TPP参加の意義
国際化、生産性向上の鍵に

戸堂 康之
ファカルティフェロー

古来、人類は交易を通じて多様な人とつながることで新しい情報や技術を取り入れ、さらに新たな知恵を生み出して発展してきた。中国で発明された活字印刷の技術が、商人や宣教師によって欧州に伝わり、それがグーテンベルクによってドイツの優れた冶金技術と結び付いて金属の活字による印刷技術が確立されたことは、その好例である。 現代の日本企業も、輸出を通じて海外市場とつながることで、売り上げを伸ばすだけでなく、アイデアを創造して生産性や効率性を上昇させている。例えば、清酒「真澄」で知られる宮坂醸造(長野県)は、輸出を通じてカリフォルニアのワインツーリズムを知り、そのアイデアを取り入れて「上諏訪街道呑(の)みあるき」ツアーを企画して国内需要を掘り起こしている。 宮坂醸造は特別な例ではない。グラフは、1995~2007年の日本企業の労働生産性(従業員1人あたりの付加価値生産額)の平均値の推移を、00年に初めて輸出を開始した企業と、この期間中に輸出を一切しなかった企業に分けて示したものだ。輸出企業は非輸出企業に比べて輸出開始以前から生産性が高いだけでなく、輸出開始後にはその差がさらに開いている。より厳密に分析した慶応義塾大学の木村福成教授らの研究によれば、輸出は企業の生産性成長率を平均で約2%上昇させるという。

グラフ:輸出によって労働生産性は向上する
(従業員1人あたりの付加価値生産額)
グラフ:輸出によって労働生産性は向上する

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輸出だけでなく、海外への直接投資や生産委託、海外からの研究開発投資によっても日本企業の生産性が上昇することが、様々な研究で見いだされている。これらの分析結果は、企業が国際化して世界とつながることで、新しい技術や知恵を生み出して成長することを明確に示している。

ところが、日本の輸出額の国内総生産(GDP)比率は経済協力開発機構(OECD)34カ国中、下から2番目(04~08年平均)で、日本は必ずしも貿易大国ではない。海外からの直接投資額のGDP比も下から2番目、海外への直接投資は25位だ。日本の国際化の度合いは相当低い。

ただ、日本はこれ以上国際化できないわけではない。潜在的に世界で競争できる技術力があるはずなのに、国内市場にとどまる企業が多数あることを、京都大学の若杉隆平教授と筆者らは全国の企業のデータを使って明らかにした。筆者はこのような企業を 「臥龍(がりょう)企業」と呼んでいるが、臥龍企業はどの産業にもどの地方にもあるし、中小企業にも少なくない。

さいたま市の中小企業、金子製作所(従業員96人)もかつてはそうした臥龍企業だった。高い金属加工技術を持ち、航空機や医療機器の部品を生産していたにもかかわらず、2年前までは国内企業の下請けにとどまっていた。しかし、たまたま企業の国際化のためのセミナーに参加し、日本貿易振興機構(JETRO)の支援を受けて海外の展示会に出展したところ、海外企業から高い評価を受けて輸出を開始した。その後は、海外で得たネットワークを活用して、急速に成長している。

こうした臥龍企業は日本の各地に眠っているはずだ。臥龍企業が目覚めて国際化することは、彼ら自身の国内生産や雇用を増やすばかりではなく、彼らが海外で得た知識や技術が日本国内の他の企業にも伝わることで、日本経済全体の活性化にもつながる。だから、政策により企業の国際化を後押しする必要がある。

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そのために最も有効な手段の1つが経済連携協定(EPA)である。EPAによって関税をはじめとする貿易障壁が下がるので、輸出による利益は拡大する。すると、これまではリスクを恐れて輸出をためらっていた臥龍企業の中にも、輸出に踏み切る企業が出てくるはずだ。

