社会保障全体のあり方

橘木 俊詔
RIETIファカルティフェロー・研究主幹

参議院選挙も終了し、与野党ともに年金改革に本格的に取り組む姿勢を示している。国民の将来生活の不安を除くために、年金制度の抜本改革が必要である。ここでは年金制度自体の改革を議論するよりも、社会保障全体のあり方を考えることによって、年金改革への1つの指針を提供したい。

社会保障制度を哲学・倫理学の立場から評価することはさほどなされないので、本稿ではこれを議論してみよう。哲学・倫理学の世界では、コミュニタリアニズム(共同体主義)とユニバーサリズム(普遍主義)の論争がある。共同体主義とは、人々がある属性を共有するとき、その人たちの利益を第1に優先する主義であるのに対して、普遍主義とはこのような人の属性にとらわれず、すべての人を同等に考える主義である。

どのような人の属性があるかといえば、人種、性、宗教、言語、出身国、企業、職業、産業などがある。わかりやすい例を挙げれば、アメリカにおける白人対非白人、宗教におけるイスラム対ユダヤ、カナダにおける英語圏対仏語圏といったものがあり、それぞれが共同体を形成して、敵対する共同体と争いを重ねている。

日本には人種、宗教、言語といったことで際立った個別の共同体は存在しない。しかし、社会保障に関することでいえば、共同体は立派に存在しているのである。それは人の属している企業、職業、産業といったことが重要な変数になっていることで示される。

日本の医療保険制度は、大企業に働く人の企業別組合健保、中小企業で働く人の政府管掌、引退者と自営業者の国民健保、公務員共済、などに分割されている。公的年金制度もサラリーマン用の厚生年金、自営業者と専業主婦を含めた全員の基礎部分である国民年金、公務員共済、といった制度である。これらは人がどういう職業に就いているか、あるいはどの企業(あるいは役所)に勤めているか、によって分割されており、同じ属性を持った人たちの共同体を形成しているのである。

日本ではなぜこのような制度の乱立が見られているのかといえば、福祉を最初に提供したのは大企業だったので、その伝統が続いたし、恵まれた企業福祉の象徴とすらなった。中小企業で働く人や自営業者も福祉が必要と認識されたことは当然で、それらの人だけを対象とした年金、医療の保険制度が用意され、制度の乱立の起因となった。民間企業と公務員が異なった制度をもってきたのは、歴史的に官尊民卑の思想が共同体感として現れたのである。

こう考えると、日本の社会保障制度は共同体主義に基づいているといえる。日本と似た制度をもっているのは職域別に区別されたドイツやフランスであり、これらの国も共同体主義に立脚している。日本の社会保障制度はドイツを模範として導入されたので、日本がドイツを真似たといってもよい。

共同体主義による社会保障制度の特色を述べておこう。第1に、大企業、中小企業、自営業といったように制度が分割されているので、人々の所得の大小、企業の保険料負担能力の差、といったことを反映して、給付水準の格差が相当大きい。

第2に、制度の乱立だけにそれぞれの規模が小さく、各種各様の変化に弱く、財政不安定となりやすい。引退者と自営業者が加入している国民健保は医療給付額は低いにもかかわらず、財政はいつも大赤字であることがこれを証明している。財政豊かな組合健保から国民健保に財政移転がなされたことは有名であり、組合健保すら財政不安定となった。第3に、財源として保険料収入が中心となる。

一方、普遍主義による社会保障制度は、人々がどこで働いているかといったこととは無関係に、国民全員が唯一の年金制度や医療保険制度に加入する。イギリスやイタリアの国民健康サービス、北欧の年金・医療は普遍的唯一の制度が特色であるし、人々の給付の額に大きな差は生じない。財源としても租税収入が中心となる。

日独仏では共同体主義に親しみを感じる人が多く、北欧では普遍主義を望ましいと思う人が多い、といえるのである。双方ともに国民が強い意識でそう判断しているのではないが、結果としてそう解釈できる。

小泉首相は年金の制度を一本化する必要性を説いた。普遍主義を意識したというよりも、制度の乱立によって生じる、先に述べたような弊害の大きさが日本で目立ち始めたので、解決案を述べたのであろう。私自身も年金、医療ともに制度の一本化論者である。国民全員に安心感をもたせる社会保障制度にあっては、制度によって給付額の格差が大きいのは望ましくないし、負担能力の差によってサービスの格差が大きくなりすぎるのも良くない。制度間の財政移転も好ましくない。

これを防ぐのが普遍主義の求める社会保障制度である。国民が統合化された唯一の年金と医療保険制度に加入し、一人一人が基本的な福祉サービスを受ける世界をつくるのである。財源としては主として税収を用い、保険料収入は従とする。

今日の年金改革論議に即していえば、普遍主義に立脚した私の主張は累進消費税を主たる財源として公的年金は基礎年金だけに限定する。ここで累進消費税とは、生活必需品はゼロか低税率に、贅沢品は高税率にする案である。夫婦2人に基礎額17万円の年金を保証する代わりに、二階建て部分は民営化による積み立て方式で運営する。高額所得者には資産調査によって基礎年金の減額支給があってよい。

この方式だと、深刻な国民年金の保険料未徴収、専業主婦の第3号被保険者やパートの未加入、といった問題は一挙に解決する。社会保険料の事業主負担分に困惑している企業にも役立つ制度である。残るは国民一人一人が、サービスに見合う負担にどれだけ応じるかにかかっている。共同体主義から普遍主義による社会保障制度への変革も国民の決断にかかっている。

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2004年8月3日 朝日新聞に掲載

2004年8月20日掲載

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