Research & Review (2005年2月号)

なぜ女性活用策がうまくいかないのか
2004年11月9日、RIETI政策シンポジウム「女性が活躍できる社会の条件を探る」における基調講演

橘木 俊詔
研究主幹・ファカルティフェロー

女性が活躍するための社会の問題

女性の活用策という研究プロジェクトを1年半ほど研究してきました。その成果を皆様の前で披露しまして、忌憚ないご批判なりを受けるというのが今日の趣旨です。我々の研究プロジェクトは「学際的」というのが大きな特徴で、経済学のみならず社会学、教育学の人たちを集め、女性の活用策というものが日本でなぜ成功していないのか、それならば、成功するにはどうしたらいいのかという立場から研究した成果を発表したいと思います。

我々のプロジェクトでは女性が活躍するための問題を多面的な側面から研究して皆様に事実を示し、その事実を踏まえて考えられる政策を紹介したいと思います。これが当研究プロジェクトの大きな目的であります。では、日本において、どのような事実が統計的に確認できるかということをお話ししたいと思います。

まず1番目、差別について。我々経済学者が男女の差を調べるときの変数には2つあります。1つは、賃金において男女間にどれだけの差があるかというのが大きな関心になります。2番目は昇進について。企業において男女に一体どれだけの昇進の差があるかというのが、経済学からみたら一番大きな関心ですので、その事実を簡単に示したいと思います。

(1)賃金格差

図1.給与階級別給与所得者の構成割合

図1をご覧になると、女性と男性とではどの程度の賃金を貰っているか、賃金比率をみた場合には男性の方が高くて、女性の方が低賃金で働いている人が集中しているというのがわかるかと思います。これに関しては様々な解釈があります。例えば、外国などで一番注目される変数というのは教育です。男女において教育の格差があると。男性の方が大学教育を受けている確率が高いから、男性の方が高い賃金を受けるのだという解釈が1つできます。あるいは、女性は企業において昇進が少ないのであれば、たとえば、男性は課長だとか部長とかになる人が多いけれど、女性はそこまでいかないというような事実があれば、地位による差というのも2番目の仮説として出てきます。それから、3番目は働き方の差による違い。フルタイマーかパートタイマーかという観点からみると、女性はパートタイマーの比率が非常に多い。実は女性の労働者の半分ぐらいはもうパートタイマーという時代に日本はなっているので、そういう意味での働き方の違いというもの。男性はフルタイマーが多いですから、フルタイマーとパートタイマーであれば賃金差はある。パートタイマーはフルタイマーよりも1時間当たり賃金は低いですから、1時間当たり賃金という変数で比較するとパートタイマーの比率が非常に高ければ当然格差は出てくるという解釈ができます。

(2)地位の格差
民間企業において係長、課長、部長等の役職に一体女性がどれだけいるかという比率は、部長に至ってはほんの1、2%、課長は3、4%、係長は8、9%前後しかない。これがまさに日本の現状です。これがなぜ起こっているかというのが大きな関心事項です。一体どれだけの人がいわゆるキャリアパターンにいるか、将来企業において係長、課長、あるいは部長に至るキャリアトラックという言葉をつけてもいいと思いますが、最初から男女が平等にキャリアトラックにいるのかいないのかというのが、1つの関心になります。

日本の企業というのは皆様もよくご存じのように、総合職と一般職という区別が20年ぐらい前に非常にポピュラーな人事管理制度でした。つまり、総合職というのはいわゆるキャリアトラックにいる人で、将来の昇進の可能性が開かれている人、道に乗っている人。一方、補助的な仕事しかしないというのが一般職でした。総合職・一般職の男女の比率をみると、圧倒的に日本の企業は女性だけに総合職と一般職の区別をしてきた。男性はほとんど総合職として採用するというのが、企業の人事政策でした。つまり、もう最初から女性を上に上げるつもりはなかった、一般職で採用される人たちというのは最初からそういう気がないという解釈でした。したがって、日本の企業というのは女性を管理職として登用する気はなかったという解釈ができます。総合職、一般職の区別というのは、徐々に日本の企業でもなくなってきており、昔ほどの重要性はありませんが、今でも残っている企業があります。そのようなことを考えると、昇進という意味においても女性はハンディを背負っているという解釈ができるかと思います。

