規制・制度の設計、官民共同で 21世紀の産業政策

大橋 弘
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

新型コロナウイルスの感染拡大は世界の人の流れを分断し、社会経済活動に大きな打撃を与えている。国際旅客輸送の落ち込みは、2001年の米同時テロや03年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の時をはるかに上回る(図参照)。

図:グローバル化を背景に世界の国際旅客輸送(有償旅客キロ)は拡大を続けてきた

第2波の到来も懸念される新型コロナの完全終息は見通せない。人と人の接触制限をはじめとする「新しい生活様式」を前提にした社会経済活動も長期化が予想される。心理的な影響も考慮すれば、人の移動がコロナ前に戻るにはかなりの時間を要するだろう。グローバル化が停滞しV字回復の道筋が描きづらい中で、ポストコロナ時代を見据えた新たな産業政策のあり方を検討する必要がある。

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日本では産業政策の成功事例として、戦後復興成長期の重工業産業や電算機産業の育成策が取り上げられてきた。特定産業に重点的に資源を配分し、輸出をテコとして育成発展を目指すものだ。しかしこうした産業政策のあり方は1980年代ごろから大きく後退した。代わりに政府規制を縮小し、市場競争を促進することで経済活性化を目指す潮流が世界的になった。

世界貿易機関(WTO)や国際通貨基金(IMF)などの国際機関も、海外との貿易や投資を活発にしてグローバルな競争を促すことを積極的に支持してきた。

だが米トランプ政権の誕生以降、市場競争に基づくグローバル化の推進に足踏みがみられ始めた。米国は2国間交渉の方が有利な条件を引き出せるとして、環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱を表明した。特に米国では貿易赤字の約半分を占めていた中国が強く意識され、産業政策「中国製造2025」を批判し、18年には知的財産権の侵害などを理由に中国に対して制裁関税を課すに至った。

同時に、中国製の情報通信技術の国際市場への進出は、米国で重大な安全保障上の問題と認識され、米中技術摩擦に発展している。米国政府は20年8月から、華為技術(ファーウェイ)や中興通訊(ZTE)など中国企業5社の部品などを使用する企業との契約・取引を禁じる措置を決めた。今後の推移によっては、日本企業にも少なからぬ影響が出ることが予想される。

新型コロナ感染拡大の局面でも、自国優先主義は弱まるどころか、米中以外の国々にも広がっている。80にのぼる国々が医療用マスクや防護服の輸出規制を課す。米国は独製薬会社から新型コロナワクチンの独占権を買おうと動き、欧州連合(EU)も株価低迷の中で外国企業による域内企業の買収規制を強化している。

グローバルなサプライチェーン(供給網)が分断され、自国優先・自前主義の動きが加速化する現状を、第2次世界大戦の引き金となった状況になぞらえる論調も多い。しかし他国を犠牲にして自国優先を図るブロック経済化は、経済的のみならず社会的・文化的な困窮を自国民に強いる結果を招くだけに、決して目指すべき方向ではない。

新型コロナ感染拡大にある今と1930年代で異なる点は、情報通信技術(ICT)が大きく発展し、映像も含めた即時的なコミュニケーションの伝達コストが大幅に低減したという点だ。テレワークを通じた在宅勤務が広がり、遠隔教育やオンライン診療の取り組みも始まっている。ポストコロナ時代の産業政策は、こうした足元の動きをしっかりつかむことが必要だ。重要な視点が2つある。

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一つは社会経済活動のあらゆる場面でデジタル化を推進する姿勢だ。感染症拡大の懸念が払拭できない中で、経済活動を停滞させないためには、対面主義や書面主義、あるいは押印原則といった行政手続きや民間の商慣習を変えていく必要がある。特に民間の不合理な商慣習は、一民間企業の力で変えられるものではなく、政府が何らかの形で音頭を取るべきだろう。

デジタル時代を迎えて、単に規制を緩和する時代から、政府が民間と共に社会経済活動を規定するガバナンス(統治)や規制の枠組みそのものを見直していく共同規制の時代への移行が求められているといえる。

デジタル化の推進によりプラットフォームに詳細な個人情報が蓄積される。こうした個人情報を公益に資する形で利活用できれば、社会経済活動の改善につなげることも容易になる。他方で、個人情報の利活用によるプライバシー侵害や情報漏洩のリスクに対する十分な配慮が必要だ。また巨大IT(情報技術)企業によるデータ収集に伴う寡占の問題もある。個人情報の不当な取り扱いを防ぎながら、円滑なデータ利活用をいかに進めるかが課題だ。

もう一つ欠かせない視点は、国にとって重要な技術をどう守るかという点だ。コロナ禍での医療用マスクの供給不足の経験は、民間企業のみに依存したサプライチェーンの形成では、緊急時の国民の生命を守れないことを露呈した。

この問題に対しては2段構えで臨む必要がある。まず中長期的な観点では、国際的な協調により自国優先主義を抑止し、自由で開かれたグローバルな経済活動を維持するよう引き続き努力すべきだ。しかしWTOが弱体化し、資本や情報の自由な移動に対する国家規制を制約する国際的なルールが存在しない中では、他国の保護主義的な動きに対する自衛も必要となる。

当面は、国民の生命や社会経済の営みに重大な影響を与える技術や製品の安定供給に支障が生じないように、一定程度を自給できる体制を公益的な視点から検討すべきだろう。自国の安定供給の観点から民間活動を評価する姿勢は、エネルギーや農業など限られた分野でみられてきたが、そうした取り組みを経済活動全体に広げることになる。

日本では改正外為法の施行により、安全保障上重要な日本企業への海外からの出資制限が強化される。今後の課題は、日本が保護主義に陥ったと他国から誤解されないためにも、安全保障上の重要性をむやみに拡大解釈しないように歯止めをかけることだ。そして出資制限の対象となった日本企業に対しては、経営上の緩み(モラルハザード)を招かないように、何らかのガバナンス上の手立てを考えることも必要だろう。

2010年代のグローバル化・市場経済化の進展は、経済成長をもたらす半面、格差社会を助長させたとの指摘がある。こうした影の側面は、新型コロナ感染拡大でさらに深刻の度を増している。今後失業率が高まることが予想される中で、日本経済の産業基盤を維持するためにも、労働市場の流動化やリカレント(学び直し)教育の拡充などを、社会の持つべきセーフティーネット(安全網)の一環として整えるべきだろう。

日本の産業政策は、戦後の高度成長期には政府主導と言われ、その後は規制緩和や民営化などで民間主導の市場経済化を重視して展開された。ポストコロナ時代の産業政策は、政府主導でも民間主導でもない、官民が共同で社会経済制度を作り直す新たな仕組みとして目指されるべきだろう。

2020年6月1日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2020年6月16日掲載

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