産業を空洞化させない市場設計を

大橋 弘
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

果たして地球環境対策と経済成長の両立は本当に可能なのか。経済産業省の「世界全体でのカーボンニュートラル実現のための経済的手法等のあり方に関する研究会」で座長を務め、2021年8月に「中間整理」をまとめた大橋弘東京大学公共政策大学院院長・教授に、カーボンニュートラルに向けた具体的な手法や、今後の政策のあるべき方向性について伺った。
(聞き手:RIETIハイライト編集部)

――研究会ではどのような議論があったのでしょうか。

研究会では、「成長に資するカーボンプライシング(CP)」を制度としていかに設計するかについて検討しました。

その際の問題意識としては、①温室効果ガスの排出で世界全体の約3%であるわが国が、世界全体をどう巻き込んでカーボンニュートラル(CN)を進めていくのか、②欧州で議論が進んでいるCBAM(シーバム:the Carbon Border Adjustment Mechanism=炭素国境調整措置)に日本としてどう対峙するか、でした。国境措置では、これがWTOコンパティブル(互換的)な制度になるのか、そして海外措置と日本の制度を接続させるときに、日本の炭素に対する公租公課が地球温暖化対策税と同額のUS3ドルと海外に周知されている一方で、必ずしも炭素比例ではないかもしれませんが、さまざまな炭素に対する負担を企業・国民がしているのではないかという点も指摘されていたと思います。

「成長に資するCP」の制度設計を考える際には、いくつかのポイントがあります。まず、新たな制度が、企業の研究開発や設備投資の意欲・能力を削ぐものでなく、自律的・自発的なイノベーションや積極的な投資を促すものであること。企業には金融の後押しもあり、脱炭素化を進める意欲は高まっているので、脱炭素化に遅れ気味の企業にペナルティーを課すという発想ではなく、脱炭素化に意欲をもって取り組んで成果を上げている企業を後押しするような制度であるべきだと思います。そして、他国の企業と競争する上で日本企業だけが不当に不利になるような制度の導入は阻止することです。

わが国でしばしば語られる具体的な政策手法には2つあり、1つは排出する炭素にさらなる税金をかける炭素税。もう1つは、排出権を割り当てて取引をさせるものです。温室効果ガスを価格か数量か、いずれでコントロールするのかという手段の違いともとらえることができます。

炭素税と排出権取引では、どちらかというと排出権取引の方がセクター別の配慮を反映しやすいと言われています。例えば、ある産業に対して排出権を無償配布するとか、その無償配布枠を産業構造転換の過渡期に応じて増減させるなどです。しかし、逆に排出権の特例措置は、政治的なロビイングを招きやすいので、制度として運用するのは大変とも言われています。一方、炭素税はそうしたセクター別の配慮を設ける余地を狭めることが可能であり、導入しやすいとの意見があります。

しかし、多くの企業が温室効果ガス対策を意欲的に進め始める現時点において、炭素税なり排出権取引を導入するというのは、企業によっては意欲に水を差すことにもなってしまい、コロナ禍で傷んでいる経済活動の足かせになります。私たちはCPをもっと広い意味でとらえて、「脱炭素に向けて企業や消費者などに行動変容を促す措置全てを含むもの」と考えることが良いと思っています。

例えば、脱炭素に関する知見がない人たちに情報提供をする。いわゆる「ナッジ」を使うなど、もう少しソフトな方法があるのではないか。日本でいうと電力の節電要請も価格での罰則や輪番停電を伴わなくても需給ひっ迫を回避する手段として有効だった事が証明されています。

そういう視点も合わせて、ポリシーミックスを考えていく必要があるということが1つの大きな結論でした。CPを狭義ではなくて広義、広い意味でとらえるべきだろうと思います。

――企業や消費者の行動変容を促す仕組みを作るのですね。

ここで大事なことは、時間軸の感覚をしっかり持つことです。脱炭素にすぐ取り組める代替的な技術が利用可能な業界とそうでない業界があるからです。

例えば、代替的な技術オプションがない業界の典型例として鉄鋼業界があります。炭素を使わず水素で鉄を作る水素還元という技術は知られていますが、まだ実用化されていないので、明日から水素還元でやってくださいと言われてもできない。

代替技術がない業界を追い込んでも、すぐにイノベーションが起きるわけじゃない。脱炭素の技術進歩のスピードに合わせた時間軸を頭の中に置いておかないと、企業は投資意欲をなくしますし、産業の空洞化・リーケージを起こしかねない。そこは企業の自主的な投資のインセンティブを高めるような時間軸の持ち方が大事だと。これも中間整理の結論の1つでもあります。時間軸を踏まえたポリシーミックスの必要性ですね。