(3)職種の格差

図2.男女の職業構成

次は、女性と男性とで就いている職種の違いというものに興味が移ります。様々な国を調べましたが、図2は、ほぼ万国共通です。男性は、専門職だとか管理職、いわゆるホワイトカラー上級職といわれるのと、現場や工場、あるいは建築現場等で働く肉体労働のほぼ2つに分かれます。女性は、いわゆるホワイトカラー上級職と肉体労働といわれる職種に就く人の比率は割合低く、一般的に事務職と営業職に就く割合が高いということを図2は示唆しています。これは、男女のいわゆる特性、ないしはプレファランスから現れているのか否かというもう1つの争点になるかと思います。日本では徐々に女性でも管理職や専門職志向の人が増えているので、今後を予想するとますます男女の差がなくなる可能性は高いでしょう。しかし、まだそこまではいっていないという現状ですので、職種あるいは職業の構成からもこの問題を探る価値があるかと思います。

(4)教育の格差

図3.大学学部選考分野別の女性比率の推移(1980年度と2000年度の比較)

それから教育の問題ですが、大学で男女が一体どのような比率で専門科目を専攻している差があるかというのを示したのが図3です。これを見ていただきますと、一番左の工学は圧倒的に男性ばかりといってもいいでしょう。これは1980年と2000年とで20年の差がありますので、最近に注目すれば女性でも工学を勉強する人の比率はやや増えておりますが、それでも10%以下と女性が非常に少ない。逆は一番右、家政学部でして、これは8割から9割と圧倒的に女性が多い。日本の社会に現存するいわゆる規範、ノルムというのがこの図を決める1つの要因です。なぜ家政学部に女性が多いのか。これはいわゆる男女の役割分担というものが日本の社会において非常に強かったので、女性は大学で勉強するのは家政学部であって、将来は主婦になるというようなことをもうこの段階から決めている、と理解できるのではないでしょうか。

「性別役割分担」を越えて

次に、差別ということを述べましたので、女性からの視点をご紹介したいと思います。女性からみて自分たちが企業人として働こうとした場合に一体どの分野で差別があるかとの問いに対して、トップに出てくる答えが賃金の分野です。先ほど賃金において男女間に差があると申しましたが、女性からするとそれは差別と映っております。それから、能力を正当に評価してくれていない、あるいは昇進や昇給に差別があるというようなことが出ておりますし、補助的な仕事しかさせてくれない、これは先ほど申しました総合職と一般職の違いというようなことも背景にあるかと思います。それを大卒女性に限定してみてみるともっと深刻で、同じ課目を勉強しても就いた職種というのは男性は割合自分の持っている能力を発揮している分野に登用されるけれど、女性の場合はそのような可能性があまりないというようなことが出てきます。

そういう意味で女性からみたら差別に映る理由がわかると思いますが、一方、企業側からみたらそれは差別ではないという反論も出てきます。どういうことかというと、我々経済学者は、統計的差別というような言葉で代表しているのですが、女性をたとえキャリアトラックに乗せて将来も管理職として登用したいと思っていても途中でやめてしまうという現象があります。数年して結婚や子育てで退職を選択する女性がいる。いくらトレーニングしても、いい職場につけても何年かしたらやめるというような現象が事実として統計として突きつけられるのであれば、企業はそのような人たちを登用しない、合理的な企業であればそのような行動をとることはあり得るでしょう。それを統計的差別と申します。統計的差別からすると、女性が働き続けないのであれば、もうここで女性の昇進とか訓練などをやめようというような気になるのかもしれません。

では、もうやめてしまおうというような現象をなぜ女性が受け入れるかというと、働いていない最大の理由は、育児の負担を非常に感じていることです。ここで我々は大きなジレンマに陥ります。日本においては女性に家事・育児なりの分担が強いられているというのが現状としてあります。それを私は「性別役割分担」というような言葉で代表しますが、それが日本において少なくともノルムというふうに国民の多くが理解しているのであれば、女性が中途でキャリアを捨てて家に入るというのはあながち事実として受けとめなければならないということになります。

そこで、日本においていわゆる「性別役割分担」――男は外で働き、女は家で家事・育児――というようないわゆるノルムが、過去と今とでどれだけの違いがあるかというのをみてみたいと思います。1972年、1997年、2002年に関して、国民全員に男性、女性にそのような性別役割分担を肯定するか、否定するかというようなアンケートをすると、昔は圧倒的に性別役割分担を肯定する人が男女とも多かったのですが、今は大体フィフティー・フィフティーの現状にあるといえるかと思います。だから将来を見据えれば、性別役割分担を男女とも否定するこの傾向が続けば、女性で働きたいと思う人をサポートする必要性は今後さらに高まると思います。

結論を申しますと、男女の問題に関して日本の社会は様々な面で大事な境目にいます。今後日本の社会というのは少子高齢化で労働力が不足する時代を迎えますので、いやが応でも女性に働いてもらって頑張ってもらわなければいけない時代を迎えます。これを社会がどうやってサポートしていくかというのが非常に大きな課題であるということで、私のイントロダクションを終えたいと思います。

2005年3月7日掲載

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