日本・中国 100年前に似る 「対立」から「孤立」の教訓

竹森 俊平
上席研究員

未曾有の被害をもたらした関東大震災から9月1日で100年たった。発生当時の国際経済情勢やその後の展開は、現在の情勢と似た構図もあり示唆に富む。国際経済学者の竹森俊平氏が解説する。

関東大震災

駐日フランス大使として関東大震災を経験した文豪ポール・クローデルは、灰燼(かいじん)と化した100年前の首都東京で、人命救助や物資供給を迅速にこなしていく陽気な米海軍兵の姿に目を見張った。

震災への米国の人道的支援をきっかけに中国問題で対立していた日米の関係は好転する。1905年以来ほぼ途絶えていた米国から日本への融資も日本の震災復興公債の引き受けにより再開され、24年に日本政府は米国資本でも一番格が高いモルガンから3億円(日本政府一般会計の4分の1)の融資を受ける。

それまで米国からの融資が途絶えていたのには事情がある。米国資本による対日融資は日露戦争(1904〜05年)の勝因だったが、ポーツマス講和条約でロシアから譲渡される後の南満州鉄道を、米国鉄道王エドワード・ハリマンが日本と共同経営したいと提案したところ、日露戦で財政が逼迫(ひっぱく)していた日本政府は渡りに船と桂太郎首相を始め前向きに応じた。

ところが「日本兵の命で得た成果を売るのか」という小村寿太郎外相の強硬な反対でこの商談は流れる。日露戦争の際の米側幹事行が商談に絡んでいたために、米国融資もその後途絶えた。日本は中国への進出を米国と協力しながら進める絶好の機会を逃した。

人道的支援の名目ながら、融資再開の背後には米国資本が当時の日本経済の成長性に注目していたという事実がある。日本は第1次世界大戦では連合国側に付き、人手不足の連合国からの戦時需要で産業が急速に伸びた。しかも、稼いだ輸出収入で金準備も増えたので英、仏に貸し出しをするまでになった。そのため21世紀初めに驚異的成長を遂げた中国に商談を求めて米国資本が群がったように、当時の米国資本は日本に群がった。

20世紀初めの中国経済も有望だったが、20年代に内戦が激化したためマーケットは嫌い、ますます日本経済に目を注いだ。

日本に融資したモルガンには世界的に金本位制を再開させて、それを梃子(てこ)に第1次大戦前の安定した経済を復活する大望があった。

大戦後の欧州諸国の財政は脆弱(ぜいじゃく)になり、歳入不足を紙幣増刷で補ったため高インフレと為替変動が常態となった。もしここで民間資本が政府に十分に融資すれば、政府は通貨発行に頼らずに済む。その際民間資本が、金価値との連携で通貨を安定させる仕組み「金本位制」の採用を融資条件にすれば紙幣増発がやみ、インフレも為替変動も収まる。安定した経済の復活だ。

どの民間資本が行動するかだが、ロンドンは大戦で打撃を受けて対外貸し出し能力を喪失したので、モルガン中心の米ウォールストリートが主役になるしかなかった。

米国資本の活動と同時に、米国務省も通商と国際投資の分野で積極行動を取る。焦点は中国だった。19世紀末から欧州列強や日本は中国に軍事進出し、租借地という牙城の確保で周辺の投資、通商を一手に独占することを目指した。これに対して米国は中国に進出拠点を持つ持たないにかかわらず、全中国ですべての列強が同じ条件で取引できる公平性の確立を目指してきた。門戸開放政策である。今回はそれをさらに強力に進めようとした。

日米戦争

融資再開を機に、米国は日本に米国中心の新国際秩序の強力なパートナーになることも期待した。そのために日本が金本位制を再開し、中国大陸で門戸開放政策を取ることを要望する。もしそれに日本が応えていたら日米戦争が起こることもなく、日本は米国と机を並べて以降の国際体制を主導していただろう。残念ながらそうならなかった。大震災から22年後、米軍はふたたび焦土と化した東京の地を踏むが、今度は戦勝国の進駐軍としてだった。

シナリオを狂わせる要因が二つあった。

第一は、金本位制再開案の破綻だ。国内紙幣を一定比率で金と交換する約束である金本位制には金準備がいる。第1次大戦前、主要国は輸出で稼いだ自前の金を準備に充てた。ところが輸出能力を失った大戦後は借金をして充てる。その結果、主要国の金準備は貸し手が借金返済を迫れば消えてなくなる危険が生じた。実際28年に米国が金利を上げると、借金返済を迫られ、金準備が消えて、信用が逼迫した。これによって金融、経済の崩壊をもたらしたのが「大恐慌」だ。

第二は、満州における日本のレガシー(負の遺産)問題だ。米国との共同経営の拒絶後、経済、軍事で満州に深入りした20年代の日本には、過去に築いた牙城の成果すべてをゼロに戻す門戸開放に応じることは政治的に困難だった。大恐慌で経済が打撃を受け、米国中心の世界秩序の構想が揺らぐと、ますます満州への固執を強め、32年には満州国を設立、33年には国際連盟を脱退して孤立する。

実力と構想力

100年前の展開は、今日の中国にも、日本にも参考になる。

21世紀初頭に比類ない成長を遂げ、欧米との経済連携を強めた中国は、望むなら米国と協力しながら国際秩序を構築する一員となれただろう。ところが台湾や南シナ海などのレガシーに引きずられて西側世界の軍事的脅威となり、先端技術を中心に米国の経済制裁も受けて、ますます孤立に進む。

他方、日本はある意味で100年前と似た状況に立つ。今や欧米の資本は中国投資の危険を恐れ、代替的投資先として日本に注目する。1100年前と違い、日本には欧米の期待の妨げになるレガシー問題は存在しない。

それでも別の問題がある。第一は実力。果たして、日本には中国の代わりを務められる技術力、発想力、成長性があるだろうか。第二は構想。果たして、日本には世界秩序の構築に参画し、世界的問題の解決に寄与できる構想があるだろうか。

2023年9月8日 読売新聞「竹森俊平の世界潮流」に掲載

2023年9月22日掲載

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