イランをめぐる軍事衝突は日本の外的脅威を一段と深刻なものとしている。しかし目を向けるべきはエネルギー安全保障だけではない。不安に駆られた受け身の経済外交だけでは、日本が直面する課題をかえって深刻にしかねない。
対外環境がいかに厳しくとも、開かれた市場を維持し、世界経済に深く関わり続けることが日本の繁栄と安全保障の根幹であることに変わりはない。
経済安全保障の名のもとに企業負担を増やす防御的政策ばかりが並び、産業補助金が際限なく膨らめばどうなるか。日本の経済的豊かさは損なわれ、安全保障もかえって弱まるだろう。
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ルールに基づく国際経済秩序が劣化しているのは事実だ。それでも市場開放を軸に据えた積極的な経済外交こそが繁栄と安全保障を両立させる道である。1930年代、国際経済秩序が崩壊した際に日本は他の主要国を上回る成長を実現した。マクロ経済運営に優れていた面もあるが、他国よりも開放的な市場を保ったことが成長を支えた。
今日、日本は貿易を外交・安全保障上の武器とする2つの大国に挟まれている。米国は戦後の安定と安全を支えてきたルールに基づく経済秩序そのものを脅かしている。中国は産業補助金を駆使して一部の分野で世界市場を席巻し、市場支配力を政治的圧力に転化させるようになった。
中国の重商主義的政策は欧米や日本の産業の存亡にかかわる脅威だとされる。「チャイナ・ショック2.0」と呼ばれる不公正競争を前に、欧州連合(EU)と米国は関税引き上げで国内産業の防衛に動いた。
たしかに中国はあらゆる分野で競争力があるように見える。しかしすべての産業で比較優位を持つことは定義上ありえない。どの国も資源には限りがある。生産全般がいかに効率的であろうと、何かに特化しなければ生き残れない。
比較優位のない財の輸出を補助金で支え続ける余裕は、中国とて持ち合わせていない。歴史が示すように経済の足かせとなる部門を支援し続ければ、新たな成長の芽は摘まれる。
中国からは資本流出も続く。国内の生産コスト上昇、米国関税の回避、サプライチェーン(供給網)の分散といった動機から、外資も中国企業自身も生産拠点を他国に移しつつある。
日本の比較優位の源泉は、中国が短期間で容易に手にしえないものにある。ESG(環境・社会・企業統治)の高い基準、品質の高さ、そして制度や社会に対する国際的な信頼がそれである。こうした要素の重みは増す一方であり、中国の中間層を含む世界の消費者がそれを求めている。
米国や欧州が中国との競争から退くとしても、日本もついていく理由はない。経済安全保障を名目に追随してしまえば、日本企業はグローバル市場で力を失うだろう。
日本企業は環境変化への適応力に富み、グローバル市場で存在感を示している。経済政策の力点は国内市場の開放性の維持、貿易の利益の社会全体への還元、そして世界経済の開放を守る積極的な外交に置くべきである。
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カナダのカーニー首相は1月のダボス会議で、ルールに基づく国際秩序は終わったと宣言した。これは誤りを含む表現だった。日本の経済安全保障にとって、ルールに基づく国際秩序はなお不可欠である。輸出市場を開放し、エネルギーや原材料、食料を含む輸入品を最も効率的に生産する国から調達できるのはこの秩序があるからこそだ。
カーニー氏が正しかったのは、合意されたルールから「力は正義」へと世界が漂流する中で、各国が連携して活路を見いだす必要があるという点である。その先頭に立てる国として、日本ほど重要な存在はない。
2017年、トランプ大統領が就任初日に環太平洋経済連携協定(TPP)からの米国の離脱を決めた。その後、包括的・先進的TPP(CPTPP)として協定が生き残ったのは当時の安倍晋三首相の指導力によるものだった。同様に現在の高市早苗首相は多国間通商体制を守る国際連携を主導できる立場にある。
米国を再び迎え入れられるようルールベースの体制を機能させ続けるとともに、中国がその体制に深く組み込まれているという現実を直視すべきだ。
対中接近をワシントンに警戒されることを恐れ、新たな地域・国際秩序の形成に関与する機会を日本が見送るのは自らを追い込むだけである。むしろ外交・経済両面のレバレッジ(てこ)を生かし、気候変動から貿易に至る共通課題について対話と協力の余地を北京との間で広げるべきだ。
中国は既存の貿易ルール体制に大きな利害を持ち、強制力のあるルールを志向している。世界貿易機関(WTO)の紛争解決機能の代替として設けられた多国間暫定上訴仲裁アレンジメント(MPIA)への参加はその証左であり、この仕組みは日本にとっても有益に機能してきた。
かつて新興国であった日本は、国際市場から締め出されたことでエネルギー・経済・政治面の不安定に陥った経験を持つ。この歴史は、中国やインドを含む新興国のために開放的な体制を維持することを、日本自身の優先課題とすべきことを示している。中国がこの体制への信頼を失えば、世界との貿易は瓦解に向かい、貿易が平和をもたらす力も失われる。
経済の武器化とゼロサム思考が広がるなか、中国はレアアースをはじめ多くの経済安保上のチョークポイント(要衝)を握っている。しかし市場集中をレバレッジとする戦略は一時的なものにすぎない。乱用すれば企業も政府も代替策を見つけ出し、レバレッジは失われる。開放的なグローバル経済では代替策に事欠かない。むしろ中国こそ多くのチョークポイントに脅かされる立場にある。
したがって日本には、中国との貿易を管理しつつ、外交と通商の深化を通じて信頼を着実に積み上げていく道がある。中国にとってCPTPPへの加入は真の市場改革を促す最も強力なテコになりうる。
CPTPP加入の条件として、中国が支配する重要鉱物の安定供給を保障する条約レベルの約束を求めることも考えられる。MPIAやCPTPPの加盟国間では、経済的手段を武器とすることを互いに封じる合意も視野に入る。
日本がグローバルな課題に最も効果的に取り組めるのは、こうした地域的枠組みを通じてである。補助金に関するルールの策定や安全保障を理由にした例外をどこまで認めるかは、WTOよりも東南アジア諸国連合(ASEAN)や中国、豪州を含むアジアの枠組みで合意を得やすい。
経済安全保障として必要な措置と保護主義の境界を明確にする枠組みも欠かせない。こうした取り組みはルールに基づく秩序を守るため、欧州やカナダ、その他の有志国との連携へと広げていく第一歩となりうる。
2026年4月8日 日本経済新聞「経済教室」に掲載