経済ブロック化の行方 多国間通商 経済安保に寄与

川瀬 剛志
ファカルティフェロー

安全保障の名の下に国際貿易・投資システムの分断が進んでいる。特に米国はトランプ政権以降、安全保障を理由とした通商措置を多用する。具体的には、(1)輸出管理規則(EAR)の積極的な適用(2)その他の物品・サービスの取引制限(3)直接投資規制(4)人権の安全保障化による規制――などが挙げられる(表参照)。

表 米国の主な安全保障関連通商規制

他方、米中を中心とした貿易・投資のデカップリング(分断)は昨今のフレンドショアリング、すなわち友好国間でのサプライチェーン(供給網)構築や強じん化によっても進む。インド太平洋経済枠組み(IPEF)、米・欧州連合(EU)貿易技術評議会(TTC)に加えて、2023年1月には経済繁栄のための米州パートナーシップ(APEP)が交渉を開始した。

これらは安全保障と価値観の共有を重視し、半導体、重要鉱物、ポスト量子技術など戦略物資・技術に焦点を当てたサプライチェーンの強じん化、脱炭素、人工知能(AI)の信頼性、輸出管理・投資審査協力などで合意を目指す。

こうした動向は、従来の軍事・防衛を中心とした安全保障概念の拡大を示す。

米国は、新疆ウイグル自治区や香港での弾圧を理由にEARを中国企業に適用する際に、中国の人権問題を米国自身の安全保障上の課題と位置付けた。またバイデン政権は気候変動を明確に安全保障の最優先課題と認識している。安全保障に根ざすフレンドショアリングの枠組みも、人権、気候変動のほか、感染症の世界的流行、サイバー、エネルギー、先端技術など、多様な課題を包含する。

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だが安全保障概念の拡大がもたらす一連の措置は同盟国間にも分断を招き、かえって安全保障を損なう一面がある。例えば米国は18年の鉄鋼・アルミニウム追加関税について、EUのほか西側諸国から世界貿易機関(WTO)に提訴された。インフレ抑制法やCHIPS法も、自国製品が不利に扱われる日本や韓国との通商摩擦を引き起こした。

一方、EUは半導体産業振興のための欧州版CHIPS法を採択し、脱炭素産業支援を可能にする「グリーンディール」にも着手しており、大西洋をはさんだ補助金戦争の火種が残る。

安全保障を偽装した保護主義も懸念される。前述の米国による鉄鋼・アルミ関税や対香港の原産地表示規制を、WTOの紛争処理小委員会(パネル)は安全保障目的の措置だとは認めなかった。戦略物資・産業の育成でも、インフレ抑制法の電気自動車(EV)税額控除は、米国および自由貿易協定(FTA)域内産の重要鉱物の使用や米国内での組み立てなど、WTO不適合かつ安全保障上の合理性に乏しい条件を含む。

CHIPS法の補助金交付にも、半導体工場建設での米国産資材使用や、政府への先端技術開示など安全保障を逸脱した条件が付され、産業政策色が強い。

これに対し、自由貿易の保障は経済的威圧をはねのける力になる。オーストラリアは中国によるワインや大麦の輸入制限に直面したが、開放的な多国間通商体制のもとで代替的な輸出先市場を見つけ、経済的威圧からの防衛に成功した。

時に自国の地政学的目的を達成するために、貿易制限や金融封鎖など経済的手段が行使されることがある(いわゆるエコノミック・ステイトクラフト)。自由貿易の保障は、国際供給網にある重要物資・技術のチョークポイント(要所)がエコノミック・ステイトクラフトに悪用される「相互依存の武器化」を防ぐ。

中国が10年代初頭に尖閣問題に端を発して実施したレアアース(希土類)輸出禁止や、今回の半導体関連輸出制限に対抗して準備するレアアース磁石の輸出制限は相互依存の武器化の好例だ。だが前者はWTOルールがあればこそ、撤廃に追い込むことができた。

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日本も経済安全保障の重要性は否定し難いが、そのあり方には注意を要する。国際文化会館グローバル・カウンシルの船橋洋一チェアマンによれば、日本は中国、ロシア、北朝鮮といった潜在的な安全保障上の脅威に囲まれた地政学的環境に加え、資源や食料を海外に依存する「安全保障の赤字国」だ。日本にとっては、多様な代替の調達先や海外市場を確保できる点で、開放的な多国間通商体制の維持を基本とすることが経済安全保障に資する。

例えば22年の英エコノミスト・グループの調査は、ウクライナ危機や低い食料自給率にもかかわらず、貿易による安定供給ゆえに日本の食料安全保障を世界第6位と高く評価した。他方、かつて首脳間の関係が蜜月にあったロシアにエネルギー依存を高めたドイツの現状は、フレンドショアリングによる友好国への過度な依存が時に自国の安全保障を損なうことを示す。

その意味ではフレンドショアリングやリショアリング(国内回帰)への過度な傾倒は日本の「正解」ではない。これらはサプライチェーンを多角化し、高すぎる対中依存を下げるリスク分散の手段であって、やはり軸足は多角的な自由貿易体制に置くことになる。資源、技術、市場などを自国内で賄え、隣接する友好国のカナダ・メキシコにサプライチェーンを展開できる「安全保障の黒字国」の米国とは決定的に利害が異なる。

であれば、日本は過剰なデカップリングの悪影響を回避し、経済安保と経済成長の両立に向けて、多国間通商体制に根ざした通商戦略を推進すべきだ。

従ってまず安全保障に基づく通商措置の慎重な実施が求められる。WTOやFTAで許される措置は、あくまで自国の安全保障上の重大な利益の保護に必要なものに限られる。かつてWTOパネルが指摘したように、安全保障はすべてを正当化する「魔法の呪文」ではない。今般の半導体製造装置の輸出規制も、米国の産業政策ではなく、日本自身の安全保障に寄与する措置でなければならない。

また主要7カ国(G7)貿易相会合で提言のあった経済的威圧に対する共同対抗措置は、いわば通商版「集団自衛」だ。実施の是非は、多国間通商体制と安全保障の関係の根本的な変化がもたらされる可能性に留意して検討すべきだ。

伝統的な多国間通商体制の維持・発展の主導が、今後も日本の目指すべき方策の基本となる。中国の環太平洋経済連携協定(TPP)加入交渉では、英国やカナダなどの同志国と連携し、妥協のないルール順守と高水準の市場開放約束は譲れない。WTOでも、機能停止に陥る上級委員会を目標の24年までに再稼働させ、24年開催の閣僚会議の具体的成果に向けて引き続きデジタル貿易ルール交渉を主導することが肝要だ。

日本は上級委員会に代わってパネル判断の上訴を審理する「多国間暫定上訴仲裁アレンジメント(MPIA)」に加入した。EUや豪州はMPIA利用を前提に、中国による一連の経済的威圧措置をWTOパネルに訴えた。日本もMPIAを活用してWTOルールの支配の維持に努めることは自身の経済安保に資する。

2023年5月1日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2023年5月17日掲載