「出世払い型奨学金」の可能性 社会の流動性向上に寄与

ARMSTRONG, Shiro
客員研究員

ブルース・チャップマン
豪国立大学名誉教授

岸田文雄首相は「新しい資本主義」の構想の一環として、オーストラリアの制度に倣った所得連動返還型の学生ローンである「出世払い型奨学金」を導入し、大学授業料の支払いを支援する施策を提案した。

日本学生支援機構が供与する奨学金は受給者が債務を負う形のものが中心で、借り手が十分な所得を得ていなくても返済義務を免れない。このため日本の学生ローンの借り手は、家族に頼って返済するか、破産に直面することになる。いったん破産すると信用履歴が傷つくため、その後の借り入れが難しくなる。また破産が起きると、未返済の債務は政府に引き継がれるので、納税者の負担となる。

日本学生支援機構が提供する第1種奨学金(無利子融資)は、多くの低所得家計の子弟の進学を助けており、返済が将来の所得に依存する選択肢も用意されている。しかしこの制度は複雑で適用範囲が限られており、改善の余地が大きい。

豪州のシステムは1989年以来、成功裏に運営されている。英国、ニュージーランド(NZ)、ハンガリーなどで同様の仕組みが取り入れられたほか、日本と似た制度を持つ米国、マレーシア、ブラジルなどでも導入が検討されている。

日本の現行システムは、豪州のモデルと重要な点で異なる。豪州の奨学生は所得がないときに返済を迫られることはなく、破産はあり得ない。豪州のシステムはずっと簡単で執行のコストが低い。そしてこのシステムは大学に進むすべての学生に供与されている。

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所得連動型ローンシステムは、簡単ながらも強力なコンセプトに基づく。学生はわずかなコスト、あるいはコストなしで大学に入学し、そのときに負う債務を後に返済する。だがそれは事前に決められた最低限の所得額を上回る所得のある場合に限られる。現在日本で検討されている案では、年収が300万円を下回る卒業生は返済を求められない。もしこの金額を超える年収を生涯得られないならば、その理由を問わず返済を求められることはない。

所得連動型ローンシステムの単純明快な特徴は借り手にとって大きな意味を持つ。財政的に厳しい状況下では返済義務がないため、仮に失業してもローン返済に悩むことがないし、返済に窮した借り手が家族に助けを求める必要もない。

このシステムの下では借り手が破産することがないので、信用履歴に傷がつかず、ローン返済の不安にさいなまれることもない。そして借り手が破産によりシステムから退出することがないため、将来返済される可能性が残り、その分納税者の負担が減るので、政府にとっても好都合だ。

所得連動型ローンの仕組みは、ローン返済の困難と破産に対する保険を提供する効果を持つ。提案されている出世払い型奨学金の下では、学生が不況時に卒業し職を得られない場合、子育てや老齢の親の世話で一時的に仕事を離れねばならない場合でも、ローン返済に伴う悪影響は生じない。

岸田首相による出世払い型奨学金導入の提案は、大学生の授業料支払いは可能なときに行うべきだという考え方に基づく。一部の親は子の授業料を賄う財力がなく、学生ローンの返済が難しい学生は多いだろう。これらすべては所得連動型ローンにより対応できる。このシステムに支えられた大学教育は、貧困者の教育へのアクセスを高めつつ、容易に継続・発展できる。

出世払い型奨学金は未来の学生に力を与え、高等教育のコスト負担を親から学生本人に移すとともに、本人に過大な負担とならないようにする仕組みだ。

日本の多くの大学進学希望者が、財力の不足や将来の低所得によりローン返済が難しくなることへの懸念から、進学をあきらめていることがデータにより示されている。豪州、NZ、英国の大学進学希望者にはこうした心配はない。

現在、全学生の約3分の1が日本学生支援機構の奨学金を活用している。文部科学省の調査によると、20~30%が将来のローン返済に懸念を抱いており、特に所得が850万円未満の家計の懸念が強い(図参照)。

図:日本学生支援機構の奨学金(給付・貸与)に応募しなかった主な理由

多くの国は、大学に進学するすべての学生をローンの対象にしているが、この普遍性はシステムの重要な特徴だ。学生の社会での成功は両親の成功と相関しているが、常にそうだというわけではなく、また裕福な家庭の子弟のすべてが社会で成功するわけではない。

高等教育の財政支援は社会的流動性を高めるのに役立つ。もちろん財力があり子の将来に負債を残したくないと考える親は、入学時に授業料を負担する選択肢を有しており、豪州でも約20%がこれを選んでいる。子に私学教育や学外での学習をさせるために資金負担をしてきた親の多くは、大学教育でも費用負担を続ける可能性が高いだろう。

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所得連動型ローンにはいくつかの興味深い仕組みが組み込まれている。その一つは、早期のローン返済を促すためにローンに金利を付与することだ。高等教育のファイナンスのための他の施策を、現在提案されている所得連動型ローンと組み合わせることで、公平性と効率性をさらに高められる。例えば生活費をカバーするために貧困学生に給付する、ローンの対象を授業料から一部の生活費にまで広げることが考えられる。

所得連動型ローンは多くの国で公的補助の要素を含むが、これを含まない自立型のローン設計も考えられる。また金利水準や返済義務が生じる最低所得水準についても選択と決定が必要だ。これらはすべて具体的な制度設計の問題であり、個別国の状況に応じて決まる。日本での制度設計の詳細は政治的な決定事項だ。

人々の将来の状況には不確実性が付きまとう。この点は、終身雇用制や他の硬直的な慣行からの転換という重要な労働市場改革が進行中の日本で、特に該当するだろう。所得連動型ローンシステムの決定的な重要性は、コロナ危機で生じたような大きなショックや将来の予期せざる苦境に、学生・卒業生が対処するのを助けることだ。豪州、英国、NZの卒業生は、日本の卒業生のように学生ローンの負債に悩む必要がない。

日本の高等教育をファイナンスするシステムは抜本的に改善する余地があり、極端な制度変更を導入せずとも実現できる。出世払い型奨学金は大学教育へのアクセスを高め、予期せざる困難の影響を軽減し、公平性を高め、日本での高等教育に関する資金調達の持続可能性を高める。学生、家計、大学、そして政府財政のすべてが便益を受ける。

岸田首相の学生ローン改革案は、現行制度より公平性が高く、効率的でもある。公平で効率的な新しい資本主義を目指す岸田首相の政策課題の中核として、ふさわしいと考えられる。

2022年7月27日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2022年8月4日掲載