補助金競争 米が主導権 衝突回避 EUのジレンマ

竹森 俊平
上席研究員

米中対立やロシアのウクライナ侵略が長期化する中、米国が対中露戦略や、自国優先の大規模な産業政策で、西側同盟国をリードしている。その背景を国際経済学者の竹森俊平氏が解説する。

依存

現在、米国は、対ロシア、対中国への戦略や、先端産業政策などの分野で、実質上西側同盟国の司令塔になっている。なぜ、そうなったのか。今後米国の指導力は世界をどこに導くのか。歴史を振り返りながら考えてみたい。

100年前、1923年に歴史上有名なドイツのハイパーインフレーションのピークが来た。その10年後、33年には「大恐慌」と呼ばれる世界デフレへの対応策を議論するために、ロンドン世界経済会議が開かれた。10年間で世界経済の問題が深刻なインフレから深刻なデフレに変化したのには理由がある。

第1次世界大戦の結果、欧州経済は疲弊し、英国、フランスはウォールストリート(米民間資本)に負った巨額債務を、ドイツからの巨額賠償金の取り立てで支払おうとする。

ところがドイツの財政が破綻し、ドイツ政府は紙幣の増発以外に支払い不能となったためにハイパーインフレが起きる。この緊急事態に、米民間資本がドイツにも金を貸し、その金でドイツは賠償金を払い、経済を回すという解決策がまとめられたのを皮切りに、世界経済全体が米民間資本の融資に依存することとなり、米国は世界経済の主導国になる。

ところが28年に米国は金利を引き上げる。利上げを受けた米民間資本は資金調達に詰まり、貸し出しを停止した。米国から借金ができなければ多くの国は物が買えないため、世界需要が激減する事態となり、世界的物価暴落が招かれた。

大恐慌による社会混乱から、32年に満州国を創設した日本や、33年にヒトラー政権を成立させたドイツのように強権政治に走る国がある中、民主主義、自由経済に立つ英米仏が結束し、大恐慌克服に向けた共同戦略を提示できるかの試金石がロンドン会議だった。

米国のルーズベルト新大統領は国内政治への配慮から、「デフレ停止」をロンドン会議の最優先課題として提起し、会議の流れを支配した。しかし、〈1〉欧州が米国に負う債務の減免〈2〉為替レート安定化への米国の協力〈3〉米国の高関税の引き下げ——といった英仏の要望には応じなかったために会議は決裂、失敗する。英米仏は分裂のまま第2次世界大戦を迎えた。

その11年後の44年に開催されたブレトンウッズ会議では、世界大戦での連合国勝利に導いた米国が、終戦を見据え、ロンドン会議当時の英仏の要望も配慮して、前回の失敗を補う政策を提案することで、安定的な戦後経済をもたらそうとした。〈1〉債務国救済のための公的資金枠の設立〈2〉為替レートの弾力的な固定化〈3〉「公平で自由な貿易」を促進する仕組みの創設——などこの時決まった制度が戦後の世界経済の礎となる。

利上げ

現状(2023年)の検討前に、10年前を振り返ると、2013年は08年のリーマン・ショックによるデフレ環境からの脱却が明確になった年で、その6月に当時のバーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長は量的緩和を縮小すると発言して市場を混乱させた。リーマン・ショックの克服には米国の積極的金融財政政策に加え、胡錦濤(フージンタオ)前国家主席の下で中国が08年に打ち出した4兆元(当時のレートで約57兆円)の景気刺激策が貢献している。

4兆元対策の実態は、ダミー会社(融資平台)を使った地方政府の借り入れを財源に、不動産、建設業の投資を拡大する政策だった。地方政府の財政悪化や不動産バブルなど、この政策の後遺症に今も中国は悩むが、ともかく当時の中国は、世界経済の回復に協力した。

それから10年、主要国中央銀行は高インフレに対応する利上げ政策の最終局面にある。100年前と違い、今回は約10年間でデフレからインフレへと世界環境が変化したが、その背景にはエネルギー(原油、天然ガス)価格が高騰し、それが物価の上昇圧力をもたらしたという展開がある。

西側同盟国の中での米国の指導力向上の最大の理由は、ロシア、中国との軍事対立シナリオが浮上し、西側にとっての米国の軍事力、情報力の重要度が増したことだが、米国が原油、天然ガスの生産で世界1位を占め、ロシアによるエネルギー禁輸に平気な構造を持つことも重要だ。将来、ウクライナの経済復興が議題になれば米民間資本の存在感も増す。

対中露

欧州の視点からすると、先端半導体の製品、技術の輸出を禁じる現在の米国の対中産業政策はあまりにタカ派に過ぎ、インフレ抑制法とチップス・科学法という2本の政策に基づく産業補助金を呼び水に、先端半導体、電気自動車(EV)、新エネルギーなどの生産拠点を米国内に築こうとする米国の作戦は、あまりに露骨な利益誘導策だ。

新エネルギーについて、これまで研究、開発に一番力を入れてきたのは欧州連合(EU)だ。それでも、米国自身が設けた「公平で自由な貿易」の原則に反し、巨額な産業補助金を使い、新エネ生産拠点を呼び込もうとする米国の戦略は、EUの政策理念から外れる。

財政が統合されていないEUでは、EU予算での産業補助金は困難で、そうした措置の主体は個別加盟国だが、ドイツなど北に比べ、イタリア、スペインなど南は財政に余裕がないため、補助金競争になれば南は振り落とされる。補助金競争を嫌う一方で、現在西側同盟の対露戦略を主導する米国と、この問題で衝突したくないジレンマもEUは抱える。

寄り合い所帯で政治的妥協が習癖の欧州と異なり、自国の国益に基づく戦略を堂々と主張する米国が同盟の主導権を握るのは毎度のことだが、ブレトンウッズ会議で米国は、欧州も同意できる解決策を後から提案した。

今回も西側同盟内で産業補助金合戦の泥仕合を避けるルールをいずれ、例えば24年の大統領選後に米国が提案することが期待される。

2023年8月4日 読売新聞「竹森俊平の世界潮流」に掲載

2023年8月14日掲載

この著者の記事