経済を見る眼 「何とかなるさ」という幻想

佐藤 主光
ファカルティフェロー

政府は6月に新たな財政健全化計画を含む「骨太の方針2018」を閣議決定した。国・地方を合わせたプライマリーバランス(基礎的財政収支、PB)を2025年度に黒字化させるとともに、公的債務残高の対GDP比を安定的に引き下げることを目標に掲げた。また、19〜21年度を社会保障改革を中心とする基盤強化期間と位置づけた。

しかし、20年度のPB黒字化目標が5年先送りされたこと、社会保障費の伸びについても「一律ではなく柔軟に対応する」として、具体的な数値目標を設けなかったことから、財政再建が後退したと受け取る向きも少なくない。

そもそも、3%の経済成長などPB黒字化に向けた経済見通しは楽観が過ぎよう。仮に3%成長を実現するため、規制緩和や働き方改革など一層の構造改革を推し進めるならば、改革の原動力になるかもしれない。

他方、高い成長率を当然視するならば、痛みを伴うような改革をしなくても「何とかなるさ」という風潮が強まり、骨太の方針が掲げる「経済成長と財政を持続可能にするための基盤固め」にもつながらないだろう。「何とかなる」という楽観的な認識を与えてきたのは経済見通しだけではない。

消費増税を先送りしても、社会保障と税の一体改革で約束されていた社会保障の充実のうち、子育てについては国が「何とかしてきた」。日本銀行が続ける金融緩和にしても、国債を大量に購入し、その金利をゼロ近傍にとどめることで図の財政運営(利払い費など)を「何とかしてきた」。しかし、国の借金が1000兆円を超えるにもかかわらず、国民や市場関係者に「何とかなるさ」という期待を持たせた面は否めない。

身近なところでは、上下水道の更新・管理などのコストが増大し、事業の収支が赤字になっても、多くの自治体は料金を上げることなく、一般会計から赤字分を補填してきた。同様に医療費が高くなっても、一般会計からの繰り入れで国民健康保険の保険料の引き上げを避けてきた。いずれも、住民の負担が増えないよう「何とかしてきた」のだろうが、上下水道施設の老朽化や医療費の増加にもかかわらず、「何とかなる」という印象を住民に与えてきたといえる。

このように、国・地方とも厳しい財政見通しを示しつつも、社会保障などの公共サービスで誰も困らないように、これまで「何とかしてきた」のだ。森友問題などで信頼が損なわれたと指摘されるが、わが国の役人は国・地方とも総じてまじめなのかもしれない。

今年1月、米国では政権と議会の対立で連邦予算が通らず、政府機関や自由の女神などの観光施設が一部閉鎖されたという。予算がないのだから当然の措置なのだが、日本だったら「何とかしていた」のかもしれない。しかし、それは「何とかなる」という誤ったメッセージを送り続けかねない。

「何とかなる」というならば、政治家からの歳出拡大の圧力も収まりそうにない。また、国民・住民に国・地方の財政の現状が正しく伝わらず、危機感が共有されないし、“自分事”としての関心も高まらないだろう。

『週刊東洋経済』2018年7月14日号に掲載

2018年7月30日掲載

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