「顔面にパンチを食らうまでは誰もが計画を持っている」とボクサーのマイク・タイソンは有名な言葉を残している。オーストラリアと日本の国際的なルールに基づく開かれた経済秩序を目指すという計画は、米中両国から顔面を殴られた格好だ。
中国がオーストラリア等の国々、そして以前に日本に対しても行ったとされる経済的威圧行為は、中国との貿易シェアの高さや国際貿易への依存に対する信頼を揺るがしている。
米国による鉄鋼とアルミニウムへの関税と日本車への関税賦課の脅しは、オーストラリアの鉄鋼輸出の自主規制につながり、2019年に日本が米国との貿易協定締結を結ぶ圧力となった。それは当時、オーストラリア政府と日本政府にとって政治的、経済的に都合のよい選択と思われた。
国内の課題に焦点を当てた内向き志向の米国は、今後もルールに基づく国際経済秩序にとって不確実性の源であり続けるだろう。
オーストラリアや日本等のミドルパワーは、現在、実施されている経済安全保障措置を超える新たな計画を必要としている。
ともに米国の安全保障同盟国であり、中国を最大の貿易相手国とする二大ミドルパワーとして、日豪両国は、世界の重要な地政学的、経済的、安全保障上の断層線を自らの裏庭に抱えている。そのため、両国は東南アジアのパートナー国とともに、地域と世界の発展に向け努力しなければならない。
これまでのところ、オーストラリアと日本の経済安全保障政策は、中国の台頭による喫緊のリスクに焦点を当ててきた。オーストラリアのNational Interest Framework(仮訳:国益フレームワーク)のEconomic Resilience and Security Stream(仮訳:経済的強靭性と安全保障の流れ)と日本の経済安全保障促進法は、どちらも主に中国の経済的威圧への対抗策として策定されている。目的は特定の分野と重要鉱物やレアアースのサプライチェーンにおける中国への高い依存を減らすことであり、実質的に中国を名指ししている。
多額の産業補助金に支えられた日本、オーストラリアの経済安全保障政策は、リスク管理と「小さな庭」の周囲に「高いフェンス」を築くことを意図している。「小さな庭、高いフェンス」という考え方のポイントは、少数の産業と技術を保護しつつ、それ以外の分野では自由貿易を維持することだが、米国では「小さな庭」が拡張し続けている。国家安全保障上の利益が本来の目的を超えて拡大し、露骨な保護主義と結び付くことで、他の国々まで同様の傾向が広がる恐れがある。
オーストラリアと日本は、フェンス外の庭は開放したままにし、縮小しないよう注力する必要がある。
防衛手段としての多国間システム
オーストラリアや日本のような自由貿易国にとって、多国間貿易システムこそが経済安全保障の最大の基盤であり、そこに戦略的重点を置くべきだ。さもなければ世界ははるかに小さく、貧しく、危険な状態になる恐れがある。
2020年に中国がオーストラリアに対して展開した経済的威圧は、多国間貿易システムにより最終的には無効化された。多国間貿易システムには弱点があるものの、オーストラリアの輸出業者は代替市場を見つけ、問題から抜け出す道を切り開き、2024年10月には中国による貿易制限は完全に解除された。開かれた世界貿易システムは、代替となる買い手・売り手を確保する上で極めて重要である。
日本は戦後、多国間貿易システムを受け入れたことで平和的に発展を遂げ、国際市場において安心して最低コストで原材料を調達し、紛争に発展することなく既存の工業大国から市場シェアを奪取することができた。最近では、2010年に中国が日本に対して課したレアアース輸出制限が世界貿易機構(WTO)で平和的な解決に至り、中国は決定を受け入れた。
