やさしい経済学―大学進学率と賃金格差

第3回 米国の動向と論議

川口 大司
ファカルティフェロー

米国で大卒・高卒間の賃金格差が1980年以降なぜ拡大したのかは、経済学者の間でも論争がある。特に論争がかまびすしいのが、コンピューターの浸透に代表される急激な技術進歩が賃金格差に与えた影響についてである。80年以降の急速な技術進歩が賃金格差に大きな影響を与えたとする論者は、技術進歩で高技能労働者の生産性が上昇した半面、低技能労働者の生産性はあまり上がらず、持っている技能の高低が賃金格差の拡大につながったと見る。一方、この技能偏向的技術進歩仮説を支持しない論者は、労働組合組織率の低下やインフレによる最低賃金の実質価値の低下など賃金決定の制度の変容に注目する。

この論争は、賃金分布の上半分、すなわち高賃金層内では主に技能偏向的技術進歩仮説をベースに格差が拡大する一方、主に最低賃金の実質価値の上昇や、労働者の持つ技能をコンピューターにとって代わることができない種類の労働が増えたため低賃金層内では格差が縮小したといった考え方が唱えられているが、まだ確定的な結論は得られていない。

コンピューター化による技術進歩は労働需要構造の変化を通じて賃金構造に影響を与えるが、賃金格差は労働供給構造の要因でも変化する。労働供給構造が一定なら、技能偏向的な技術の進歩で大卒労働者の生産性が高卒に比べて上がると賃金格差は拡大する。一方で労働需要の構造が一定のとき、大卒労働者が高卒に比べ相対的に増加すれば、大卒の希少性が低下し格差は縮小する。米ハーバード大学のカッツ、ゴールディン両教授は、20世紀の米国の学歴間賃金格差の動きを概観し、学歴間の賃金格差がどう推移するかは技術進歩と労働者の高学歴化とでどちらのスピードがより速いかで大まかに決まると指摘した。

80年代から90年代の米国での大卒・高卒間賃金格差の拡大要因として、供給側の要因では多くの経済学者の間で合意が見られる。実は大学進学率が頭打ちとなり、供給の伸びが鈍ったため、大卒労働者の需要の拡大に追いつかなくなって、大卒と高卒の間の賃金格差が開いたというものだ。1900年代生まれから40年代生まれまでの世代では大学卒業率が上昇し、大卒の高卒に対する相対供給が増加し続けたが、人口規模の大きいベビーブーマーである1950年代以降生まれの人々は大学卒業率の上昇が鈍化し、大卒の高卒に対する相対供給が伸び悩んだ。このベビーブーマー世代が労働市場に参入するタイミングでだんだんと賃金格差が拡大してきたのだ。

2010年9月16日 日本経済新聞「やさしい経済学―大学進学率と賃金格差」に掲載

2010年10月15日掲載