革に貢献していくべきだ。

また、米中は対立の一方で相互依存が高く、双方が属するWTOは依然として利害調整の場たりうる。22年の新型コロナウイルスワクチンの特許保護免除や漁業補助金協定への合意は、パンデミックなど人類の共通課題への対応なら米中が妥協できることを示した。

例えば米中は気候変動対策での協力に合意している。今後、WTOが進める「貿易と環境持続可能性に関する体系的議論」で気候変動関連の意義ある米中協力が成立すれば、WTOの交渉機能の回復にも貢献できる。こうした合意への日本の尽力が望まれる。

もっとも、徹底的なWTO嫌い・反脱炭素のトランプ氏再選なら、こうしたシナリオも描きにくくなる。

WTOに代わる広域連携の「プランB」としては、18年末に発効した米中不在の環太平洋経済連携協定(TPP)の見直しに注力すべきだ。

例えばデジタル貿易ルールについて米国はすでにWTOやIPEFでの交渉で慎重姿勢に転じており、まずTPPルールのアップデートが将来のWTO合意につながる。またTPPも締約国の拡大はもとより、より野心的にEUや南米南部共同市場(メルコスール)など他の大型経済圏との連携を模索すべきだ。

2024年7月17日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2024年7月19日掲載