経済を見る眼 五輪の好機を生かせず、コロナ対応の無策

佐藤 主光
ファカルティフェロー

東京五輪の大会期間中、政府がうたう「安心・安全」とは裏腹に変異株を中心として新型コロナウイルスの感染拡大が続いた。東京都の1日の新規感染者数は5000人を超え、選手を含め五輪関係者にも感染が広がった。ワクチン接種の普及もあり高齢者の感染は抑えられ、重症者数も急増はしていない。とはいえ、医療の逼迫への懸念が残る。

仮に時計の針を戻せたらだが、東京五輪は新型コロナ対策を強化する機会になりえたのではなかっただろうか。

五輪の延期が決まったのは、昨年3月24日だった。例えば、この延期の間に空港での水際対策を改善することもできただろう。具体的にはPCR検査の徹底、濃厚接触者の確認および検査陽性者が待機する宿泊施設の確保、それに向けた空港と保健所、医療機関の連携体制の整備などだ。

むろん、五輸とは関係なくこれまでも水際対策は講じられてきた。すべての入国者について14日間の待機期間などを求めている。ところが、帰国者と隔離期間中に連絡が取れなくなるケースが報告されるなど水際対策の不備が露呈している。検疫は空港、濃厚接触者の判定と対応は自治体の保健所という行政の縦割りのままだった。

このため、濃厚接触者であるにもかかわらずウガンダの選手が空港を出て、そのまま合宿地に入った事例もある。本来、五輪をこうした水際対策を見直す契機にするべきだった。

同様のことは医療提供体制にもいえる。大会期間中の医師・看護師の動員や感染した五輪関係者への対応が地域医療を逼迫させるとの懸念もあった。しかし、逼迫しないようあらかじめ医療従事者や病床の確保を進め、大会の期間外でもコロナ患者を受け入れるキャパシティーを高めるという発想があってもよかった。

今回の五輪は、ほぼ無観客開催となった。しかし、観客の受け入れの是非については、やみくもに「安心・安全」を唱えたり、逆に「不安」をあおったりするのではなく、エビデンスに基づく対応ができていたかもしれない。

プロ野球などほかのスポーツでは上限付きながら有観客開催が認められてきた。これを一種の社会実験として感染の広がりとの関連を検証することもできたはずだ。観客には観戦前に抗原検査ないしPCR検査での陰性確認を義務づけたうえで、観戦後には改めて検査を受けてもらうのも一案だ。

実際、英国政府はワクチンの効果や興行での感染状況を確かめるため、サッカー欧州選手権などを「イペント調査プログラム」と位置づけた。観客数は予選段階では会場の収容定員の25%だったが、準決勝と決勝では75%まで認めるなど段階的に増やしていった。観客は入場時に新型コロナの陰性証明もしくはワクチン接種証明を提示しなければならない。

東京五輪の是非やその開催形式(有観客か無観客か)をめぐっては大会以前から世論が割れていた。しかし、本来、五輪と感染対策は「二者択一」ではなく、「両立」を図るべきものだったのではないだろうか。

『週刊東洋経済』2021年8月21日号に掲載

2021年9月30日掲載

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