やさしい経済学―大学進学率と賃金格差

第7回 大学教育の方向

川口 大司
ファカルティフェロー

人的資本という概念を使うと、日本と米国の大卒・高卒間の賃金格差の推移や、生涯での賃金の伸びをある程度までは説明できそうなことを、データを用いながら指摘してきた。これらの分析結果から得られる今後の賃金格差の動向についての予想と、政策的な含意を数点指摘してこの連載を終えたい。

大卒・高卒間の賃金格差は、大卒・高卒の相対供給によっても左右されることを指摘したが、大学進学率の伸びが低迷した1960年代生まれが労働力の中核をなす今後数年は、中高年を中心に大卒高卒間の賃金格差は広がるだろう。だが、その後70年代生まれの大学進学率が急増した世代が中核労働者となるころには賃金格差の拡大は収まると考えられる。

今後もIT(情報技術)化に代表される技術進歩が進んでいくとみられ、労働者に求められる技能は高度化していくだろう。この需要に教育がどう対応するのかが今後の日本の経済水準だけでなく賃金格差も決めていくことになる。そのため今後18歳人口の減少は続くものの大学進学率をさらに高め労働者の高技能化を進めていくことが望ましい。

大学進学率が50%を超える中で大学教育に求められる内容も大学のレベルに応じて多様化し、大学側もその対応を急いでいる。例えば工学部で中学レベルの数学の復習から教育を始める取り組みや、通常の読み書き能力を高めるため、学生にリポートを課し教員がそれを丁寧に添削して学生に戻すといった教育が知られるようになった。こうした変化を嘆くのではなく、積極的に評価すべきだろう。

また近年、大学進学率が親の所得に依存することが知られ、これは親の所得が低くて学費が賄えないためだとよく解釈される。米国での同様の観察に対し米シカゴ大学のヘックマン教授らは、大量の個人データの分析を通じて、低所得層の高校生に大学教育を受けるだけの基礎学力がついていないことが進学率を低迷させる重要な要因だと指摘。大学での奨学金充実より低所得層の基礎学力の底上げが低所得層の大学進学率向上にはより有効だと強調した。初等・中等教育の事情が米国と異なるだけに、日本で同様の議論が当てはまるかは不明だが、大学進学の決定要因について知識をより蓄積し、幅広い所得層の子弟に大学教育の機会を与えるためにどんな政策介入が望ましいか、費用対効果を含めて科学的に論じる必要がある。

2010年9月22日 日本経済新聞「やさしい経済学―大学進学率と賃金格差」に掲載

2010年10月15日掲載

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