各国インフレ 背景に戦争 石油供給 ガザ情勢で不透明

竹森 俊平
上席研究員

ロシアのウクライナ侵略と、イスラエルとイスラム主義組織ハマスの軍事衝突が同時進行し、世界経済の先行きは不透明感が増している。国際経済学者の竹森俊平氏が現状を解説する。

欧州へ打撃

年初から日本を除く主要国の中央銀行が利上げを継続したが、その成果でインフレ率(物価上昇率)は低下した。利上げによる景気下降が明らかな欧州と比べ、米国の直近成長率は5・2%と高い。インフレの大きな原因は高エネルギー価格だが、石油・ガスを自給できる米国と比べ、輸入依存度が高い欧州への打撃は大きかった。

過剰な消費によるインフレなら利上げによる対応が容易だが、現在のインフレはエネルギーを巡る構造要因が背景にあり、しかもその構造要因は戦争だ。この状態ではインフレと不況の両方を政策の視野に入れねばならず対応も複雑になる。

それもこれまではウクライナのロシアからの自立をかけた戦争だけだったものが、今やパレスチナのイスラエルからの独立が主題の戦争までが加わりかねない。二つの石油生産地域が関わる戦争はいずれも早期解決が困難で、先行きの見通しはさらに不透明になる。

戦局の好転を期待されたウクライナ軍の攻勢は夏以降停滞し、西側の計画の脆弱(ぜいじゃく)性を露呈した。制空権のない状態でウクライナ軍が攻勢に転じ、戦況を一気に有利にすることがウクライナ支援への政治意志を保つために必要とした西側の判断はとくに疑問だ。

支援疲れの西側に対し、ロシア側は最低でもウクライナ経済を自立不能に追い込み、北大西洋条約機構(NATO)を弱体化する最終目標について揺るがない。兵力の消耗が激しい作戦をウクライナが続けるなら、大国ロシアは動員力の差を生かして戦況を有利にする。

その対抗には西側の追加軍事支援が不可欠だが、現在米国では下院を支配する共和党の反対でウクライナ支援は止まっている。もし来年の米大統領選で、ロシアのプーチン大統領と関係が深いトランプ氏が再選すれば、米国はウクライナ支援を停止しかねない。

停戦への希望が今や西側で高まる。だがNATOの弱体化というロシアの目標が不変なら、停戦にこぎつけてもいずれロシアは策謀を巡らし平和は続かない。

アラブの心理

厄介な状況で10月7日にイスラエルとパレスチナ自治区ガザを実効支配するハマスの戦争が発生した。1200人のイスラエル側死者を生んだテロ攻撃をハマスが仕掛けた狙いは、イスラエルの過剰反応を引き出し、ガザ地区の非人道的状態を放置するイスラエルへ国際批判を強めることだ。

実際、イスラエルの反撃で1万人以上のパレスチナ人死者が出たが、それでも一時停戦に持ち込めたのは、米国が当初から空母2隻を派遣し、戦争に関与したからだ。米国の目的はイランとその勢力下の組織の軍事介入を牽制(けんせい)すると同時に、イスラエルへの明確な支持と交換にイスラエル軍の行動を監視し、過剰反応を抑制することにある。

ここではアラブ諸国の国民心理が鍵となる。1948年にパレスチナ人を難民化することでイスラエルが建国されたという原体験は、アラブ諸国の国民全体の深層心理を支配する。イスラエルがパレスチナ人抑圧を強め、米国がそれに加担するたびに原体験が喚起され、全アラブの国民の怒りが高まるのだ。

抵抗の枢軸

他方で近年、経済を重視してイスラエルとの関係正常化を目指すアラブ諸国もあった。アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーンに始まり、サウジアラビアとの正常化も見えていた。

保守政治に立つイランだけがこの動きに歯向かい、「抵抗の枢軸」としてヒズボラやフーシなど過激派組織の網を中東に張り巡らしていた。今回の戦争で米国、イスラエルが不用意に行動すればイスラエルはアラブ世界でふたたび孤立し、イランの支配力が強まる。今後のガザ地区の管理をどう築くかがこの点重要だ。

ハマスが実質上ガザの政府という現状をもはや許容できないのがイスラエルの基本線だ。それで93年のオスロ合意で誕生したパレスチナ自治政府が代替する構想が浮上し、米国もそれを長期目標とするが、パレスチナ人が信頼を置かず現在の自治政府に、ガザ地区の管理は不可能だ。アラブ第三国がガザを管理する選択肢も、イスラエル・パレスチナの対立を背負う意思のあるアラブの国がいないために実現困難。

他方、イスラエルのネタニヤフ首相が表明する長期にわたりイスラエル軍がガザを支配し、必要ならパレスチナ人を同地から移住させるシナリオはアラブ諸国国民の原体験を喚起し、紛争拡大を確実に招く。米政府もこれには反対だ。

結局、ハマスを改革し統治を続けさせるか、適当なガザ管理体制を確立するまで米軍が駐留するのが現実的だが、過去の経験からして米軍の長期駐留は中東の不安定を拡大する傾向がある上に、イスラエルへの過剰な肩入れが米国内の民主党支持者のバイデン政権離れを招きかねない。

停戦にこぎつけても平和の見通しが立たない点や、国内政治の対応力を超える米国の対外活動を要請する点で、中東とウクライナの情勢は類似する。

米中関係

今回の事件で米中の関係改善は本物になるかもしれない。石油の安定供給のために中東の平和を望むという点で中国の利益は米国と完全に一致し、そのために中国は今年3月にイランとサウジアラビアの7年ぶりの関係正常化を仲介した。今回も11月20日にアラブ諸国外相が北京を訪問し、戦争終結への協力を要請している。

イランに顔の利く中国でも、イスラエルににらみが利く米国の協力は必要だ。中東の秩序造りに米国が奔走する中で、よそで軍事紛争を起こしてその邪魔をするとは考え難い。11月15日の米中首脳会談でのホットライン合意の意味をそのように解釈したい。

2023年12月1日 読売新聞「竹森俊平の世界潮流」に掲載

2023年12月12日掲載

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