しかも、EPAは単なる自由貿易協定(FTA)とは違い、締結国間の海外投資の障壁を取り除くことや知的財産権の保護を強化することなども含んだ、より包括的な枠組みである。従ってEPAは貿易によるつながりを強化するだけでなく、海外投資による生産ネットワーク、共同研究による知的ネットワークの構築にも寄与し、つながりによる成長効果がより大きい。

EPAの中でも、米国をはじめ環太平洋9カ国とのEPAである環太平洋経済連携協定(TPP)は日本経済にとって特に重要だ。理由の1つは貿易拡大効果が大きいことだ。内開府や経済産業省は、TPPによる輸出の拡大でGDPが3兆~10兆円分増加すると試算している。

しかし、それ以上に重要なのはTPPによる新しい知恵や技術の創出効果である。先進国である米国、オーストラリア、シンガポールなどが参加する予定のTPPでは、特にこれが顕著であるはずだ。

実際、専修大学の伊藤恵子准教授の研究によれば、先進国向けの輸出を開始した企業は生産性を向上させるが、アジア向けの輸出についてはそのような効果はない。また、世界平和研究所の清水谷諭主任研究員と筆者の研究によると、海外での研究開発投資は、先進国における先端的なものだけが日本の親企業の生産性を上昇させる効果を持つ。

つまり、先進国とつながる方が成長効果が大きい。しかし、これまで日本が結んだEPAはアジア諸国が中心で、技術先進国はほとんど含まれていない。だからこそ、TPP参加が必要なのである。

一方、TPPに関する懸念も少なくない。例えば、農林水産省はTPPによりGDPが約8兆円減少すると試算した。これは、関税率が10%以上の農作物の生産の大部分が壊滅するとの前提でつくられている。しかし農産物に対する関税撤廃により、国内生産が壊滅するということは考えられない。理由の1つとして、日本の農産物の多くは海外のものより品質が高いことが挙げられる。質の低い輸入米が入ってきても、高品質の国産のブランド米の消費量が激減することは考えにくい。

しかも臥龍企業があるように、農業にも「臥龍農業者」がいるに違いない。高品質の日本のコメは国際市場でも高値で取引されており、近年コメの輸出も増えている。同じような高品質のコメを生産しているのに輸出するなど考えてもいない農家が、きっとたくさんいる。だとしたら、むしろTPPにより日本発の農産物を世界に広めていけるのではないだろうか。

東日本大震災の被災地のことを考えれば、TPPに参加すべきではないという議論もある。しかし被災地にも臥龍企業は多く眠っている。今年の通商白書によると、東北の工業製品は他地域と比べて、海外へ直接輸出されず、国内の他地域で製品に組み込まれてから間接的に輸出されることがかなり多い。これは、潜在的には世界市場で製品を売る技術力を持っているのに、国内企業の下請けに甘んじている企業が東北に多いことを示す。こうした臥龍企業をはじめとする被災地企業が、TPPにより輸出を増やし、海外とのつながりの効果で生産性を向上させれば、被災地の復興にも寄与できるはずだ。

例えば、前述した金子製作所は福島第1原子力発電所から30キロ余りのいわき市北部にも工場があり、原発事故の影響で生産を止めていたが、10月から再開した。こうした元気な被災地企業を応援するためにも、TPPは有効である。

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企業のさらなる国際化のためには、TPPだけでは十分ではない。欧州連合(EU)や中国・韓国とのEPAもTPPに劣らず重要である。また、臥龍企業が目覚めるために、海外市場や国際化支援の情報を効率的に企業に流すためのネットワーク強化なども併せて進める必要がある。

これらの政策の効果を厳密に試算したものはない。しかし、幕末の開国により1人あたり実質成長率が1.7%上昇したことや、企業レベルでみれば輸出や直接投資により生産性が平均で2~3%上昇することを考えれば、国際化の進展で経済成長率が0.5%程度上昇することは、必ずしも野心的な予測ではない。もしそうなれば、現状維持の場合に比べて国際化によるGDPの増加額の累計は10年で100兆円を超える。こうした大きな成長効果を期待できるTPPに日本が参加することを、ぜひとも期待したい。

2011年10月13日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2011年10月21日掲載