WTOはもはや本来の目的にはかなっていないが、保護主義に対抗する基準点として、また多国間ルールの近代化を進めるための多数国間イニシアチブのプラットフォームとして、依然として重要な役割を果たしている。多数国間暫定上訴仲裁アレンジメント(MPIA)などの多数国間協定は、米国によるWTOの紛争解決メカニズムへの妨害にもかかわらず、ルール施行や紛争解決のための回避策として機能している。WTOは脅威にさらされているかもしれないが、決して死んではいない。オーストラリアと中国に、一連の経済的威圧行為から脱するための道筋を示した。そして中国は MPIA に自発的に参加している。
より多極化した世界へと移行し、権力がさらに分散する中(新興市場国のBRICSグループは、購買力で先進7カ国を上回る規模)、各国間の相互関係を維持するためには、より強固な多国間ルールと規範のシステムが必要になるだろう。今やミドルパワー国は、米国がWTOと多国間貿易システムに残した空白を埋めなければならない。
貿易威圧措置は、代替の買い手や売り手が少ない閉鎖的な市場の世界においては、深刻な経済的損害をもたらすだろう。それは、貿易制限が侵略、不安、そして最終的には戦争を助長した、1930 年代の近隣窮乏化政策の世界だ。中小国にとっての主要な政策目標は、開かれた世界市場を維持することであるべきである。競争的な市場は、市場への介入コストを引き上げ、経済的影響力を弱め、市場支配力と政治力の行使を阻止する。
無差別を原則とし、公平な競争条件を備えた多国間貿易システムは、中小国を大国による支配の世界から守る、国際経済における法の支配の基盤である。制約なく大国によって支配される世界は、はるかに貧しく、安全でない世界となるだろう。
多国間による経済ガバナンスを推進する取り組みは、米国が「中国の成長は米国の国益に対する脅威」とみなし、中国とのゼロサム競争にとらわれていることで複雑化している。経済的威圧の脅威の下に大国が他国に対して選択を迫る状況はますます厳しくなるだろう。ミドルパワー国にとって、米国と取引を行うための段階的な選択(管理貿易協定や自主的な輸出規制など)は、外交的には都合がよいかもしれないが、確立された多国間貿易ルールを弱体化させ、ミドルパワー国の核心的な長期的利益に反する。また、世界経済の均衡が失われ、1930年代に経験したような破局に向かう軌道に導くことにもなる。国際社会が目的を持って行動し、意図的に多国間主義を守る政策を選択することで、その方向性を変えることができる。
WTOを中核とする経済ルールに基づく秩序にとっての大きな試練は、米国のさらなる撤退に耐えられるかどうかだ。現在、世界の他の国々は以前と比べて米国に対して相対的に大きくなっており、システムの崩壊を防ぎ、リーダーシップを発揮する準備が整ったときに米国が再び参加する道を開いておくため、共同で行動しなければならない。
米国の同盟国としてオーストラリアと日本は、米国の繁栄と影響力は、機能的な多国間機関と世界経済に永続的に組み込まれており、オーストラリアや日本、アジアの他の国など、米国に友好的な中小国が、中国や西側諸国との経済交流を通じて自由に繁栄と安全を追求できるということを米国に納得させることに、政治的・外交的エネルギーを注ぐべきである。
中国の利害
中国は、確立された貿易ルールに基づくシステムに多大な利害関係を持っており、オーストラリアや他の国々に貿易制裁を課しているにもかかわらず、MPIA の加盟を含め、強制力のあるルールを好む姿勢を示している。中国はWTO での実績と裁定の受け入れ(WTO のウェブサイトに白黒で記載されている)において、米国や欧州のいずれよりも優れている。中国は他の加盟国同様、システムを巧みに利用し操作する能力を高めており、多くの問題はWTO のルールが時代遅れとなり、中国の行動が世界に大きな波及効果をもたらしている領域に端を発している。
世界最大の貿易国であり、主たる正式な同盟国を持たない中国の状況は、自国の経済的、政治的安全保障を、自国の貿易リスクを管理するシステムに大きく依存していることを意味する。オーストラリア、日本、そして地域全体の経済的、安全保障上の利益は、中国がシステムへ依存し続け、多国間主義的姿勢を維持することにある。
