産業政策を問う――競争促進の視点が不可欠

大橋 弘
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

安倍晋三政権が掲げた積極財政や金融緩和のメッセージを持続的な経済成長につなげていくためにも、「3本目の矢」とされる新たな成長戦略が重要だ。電機・半導体などの製造業が低迷する中で、成長戦略における「産業政策」のあり方が問われている。本稿ではわが国の産業政策の歴史を振り返りつつ、今後の産業政策のあるべき姿について経済学的視点から考えたい。 産業政策は過去様々な文脈で用いられてきた。旧通産省の政策を総称して産業政策と呼ぶものまであったが、経済学的には「資源配分に関する『市場の失敗』に対処すべきもの」と要約できるだろう。

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特に産業発展の初期においては、情報の非対称性や、第三者に悪影響を及ぼす外部性の存在などの理由で、市場が想定通りに機能しないことがある。こうした市場の失敗が存在するとき、産業政策のような政府介入が経済学的に正当化される。戦後から1970年代ごろまで、わが国でも補助金・税制・振興策や行政指導を通じて、重工業をはじめとする特定産業に対して重点的な資源配分がなされ、繊維や鉄鋼などの分野でカルテルが数多く形成された。

その後、高度成長期の貿易・資本の自由化の進展や日米構造協議などを通じて、特定産業に対する産業政策は大きく後退した。日本経済が成熟するにつれて、成長する産業と衰退する産業との明確な区別が難しくなり、産業単位で振興策を図ることが困難になったという事情がある。

また米国や英国を中心とする欧米各国が規制緩和・民営化へと政策のかじ取りを転換したことも大きい。限られた政策資源を効率的に活用するため、構造改革を推進するのが効果的であるとして、産業政策は競争政策を主軸とする「企業・事業」政策の色合いが濃くなっていった。

こうした理念の変遷には、経済学の側における研究からの影響も無視できない。従来の産業政策の効果を事後的に評価すると、政策の有効性が一般に信じられていたほど鮮明に表れてこなかったのだ。こうした研究結果は、政府が市場の失敗に対して適切に対応できるのかという疑問を生むことにもなった。

また、(1)市場が失敗するのと同様に政府も失敗を犯す可能性があり、後者の社会的なコストも無視し得ないのではないか(2)振興すべき特定産業を政府が適切に選べるのか――という批判に対して有効な反論がなかったことも伝統的な産業政策に対する悲観論を加速化させる一因になった。産業政策により振興すべき産業が、市場の失敗以外の理由(政府介入の影響や官による天下りなどの目的)で選択されるのではないかとの疑念が払拭されず、産業政策に対する関心が世界的に失われた。

2008年秋以降の世界経済危機を通じて、産業政策が再び脚光を浴びることになった。わが国や欧米諸国では、エコカーに対する支援など特定分野に対する内需拡大策や個別企業に対する経営支援など、これまでにない政策が展開された。想定外の外生的な需要ショックが原因で企業が経営危機に陥ることを避けるための時限的措置として考えれば、一定の効果を持ったと評価できるだろう。

しかしこうした措置を継続的に実施することは、本来衰退すべき産業や退出すべき企業の延命策との区別が曖昧になり、産業構造の転換を遅らせることにもなりかねない。安倍政権下での成長戦略においては、世界経済危機以降にみられた緊急避難的措置とは異なるアプローチが必要だ。

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歴史的な背景を踏まえれば産業政策は今後も競争政策を主軸とすべきだ。欧米の背中を追っていた時代と異なり、現在の日本では次代の産業構造や成長産業のビジョンを描くことは容易でなく、産業単位にターゲットを絞った政策は行き詰まっている。不採算事業の縮小や事業統合による新陳代謝を進めるために、さらなる構造改革・規制緩和の推進は有効であり、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加決定はその意味で有効な産業政策への一歩と評価できる。同時に、日本経済を取り巻く環境が劇的に変化する中で、産業政策が対処すべき「市場の失敗」も変容している点に注意すべきだろう。

とりわけ加速度的な情報通信技術の発達とインターネットの普及により、技術が容易に国境を越えて模倣・伝搬されるようになったことは、日本企業の技術力と収益性の確保に対して新たな課題を提起している。また生活必需品への需要が一巡したのち、新興国においても消費者が求める付加価値が個に応じて多様化し始めており、新たな需要を創出するためのビジネスモデルの模索が続いている。

昨今の経済社会の環境変化を考えれば、経済の新陳代謝を後押しするために新たな産業政策を模索すべき時期が来ている。以下では、今後の日本経済の活性化を考えるうえでの重要な課題である既存企業の再生と新事業の創出の2つを取り上げて議論したい。

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企業再生とは競争力のある技術を持つにもかかわらず、債務超過に陥った企業から不採算部門を切り離して立ち直らせる事業である。債権放棄により再生が見込まれ清算を上回るリターンが得られるのであれば、企業再生は民間企業で自律的に取り組みうる。だが個人保証や不動産担保偏重など伝統的な融資慣行が残り、再生事業を進めるための民間ノウハウが散逸している場合、官民ファンドが時限的に民間事業の補完的な役割を果たす余地がある。

新事業の創出については、経済成長とイノベーションの原動力となることが実証的にも明らかだが、事業が独り立ちするまで息の長い取り組みが必要とされる。経済協力開発機構(OECD)主要国の中で国民1人あたりベンチャー投資額を比較すると、わが国は最下位に近く、起業数も国際的に精彩を欠いている。

この状況を打開するため、需要・供給双方の面からイノベーションの活性化に国が取り組むことは十分意義がある。資金供給の面では、民間投資の呼び水的な役割を国が果たすべく、欧米と比べて過少な年金基金からのベンチャー投資を改善することが考えられる。またイノベーションの需要創出では、特区の仕組みをこれまで以上に活用する視点が重要だ。政府系ファンドの産業革新機構の取り組みは、いわば特定企業に「特区」を与えて支援するもので、成功事例を生み出すことでベンチャーに対する見方を変えることが期待される。

もちろん官民ファンドを使った産業政策の手法には多くの課題があることも事実だ。例えば企業再生では、日本航空への公的支援に関連して公正な競争環境をゆがめていると懸念の声がある。背景としては、わが国の現行支援スキームに競争の観点が乏しいことを指摘できるだろう。

欧州連合(EU)では、競争事業者との平等な競争条件を補償措置により確保することを前提に公的支援を認めている(表参照)。この補償措置に似た考えは企業合併審査でも採用されており、わが国にもなじみ深い。競争政策の観点から支援決定の是非や評価をすることは、政府の失敗による弊害を最小限に食い止めるのにも有効なことから、EUの国家補助ガイドラインはわが国の公的支援のあり方を考えるうえで参考になる。

表:EUの国家補助ガイドライン(企業再生について)表:EUの国家補助ガイドライン
(出所)国土交通省の資料をもとに作成

経済活動を活性化させるために、万能の処方箋があるわけではない。透明性・公平性を確保するために市場競争の規律を生かしつつ、いかに公的支援をするか、どのような手法で事後評価するのか。従来の産業政策になかった新たな視点が必要とされている。

2013年4月2日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2013年4月16日掲載

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