迷走の露 苦肉の徴兵 軍事会社制御できず 切り捨て

竹森 俊平
上席研究員

ウクライナへの侵略を続けるロシアで、民間軍事会社ワグネルによる反乱が起きた。歴史的な経緯を踏まえ、国際経済学者の竹森俊平氏が解説する。

「奴隷の軍隊」

米国の本格的徴兵制度は1940年に始まったが、ベトナム戦争が長期化した60年代、この制度により米国の若者が自分の意思と無関係にクジ引きで選ばれてアジアの密林の戦場に送られたことが深刻な社会問題を生み、ニクソン大統領は就任早々、徴兵制撤廃を検討した。そうした状況で経済学者フリードマンと米陸軍参謀総長ウェストモーランドとの間で有名な議論が交わされた。

徴兵制をやめれば、金銭目的の貧困者だけが軍隊を目指すという意見のウェストモーランドはこの時、「『傭兵(ようへい)』による軍隊を自分は率いたくないので、徴兵制撤廃に反対する」と発言した。

それに対するフリードマンの反論がすごかった。「閣下、それではあなたは『奴隷』による軍隊をお望みですか」。米国自身の存亡がかかっているわけでもない戦争に意思に反して若者を駆り出す政策を、生粋の自由主義経済学者は「奴隷制度」に例えたのだ。

徴兵制度を実施する場合、「自分の意思と無関係に国民を軍隊に送る」ことは回避するべきだという認識は、歴史の中で定着していった。

そのような軍隊は戦闘能力が低いか、ローマ帝国時代の剣闘士の蜂起や1917年のロシア革命のように反乱の温床となるからだ。実際、徴兵された兵士中心の軍隊が誕生したのは一般市民に政治への関与を認め、国防の動機を与えたフランス革命の時だった。

19世紀以降、「敗戦」を経験した国々、1810年代のプロイセン(1806年のナポレオン軍への敗北)、1870年代の日本(1853年の黒船来航)、1880年代のフランス(1871年のプロイセンへの敗北)などでは徴兵とともに初等教育制度が大幅に拡充された。福沢諭吉が「学問のすすめ」で述べた「一身独立して一国独立する(国防の重要性を自分で認識できる知能のある国民がいて、初めて国の独立が可能になる)」という思想を政府が共有し、国民の意識向上の手段として初等教育を見直したからだ。

大経済学者にやりこめられたウェストモーランドだが、「徴兵制撤廃は傭兵による軍隊を生む」という予想は正しかった。1980年代以降、民間軍事会社(PMC)が拡大したのだ。

汚れ役 重宝

アフガニスタンやイラクでの米軍作戦にはPMCが不可欠になり、イラクへの進駐兵力がピークとなった2007年のPMCの兵数は16万人で、駐留米軍とほぼ同数になった。兵員増加が必要となった時、州兵や予備役の招集よりはPMCへの一任のほうが国民の反発を招かず、PMC兵の死亡は戦死者として公表する必要もないので、PMCは政治コストの低い手段として活用された。

ワグネルを始めとするロシアのPMCはアメリカのPMCを参考に作られ、中東やアフリカでのロシアの秘密軍事行動とともに急成長する。セルゲイ・ショイグ現国防相たちによる08年の軍事改革案は、徴集兵の兵役期間を24か月から12か月(訓練期間を除くと実働5か月)に減らし、その目標数を26万とする一方、「契約軍人」の目標数は41万人にして、傭兵の役割を徴集兵以上に位置づけた。

国民の政治意識の高まりを抑えつける強権政治の下では、徴集兵の戦闘能力が高まるはずはない。それに対し、すでに訓練を積み、汚い仕事(作戦)にも投入でき、戦死者公表の必要もないPMC兵は重宝される存在だった。

勝手な理屈

22年2月のウクライナ侵攻以来、ロシアの予定通りに戦争が展開していたら、傭兵中心の軍隊により大統領は国民に「犠牲なしの勝利」を誇れたはずだ。それが戦況の膠着(こうちゃく)で台無しになり、ロシアは9月に予備役30万人を対象に動員をかけた。

これがプーチン政権発足以来最大の危機を招いた。ジョージアやカザフスタンに多くのロシアの若者が逃亡し、反政府デモが湧き起こった。とくにデモが活発だったのは徴兵者数が多かった露南部のダゲスタン共和国だ。政治危機を察知した政権は10月に徴兵完了を宣言したが、これがいわば第1幕の終演で、その後に第2幕が控えていた。

軍中枢部が迷走し、軍の体制を傭兵中心から徴集兵中心へと転換する方針を再度打ち出したのだ。

すべてのPMC兵を今年7月1日までに国軍に吸収するという指令がそれだが、この方針にワグネルは従わなかった。PMC兵を自分の私兵と考えるPMCのボスは、国軍への吸収で自分の権力と金銭収入が消滅するのを嫌った。これがワグネル反乱の理由だ。

軍中枢部がPMCを切り捨てた理由としては、〈1〉西側の制裁でロシア財政が逼迫(ひっぱく)し、傭兵に高給を払えなくなったこと〈2〉野心家のPMCのボスが国軍の方針に従わないばかりか、今回のように反逆行動さえとる危険が認識されたことなどが考えられる。

現段階では、昨年失敗した徴兵拡大策を今一度試みる以外に、ロシア政権に残された選択は存在しないと思われる。今年4月に徴兵ルールが厳格化されたのはその準備だったのだろう。

今やロシア国民は、徴兵事務所が招集令状をデジタル送信した1週間後には徴兵されたとみなされ、国外退出を禁じられる。予備役への組み込みも徴兵事務所がポータルサイト上で一方的に行う。

ワグネルを国費で雇っていた事実を認め、反逆者と名指しして攻撃したり、昨年の徴兵をめぐる反乱の拠点となったダゲスタン共和国を訪れ、市民の輪の中に入ったりしたプーチン大統領の言動からは徴兵拡大への意欲が明らかだ。

現在、ロシアの戦略は勝利を狙った攻勢型から、敗北を遅らせることを狙った防御型に変化したといわれる。プーチン氏は「祖国防衛の戦い」を国民に訴えることで徴兵を正当化するつもりだろうが、彼が勝手に始めた侵略戦争を「祖国防衛」とする無理な理屈に国民が納得するかは不確かだ。

2023年7月7日 読売新聞「竹森俊平の世界潮流」に掲載

2023年7月13日掲載

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