これまでの地方活性化
2014年秋から始まった安倍内閣における目玉の1つに「地方創生」がある。その心は、「各地域がそれぞれの特徴を活かした自律的で持続的な社会を創生すること(まち・ひと・しごと創生本部)」となっている。この地方創生という言葉を聞くと、「新たな地方を生み、創る」と何やらクリエイティブな響きがあり、聞いた感じも良い。しかし、詰まるところは地方を活性化させることに変わりはない。ただ、地域活性化は少々狭い意味で、「地域の所得が増えるように事業を推進すること」と経済寄りになる。
石油危機の後をとっても、時の内閣によって幾度となく地方の活性化策は講じられてきた。たとえば、1988・89年の竹下内閣では「ふるさと創生事業」を打ち出し、全国の市区町村に対し自由に使える交付金1億円を配分した。地域振興やまちづくりに活かそうという各自治体のユニークな資金の使い方がいくつか話題になったが、その後の経済活性化効果の検証がなされた記憶がない。その10年後の小渕内閣では、地方の景気を刺激するべく2万円分の「地域振興券」を交付し消費を刺激しようとした。しかし、配布対象を子供とお年寄りに限定したため、家計消費支出には際だった増加を見ることは出来ず、地域振興券発行が景気回復に結びついたとの評価はない。また、近くでは福田内閣の時の「地方再生」という言葉が記憶に残っている。
今回の地方創生も、その実態はこれまでと同様、地方への交付金という形をとっている。ただ、KPIという成果指標で検証することを義務づけていることがこれまでとの大きな違いと言えよう。そういった意味からすれば、再生を果たせなかった地方は、原点に立ち返りまちを創り出すということになろうか。ただ、今回の地方創生のための交付金の使い道にも制約が厳しいとの声が自治体から聞かれる。
東京一極集中
文部科学省の「学校基本調査」における出身校の所在地別の入学者数によると、東京都内の平成28年度に入学した大学生で首都圏以外の高校の出身者は4万7967人である。仮にその8割が平均5万円の仕送りを受けているとすれば、4学年分を考慮して年間の地方からの仕送り金額は約921億円になる。これは、人口23.6万(平成28年1月)の佐賀市の歳入総額(平成27年度決算)945億円や人口25.0万の山形市の歳入総額919億円に匹敵する額になる。1つの地方都市の歳入が、仕送りという形で東京都に居住する大学生へ所得移転していることになる。
図1は、人口や就業者、生産額や所得額、販売額や出荷額など、いわゆる実物経済に関係する指標に関して東京都の対全国シェア、及び金融経済おけるストック指標である銀行預貯金額と貸出額の東京のシェアについて、大きいものから順番に棒グラフで表したものである。
これをみると、実物経済における指標では、人口・雇用関係が11%〜14%、生産・所得関係が16%〜19%となっており、東京の労働生産性が高いことが現れているといえよう。また、しばしば商業として一括りにされる卸と小売りについては、小売販売額は人口・就業者割合と同程度のシェアであるが、卸販売額に関してはその3倍以上のシェアとなっている。総合商社の本社が立地する東京の卸売販売額の大きさを物語っており、財貨の空間的な移動を統括するという意味での業務機能の大きさを表していることになる。資金供給力と資金需要力を示す預金額と貸出額でも他のシェアを15ポイント以上も上回っていることがわかる。マネー経済における東京における構造的な集中が表1から窺えるのである。
東京と地方との関係
このような東京への集中は、それ以外の地方(都市)との間にどのような関係をもたらしているのであろうか。図2は東京と地方都市の間の典型的な財貨の流れについて、貯蓄・投資バランス、財・サービスの域内供給と需要のバランス、地方財政の収支バランスの3つの面で示したものである。
地方都市では、一部の工業都市を除いて財・サービス生産供給力と域内需要の関係が移入超過となっている交易収支がマイナスであることが多い。逆に東京では、製造品などの移出額は多くないが、本社サービスなどの移出可能な対事業所サービスについては大きな移出超過となっているのが現実である。地域経済を持続させるには、地方都市はこの赤字分を補填しないといけない。これは通常、政府からの財政移転(所得移転)によって賄われる。しかし、地域に得られた所得は支出されないと貯蓄に回るが、その資金で地域に投資される額が少ないと地域は資金余剰となり、金融機関はその活用先を求めて域外に資金が出ていくことになる。これは、資金需要の高い東京へ向かうのである。ただし地域に資金が余剰となっているわけであるから、その分、先に述べた財政移転額は少なくなる。
