弱まる「米国規範」の秩序 混迷の危険 日本も備え必要

竹森 俊平
上席研究員

2024年が始まった。米中対立やロシアのウクライナ侵略、パレスチナ自治区ガザでの戦闘が続くなか、米大統領選など世界経済や秩序に大きな影響を与える重要選挙が予定されている。国際経済学者の竹森俊平氏が今年を展望する。

「人間的環境」

われわれの社会生活がいかに「環境」の安定に依存し、その急変から重大な影響を受けるかを新年早々の災害は示唆した。世界経済が自然的、人間的な環境に依存することも論をまたないが、全世界で20億を超える人々が重要な選挙に参加する本年、人間的環境の変化に注意が必要だ。

経済だけに着目すれば、今年の動向を左右する鍵は「インフレ(物価上昇)」と「金融政策」。家計の貯蓄1兆円が金融機関を通じ企業に貸し出される場合、インフレは1兆円の実質価値を減じて家計を苦しめる一方、債務の実質価値を減らし企業を助ける。低所得の家計はインフレに見合う賃上げが見込めずさらに苦しむ。

インフレに直面した中央銀行は金利の引き上げで国内需要を抑制する。企業の金利負担増につながる利上げが未遂な日本では現在株価が最高水準だが、一昨年来利上げを続ける欧米諸国では景気や雇用情勢の悪化が懸念されてきたのはこのためだ。

ところが直近欧米でもインフレが収まり、年央には利下げに転換すると観測されることが世界経済の楽観的予想の根拠だ。だが人間的環境の変化を考えると見通しは不透明になる。

乖離

今思えば、2015年までの世界は「米国規範」の下で安定していた。

無差別で自由な貿易、言論の自由や司法の独立の柱に立つ民主政治が全世界に広まっていくと単純に信じられたのだ。その後、トランプ米政権が誕生して米中貿易戦争が起こり、新型コロナやロシアのウクライナ侵略があり、現実世界は米国規範から乖離(かいり)した。

21年に発足したバイデン米政権は保護貿易政策を続け、先端産業での対中貿易規制を強化する一方で、22年2月のウクライナ戦争勃発以降、西側をまとめてロシアへの経済制裁とウクライナへの支援を実行し、米国規範復活への希望を生んだ。

しかし戦争が勃発して間もなく2年、戦況は膠着(こうちゃく)し、米国のウクライナ追加支援は下院の反対で停止されている。昨年10月には中東のパレスチナ自治区ガザでイスラエルとイスラム主義組織ハマスの戦争が勃発。この戦争も長期化し、石油生産基地中東全体への紛争拡大の危険を抱える。

中国の行動

米国規範による国際秩序が弱まるなかで中国の行動が注目される。

ウクライナ戦争勃発以来、中国は西側の対露制裁に同調はしないが、ロシアの軍事行動に加担もしない。中東の戦争でもイスラエル支援を明確にした米国とは異なり、アラブ諸国に同調してイスラエルを強く批判するものの、基本的にはここでも「待ち」に徹する。こうした中国の行動様式は、米国規範が崩壊し、代替ルールも存在しない「無秩序の世界」の到来を見据えた戦略とも評される。

敗戦国の焼け野原を思わせる「無秩序の世界」では、腕力のあるボスが思い通りに行動する。といってボスは自ら新しい秩序を生み出そうとしない。中国の場合、自国に得になる貿易は、相手が民主国だろうと強権国だろうと進める一方、オーストラリアのように中国の行動を批判する国があればたちまち禁輸を強行し、「腕力」を見せつける。

そんな乱暴な国とはどこも経済関係を結ぼうとしないと思うかもしれないが、そうではない。

言論の自由や独立した立法の確立が困難なグローバル・サウスの国々にとり、むしろ厄介なのは規範をうるさく要求しながらも自由貿易の見返りを渋る米国で、政治に文句を付けさえしなければビジネスが円滑に進む中国はやりやすい相手なのだ。実際グローバル・サウスの中での中国人気は高く、ガザの紛争で米国がイスラエルを支援したことでとくに中東諸国の米国離れと中国への接近が今後一層顕著になるだろう。

今春に総選挙が予想されるインドは米国が中国進出の歯止めと期待する国だが、米国規範への従属を毛嫌いする点で中国と同じだ。モディ政権が選挙で勝利しても米国規範が世界的に強化される見込みはない。

懸念材料

もちろん一番の懸念材料は11月の米大統領選挙だ。この選挙でトランプ政権が復活すれば、過去の経験からして米国自身が米国規範を放棄する可能性が見えてくる。無秩序の世界を舞台にした米中の腕力競争は熾烈(しれつ)なものになるだろう。

20年の大統領選ではトランプ候補の共和党支持者の得票率は高かったが、バイデン候補は低所得層や黒人を中心とした民主党支持者の得票率が高かったためにバイデン大統領の誕生となった。

今回の大統領選でも、世論調査では共和党支持者のトランプ支持は強固な一方、民主党支持者のバイデン離れが顕著だ。直近インフレ率は3%台まで低下したものの、21年から22年にかけた10%に迫るインフレ率上昇のためトランプ時代と比べ現在の物価水準は高い。そのため米低所得層はバイデン政権こそが生活苦を招いた元凶と考える。政権のイスラエル支持も高学歴の民主党支持者の票にマイナスだ。

世界がさらなる混迷に陥る危険を考え、日本もそれへの対応を進めるべきだ。米国が秩序形成を放棄するなら、欧州との連携が必須になる。

エネルギーを例に取ると、混迷を見据えた中国は石炭に依存する一方、原油、天然ガス確保のためカタール、イラン、ロシアと関係を強化し、原子力、自然エネルギーの推進でも世界の先頭を走る。それだけの準備がなければ焼け跡で太く生きられないと考えるからだ。

こうした問題に日本が踏み込まなくてよいと考えられる時代はもはや終わったのではないか。

2024年1月12日 読売新聞「竹森俊平の世界潮流」に掲載

2024年1月22日掲載

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