2つ目は、予見可能性という視点です。投資の決定には将来に向けての予見性の確保が重要で、政策的な不確実性が高いと投資が萎縮してしまいます。そういう点で、ロードマップを作り、ビジネスの予見性、CN実現に向けた図としての見通しを示しておくことは非常に重要だと思います。

また、CO2は目に見えないので、ライフサイクルや製造工程における「見える化」が重要で、どこでどれだけ自分の行動が炭素を出しているか、カーボンフットプリントのような形で見えるようにする。あなたの行動を、こう変えるとこれだけCO2が減りますということが分からないと、なかなか行動を促せないと思うのです。

2020年秋の菅前総理のCN宣言によって企業の意識が随分変わってきていて、特にサプライチェーンの下流部門から上流部門に対して、もっとCNにできないのかとの要請が届くようになりました。温室効果ガスの排出には、Scope1、Scope2、Scope3の3つのカテゴリーがありますが(図1)、この全てのScopeで排出を減らす意識が企業に高まってきています。足元で企業にできることとして、脱炭素の電気を買う(Scope2)ことが思い浮かびますが、サプライチェーン全体を脱炭素化するとなると、Scope1やScope3をどうやって脱炭素化するのかということになります。

図1:サプライチェーン排出量とは
図1:サプライチェーン排出量とは
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Scope1:事業者自らによる温室効果ガスの直接排出(燃料の燃焼、工業プロセス)
Scope2:他社から供給された電気、熱・蒸気の使用に伴う間接排出
Scope3:Scope1、Scope2以外の間接排出(事業者の活動に関連する他社の排出)
(環境省資料を基に作成)

3つ目は、産業構造の転換です。企業を追い込んで産業構造転換をさせるのではなくて、トランジション、時間軸の中で、自分たちの投資判断の中で、うまく産業構造を転換させていく。上から鉄拳を打ち下ろして言うことを聞かせるのではなく、業界全体として自ら考えて、企業として経営の意思決定の中で取り組んでいただく。そういう支援が成長につながる支援なのではないか。

この3つが、中間整理の重要な論点だったと思います。

――研究会での企業の方々の反応はいかがでしたか。

企業も最近はかなり雰囲気が変わってきていて、そのきっかけの1つとしては、金融の変化が大きいと思うのです。TCFDで世界の金融機関が、投資決定で財務だけでなく環境も見ると言い始めたことで大きな変化が出てきています。今企業では、あからさまに脱炭素に反対する人はいないですよね。

とはいえ、企業が実際にCO2排出量を一定量以上減らすのは難しい。そうなると、当分は海外のクレジットを買うしかない。

問題は、安い海外のクレジットを買うと、海外での植林などには役に立つけれども、日本の排出量削減目標には寄与しないのです。しかしながら、顧客に対してカーボンオフセットするニーズがある会社は、海外のクレジットを買うインセンティブがあると思います。

そうなると論点は2つ。1つは、海外産クレジット購入を国内の排出量削減にカウントできるような仕組みを、パリ協定上しっかり位置付けること。もう1つは、クレジットの購入資金を、国内にいかに還流させるか。日本にも経済産業省、環境省、農林水産省の所管するJ-クレジットという制度があるのですが、なかなかそこにお金が流れていない。J-クレジットの活性化が必要です。森林は大きな吸収源なのですが、木を植えてから育つまで30年近くかかるので、そうしたニーズに応じる新たなクレジットの仕組みを考えることは有効だと思います。

ちなみに国際航空業界は大変で、ICAO(国際民間航空機関)の決定により、2021年から各運航会社は必要量の排出枠を購入してカーボンオフセットをする義務が課されます。国内航空会社も、この規定を守るため、海外クレジットを買うしかない。J-クレジットを早くICAOで認証してもらう必要があります。

また、「カーボンニュートラルトップリーグ」と呼んでいますが、先行的な大企業の取り組みをトップリーグで引き上げて、カーボンクレジット市場は中小企業でもアクセスできるので、こちらで底上げをする必要があるでしょう。

――時代が変わりつつあるのを感じますね。時間軸を考えつつ温暖化対策と成長をバランスさせる、温室効果ガスの排出を見える化して予見可能性を与える、そして産業構造をどう転換させるか。結局は、そうした全ての取り組みが、日本の経済成長になり、世界への貢献もつながるということですね。

CNや2030年目標は、まだ「国是」ではないと思います。温暖化対策でモノの価格が上がることを、国民が望むのかどうか。望まないものを押し付けても社会は動かない。いわばこれは、将来世代と現代世代と対立にも見えます。将来世代のために、どれだけ現役世代がコストを負担するかでしょう。

――まさに年金問題と同じですね。そうした論点も今後議論が必要だと思います。本日はありがとうございました。

2021年10月29日掲載

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