グローバル化の行方 西側と中ロ、関係切り離せず

竹森 俊平
上席研究員

高インフレとウクライナ戦争という唐突な出来事のため、生活が苦しくなったとわれわれは感じる。だが1970年代からの歴史を回顧すると、これは「唐突」な出来事ではない。

高インフレだった冷戦時代は、「冷戦の終焉(しゅうえん)」によりグローバル化時代に移行し、低インフレをもたらす。しかし、実はこのグローバル化時代に、新冷戦と高インフレの次の時代=いまを生み出す要因が潜んでいた。

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70年代初頭からの高インフレは、金融政策の理論的枠組みの「第1の変革」と、原油価格高騰という2つの要因が組み合わさった結果だった。それまでの金融政策は、景気ではなく為替レート安定を目的にした。それが71年に米国がドルと金の連携を断ったのを機に、主要国はより緩和的な金融政策に転換する。さらに73年のアラブ諸国とイスラエルの戦争勃発に伴い、サウジアラビアなど湾岸産油国が原油価格引き上げを経済的武器にしたことでインフレは加速する。

インフレ(商品の値上がり)が期待されると、現金より商品の保有が有利となり、貯蓄の取り崩しや借金拡大で商品を購入する活動が広がる。そのため値上がりは加速する。これを止めるには貯蓄を有利に借金を不利にするため、流動性を吸収して実質金利(期待インフレ率の超過分の金利)を引き上げる必要がある。

インフレ率がようやく低下したのは米国では80年代前半。当時のボルカー米連邦準備理事会(FRB)議長による強力な利上げがインフレ期待を収束させた。原油でも70年代に、ソ連の影響力を嫌うサウジが米経済を助けるために価格高騰に増産で応じたが、80年代に入ると省エネ推進を受けて原油価格は崩れる。

80年代半ばに始まる低インフレ時代は、グローバル化が進展した時期でもあった。エネルギー価格の低下は、ソ連経済に打撃を与えた。85年に共産党書記長に就いたゴルバチョフ氏はアフガニスタンからの撤退を決め、中国の経済自由化を学習した。だが政治自由化路線への支持を得るために行ったバラマキ政策がインフレを招き、経済混乱の中で91年にソ連は崩壊する。

世界はこれを「冷戦の終焉」と評価した。89年の天安門事件が示すように、中国では経済自由化は進んでも政治自由化は進まなかった。だが当時の西側の知識層はソ連の経験を基に、「経済の自由化は政治の自由化を必然にする」と短絡した。

世界貿易機関(WTO)に加盟した2001年末以降、中国の成長は加速する。アジアの新興国も続き、その影響で先進国、特に米国の経済は変貌する。

第1に中国と新興国の競争に直面して製造業が衰退する。第2に中国、アジア新興国では金融市場が未発達なため、グローバルなファイナンスは米国に集中した。第3にアジアの躍進が生んだ大消費市場は、データを活用したIT(情報技術)産業の急成長をもたらした。中学歴層の生活基盤である製造業から、高学歴層の職場である金融、ITへのシフトは、米国での反グローバル意識の高まりと国内政治の不安定を生む。

冷戦にも復活の兆しが見られた。図が示すように、低コストの中国の生産拡大でインフレ率は依然低かったが、中国経済のエネルギー多消費構造ゆえにエネルギー価格は上昇を続けた。99年にロシア首相に就いたプーチン氏には、高エネルギー価格は権威主義政治復活への追い風となった。

図:1990年代以降は原油価格高騰でも低インフレを保ってきた

製造を中国に委ね、金融に集中する米国経済の変貌により、低金利政策は物価ではなく住宅を含めた資産価格の上昇を生むようになる。世界の資金が集中する米金融市場では、激しい利潤競争が過剰債務を生み出した。住宅価格の下落をきっかけにそれが信用収縮に転じると、08年のリーマン・ショックをもたらす。

金融危機としては1930年代の大恐慌より深刻だったリーマン危機の経済恐慌への進行を食い止めたのは、金融政策の理論的枠組みの「第2の変革」だった。インフレには中央銀行が政府から独立した金融政策を実行すべきだが、デフレの恐れがある状況では政府・中銀は一体で行動し、政府の財政刺激策を中銀の国債購入で支える行動もとるべきだという、大恐慌時の日本の「高橋財政」に原型がある理論が、信用収縮を経験した米欧で定着した。

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現在先進国は再びインフレ危機に直面する。こうなった理由は3つ。第1に感染症収束期には、需要に比べ供給の回復が遅れる傾向があるためモノ不足が生じる。第2に米バイデン政権は巨額の景気刺激策を実施し、需要の「過剰」を拡大した。米インフレ率は9%に達し、インフレ期待も定着している。第3にウクライナ侵攻にあたり、ロシアはエネルギー価格引き上げを経済的武器にする。それも経済環境がインフレに転じるタイミングを見計らい軍事行動を起こしたのだ。

8%を超えるユーロ圏のインフレの主因はエネルギー価格高騰だ。だが金融・財政の一体化という「第2の変革」の定着の影響で、利上げとなればイタリアなど南欧の財政は厳しい。欧州中央銀行(ECB)は7月に0.5%の利上げを決めたが、同時に南欧の国債価格急落に対し、緊急の国債購入を可能とする措置の導入を決めた。インフレ下でも金融・財政の一体化の維持をもくろむ苦肉の策だ。

インフレはウクライナ戦争の行方にも影響する。欧州連合(EU)がエネルギーのロシア依存を早期に脱却できれば、ロシアは輸出収入を失い、不利な条件での停戦に追い込まれる。だが現状でエネルギー価格上昇は生活への打撃だけでなく、ECBの利上げの必要を生み、南欧の財政を締め付ける。これでEUがロシア依存脱却をためらえば、ロシアは戦局が有利になるまで戦争を続けられる。

ウクライナ戦争は「冷戦の終焉」という神話の虚構性と同時に、自由世界の守護者としての米国の弱みも浮き彫りにした。バイデン大統領は石油増産を求めてサウジを訪問したが、代償不足での増産要求にサウジが応じるか疑問視される。

思えば米国とサウジの関係悪化は「冷戦の終焉」から始まった。サウジによるイスラム主義組織の支援を対ソ戦略として歓迎した米国だが、ソ連がアフガンから撤退すれば話は別だ。ついにイスラム主義組織は米国を標的にした史上最悪のテロ攻撃を実行する。

その報復措置としての約20年に及ぶアフガン駐留を「拙速」に幕引きしたバイデン政権には、サウジとの協力関係を再構築し、中東の勢力均衡を模索する意欲が乏しい。だがエネルギーの戦いが体制間競争の鍵となった以上、中東の呪縛から逃避することが可能という米国の判断は軽率だ。

ロシアのエネルギーからの脱却は可能だが、中国の製品はすでに自由世界の生活に深く浸透しており、かつての冷戦時代のように経済的な封じ込めを完遂するのは難しい。ハイテクの技術・製品を中国の支配から遠ざけることで、自由陣営は粘り強く戦うしかない。

2022年8月9日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2022年8月16日掲載

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