東京への人と企業の集積、マネーの集中によって、多くの地方(の自治体)は交易収支の赤字と投資不足を財政移転でカバーしているという構図になっているのである。
地方創生の構造的問題
こう見てくると、一定の就業圏域に地域の範囲を広げて捉えても、そこにおける資金の漏出は構造的なものに起因していることがわかる。たとえば、地方都市における域外資本の立地、これは自治体の企業誘致と関係が深いが、その立地の背後には地方から流出した資金があり、立地企業の収益の多くは再び本社のある東京に還流するということになっている。いずれも東京に企業や人口が集積していること以上にマネーが集まっていることに因っている。
こういった構造的な問題に起因していることは、構造改革を断行することが直接的な解決策である。それは、今回の地方創生で講じられようとしている地方への本社機能の政策意図を持った移転や首都圏の大学の入学定員の適正化などである。移転に伴い地方の拠点に従業員を増やした場合、移転の年から4年間法人税を減税できる措置をとることになっている。
誘致企業は全国各地にあるが、それが地域に根付いて、誘致企業の収益が地域経済への再投資に向かうには、「利用施設やインフラの整備」、「労働力である人材の教育」、「地元企業とのマッチング等地域(企業)との連関構造を強めるための努力」などが必要である。これが次第に資金循環の構造を変えてくる。それには長い年月と努力を必要とする。「地方創生」が真にうまくいくかどうかにはこの地域経済における循環構造を変えていくという長期的視点と粘り強い対策が求められる。
地方創生と地域のこれから
地方創生の課題として、これまでもしばしば指摘されてきたことでもあるが、施策・政策の組み合わせに問題があると考える。つまり、産業振興策と人口政策が結びついていなかったことが問題で、それが今日の人口減少自治体の増加につながっているのではないだろうか。
産業振興でまちの基盤産業の生産需要が高まると、それは賃金の上昇と労働需要の増加から雇用増に結びつく。労働需要の増加は、失業者を減らすことだけでなく、域外からの転入者を招くことになり人口の社会増加につながる。転入者が若年層であれば、人口の自然増に期待がもてる。この基本的な経済メカニズムが政策的に構築できなかったのである。
人口減少を食い止めるのは容易なことではない。出生者数を一度に増やすことはできないが、若い人の転入増加はやがては出生数の増加につながるであろうし、元気な高齢者の転入は死亡率の低下にも関係するであろう。このことは、子育て支援や女性の労働環境改善という自然増加に向けた取り組みと移住者支援という社会増加への取り組みが別々の課で行われてはいけない。産業振興での雇用増加と転入施策が連動していることが肝要である。
地方創生の本質
受験勉強には合格体験記がつきものである。誰しもそのサクセス・ストーリーを自分に当てはめたいと思う。しかし合格体験記をそのまま真似てやっても、現実にうまくいくことは多くない。それは個人の資質や環境が異なるからである。ただ、勉強をすることの本質は同じである。地方創生も同じだと思われる。巷には地域活性化の成功例を紹介した報告書や書籍、さらにネット情報が溢れている。いくら境遇がよく似ているからといって成功事例をそのまま真似てもうまくいかない。それぞれのまちには固有の歴史と人材も含めた地域資源があるからだ。しかし、地方創生の本質は変わらない。産業と雇用の側面でいうと、基盤産業の素となる有形・無形の地域資源をいかに見つけ、それに磨きをかけ育てていくかである。これには、弱体化した地場産業を復活させること、基盤産業候補を外から誘致することも含まれる。伸ばすべき産業を識別し、産業間のつながり(連関)を強化、非基盤産業への波及効果の向上を目指すことである。
こういったとき、そこにおける人の果たす役割が重要になってくる。岡目八目を期待できる外部の視点(異質な人材の誘致)、そこから生まれる人のつながりというネットワークは、次々にまちに外部効果を生み出す。そして、展望を持ったまちの将来を考える先見性や先導性もまた人の役割である。これらがうまく絡まり合うことは、地方創生にとっての十分条件となる。
『ひょうご自治』平成29年5月号に掲載