中国の経済・社会の世界経済への統合が弱まると、国際的な政治リスクは減るどころか、むしろ増大する。中国の国内市場に深く浸透する複雑な世界的サプライチェーンに統合されていることが、中国の経済的・政治的行動の制約となっている。オーストラリアは中国の経済安全保障に不可欠であり、特に鉄鋼産業全体の半分以上を供給するオーストラリア産鉄鋼石は、今後数十年は質的にも量的にも代替品がない。また、中国と日本は深い相互依存関係にあり、解消された場合は、経済的にも政治的にも両国に甚大な損害を与えることになるだろう。
中小国が中国の行動を方向付けられる枠組みもある。中国は「デジタル経済連携協定」(DEPA)と「環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定」(CPTPP)への加盟を目指している。ニュージーランド、チリ、シンガポールのデジタル協定は、多国間ルールや規範が欠如しているデジタル経済のルール構築に役立つだろう。中国にとってCPTPP加盟のハードルは高く、現在12カ国すべての加盟国が新規加盟国に対する拒否権を持つ。
中国が CPTPP に加盟するチャンスを得るには、大幅な改革を行い、中国の経済的威圧の標的となってきた CPTPP 加盟国との信頼を再構築する必要がある。中国が WTO に加盟するまでに 15 年かかり、そのプロセスには 2001 年の加盟に至るまでの自発的な改革と公約が含まれていた。中国がCPTPPに加盟するには(もし可能になれば)、同じくらいの時間がかかるかもしれないが、中国が改革と自由化のために外部からの影響力を利用して自国の経済を変革し、信頼を再構築することができれば、その課程は中国と CPTPP 加盟国双方にとって有益となり得る。
連携構築の最も有望な枠組みは、中国も参加する「地域的な包括的経済連携」(RCEP)のようなASEAN中心の協定である。RCEPには、オーストラリアと日本が活性化を支援できる閣僚会議プロセスとインフラを備えた経済協力アジェンダがある。ASEANは貿易に大きく依存しており、それが繁栄と安全の源泉となっている。ASEANと協力して平等な待遇の原則や、包括的協力による紛争の平和的解決を強化することで、経済安全保障リスクを軽減することにもつながる。
経済安全保障政策の誤った経済
経済安全保障政策の限界とその合理性はまだ明らかになっていない。多国間システムにおいて、中国との生産的な関係を形成するための明確な枠組みと目的を持った戦略がなければ、現在の経済安全保障政策は単に経済を「安全保障化」するだけに終わるだろう。
武器化の脅威を理由に相互依存や高い貿易シェアを縮小すれば、各国は貧しくなるだけでなく、安全性の低下につながる。また、加速する気候変動というより大きな安全保障上の脅威への対応も、コストが増加し困難になる。オーストラリアと日本の経済安全保障政策には落とし穴があり、両国とも野心的に脱炭素化の取り組みを進めているが、必要とされるグリーン技術の多くは中国が最前線に立っている。産業への補助金を増やすだけではこの矛盾は解消されないだろう。
経済の開放と統合は安全保障の基盤である。単に政治的同盟、あるいは威圧への恐れから経済関係を解消することは、不安を高めることになる。一方、貿易や経済の意図的な相互依存は、オーストラリアを含む東アジアに平和をもたらす源泉となってきた。そこからの離脱は対立の原因となってきた。
オーストラリアと日本にとっての優先事項は、繁栄と安全を相互補完的なものとしてとらえ、両者の達成に向けた戦略を進めることである。最近の一部の経済安全保障政策がそうであるように、国家安全保障のために経済効率を犠牲にしなければならないという二者択一の選択肢ととらえられるべきではない。
オーストラリアと日本の経済安全保障政策が、開かれた市場とルールに基づくシステムを前提とするだけでは不十分だ。そうではない。ルールに基づく経済システムを守り、かつそれを近代化する戦略こそが両国に必要なのだ。