やさしい経済学―家族の変化と社会保障

第8回 「老後2000万円」のメッセージ

若林 緑
リサーチアソシエイト

夫婦の老後資金として公的年金以外に平均2000万円が必要になると試算した、金融審議会の報告書が話題になりました。単身世帯の増加に加えて、長寿化や認知症高齢者の増加が背景にあるのでしょう。

公的年金だけでは暮らしていけないことにうすうす気づいていても、あらためて「2000万円が必要」と指摘されたことに、ショックを受けた方も多いのではないでしょうか。

公的年金と私的貯蓄の間の代替的な関係については、経済学においても長く研究されてきました。きっかけは米国の経済学者フェルドシュタインが1974年に発表した論文です。公的年金によって米国の家計貯蓄が大きく減少していることを示しました。公的年金が多くなると、家計は私的な貯蓄を減らすという代替関係を示し、多くの後続の研究を生み出すことにつながりました。

筆者も、旧郵政研究所が96年に行った調査を用い、自営業者世帯とサラリーマン世帯を比較しました。国民年金しかない自営業者世帯は、厚生年金にも加入するサラリーマン世帯に比べ、将来もらえる公的年金の額が少なくなるため、個人年金への加入割合が高いという置き換え効果があることがわかりました。

2000年代に入り、本格的な高齢化社会の到来を見据え、厚生年金の支給開始年齢が引き上げられるなど、人々の公的年金への不安は近年、さらに高まっているように思えます。そうであれば、人々はこれまで以上に防衛的になり、老後生活でのリスク回避のため、貯蓄に励もうとしても不思議ではありません。

日本の公的年金で採用されている賦課方式の下では、少子化で担い手側が減り、高齢化で受け取り側が増えるので、年金の減額は避けられないでしょう。一方で人々は公的年金への不安を募らせ、その不安に対処するために私的な貯蓄を積み増そうと努力しています。金融庁がまとめた「老後資金2000万円」報告書は、私たちがどうしたら「年金を貯蓄で代替」できるのかという道筋を示そうとしたものであり、そのメッセージを決して無視すべきではないと思います。

2020年1月29日 日本経済新聞「やさしい経済学―家族の変化と社会保障」に掲載

2020年2月10日掲載

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