ドル基軸通貨体制の行方 際立つ流動性、地位揺るがず

小川 英治
ファカルティフェロー

ロシアによるウクライナ侵攻を受け、民主主義国家グループがロシアに経済制裁を科している。それには、西側主導の国際送金システムである国際銀行間通信協会(Swift)からロシアの特定の銀行を排除する金融制裁も含まれる。

Swiftで交換された金融メッセージを通貨別にみると、2023年4月時点でドルが42.71%、ユーロが31.74%、ポンドが6.58%、円が3.51%、人民元が2.29%だった。相当の比率を占めるドルによる国際資金決済をロシアの銀行が実施できないため、制裁効果が期待された。

だがSwiftから排除されたロシアの国際資金決済の一部が、直接取引や中国人民銀行(中央銀行)が導入した人民元建ての国際銀行間決済システム(CIPS)に緊急避難的に回避された。そのため国際資金の決済通貨がドルから人民元やロシアルーブルに移行し始めたようにみえる。経済制裁だけでなく金融制裁にも抜け穴があるため、制裁の効果が疑問視される。

さらにドルによる国際資金決済ネットワークからのロシア排除により、国際資金決済に使用されるドルが減る一方で人民元が増え、ドル基軸通貨体制が揺らぎ始めるという指摘もある。

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第2次世界大戦後、ブレトンウッズ体制の下でドル基軸通貨体制が始まった。ルールとして米通貨当局がドルを金に固定し、他国の通貨当局が自国通貨をドルに固定する金ドル本位制の下で為替相場の安定を図った。ドルは支配的なシェアを有する国際通貨、すなわち基軸通貨となった。

1971年のニクソン・ショックにより、ルールとしてのドル基軸通貨体制は終焉(しゅうえん)した。だが73年に始まった総フロート制(変動相場制)の下でも、民間経済主体の選択により国際資金決済の大半がドルで行われ、事実上のドル基軸通貨体制が続く。

ルールによらずとも、民間経済主体がドルを基軸通貨として選ぶ理由は何か。ドルと他の国際通貨について、国際通貨の諸機能(交換手段としての機能と価値貯蔵手段としての機能)を比較してみよう。国際通貨は価値尺度としての機能(契約通貨)も備えるが、交換手段としての機能(決済通貨)の点で選択された国際通貨は大抵、価値尺度としての機能も同時に有するので、ここでは捨象する。

価値貯蔵手段としての機能をみるため、国際決済銀行(BIS)が公表する狭義の実質実効為替相場でドルの価値の推移を振り返ると、現行水準は総フロート制が始まった73年当時とほぼ同じであり、ドル高トレンドにはない。時にトレンドから乖離(かいり)するなど変動幅も大きく、通貨価値の安定性という意味でドルの価値貯蔵手段としての機能は他の国際通貨に比べ必ずしも優れていない。

ドルが基軸通貨として選択される理由は、交換手段としての機能が他の国際通貨よりも優れていることにある。交換手段としての機能は、当該の国際通貨が決済時にどんな取引相手にも受け入れられるという「一般受容性」を前提とする。それには当該通貨を自由に保有・使用できることが必要条件だ。外国為替取引を規制する外国為替管理は一般受容性を阻害する。さらに外国為替市場の取引に厚みがあって、流動性が豊富であれば、十分条件として一般受容性が高まる。

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ドルの交換手段としての機能が相対的にどれほど優位にあるかを実証的に分析した結果を紹介しよう。民間経済主体は、国際通貨を保有することにより国際資金決済を円滑にできるという意味で交換手段としての機能の面で便益(効用)を得る一方、国際通貨保有の実質残高がインフレにより減価する費用に直面する。

国際通貨の保有比率と実質残高の減価率に関するデータから、効用への国際通貨の相対的貢献度を推計した。保有比率はBISのユーロカレンシー(オフショア)市場における内外通貨建て債務残高のシェア、実質残高の減価率は時系列モデルにより推計した予想インフレ率を利用している。

分析結果は、86年第1四半期から16年第2四半期までの期間で、効用へのドルの相対的貢献度が54.4%(ユーロは27.2%、円は5.6%)というもので、ドルが支配的な国際通貨であることが裏付けられた。

図:1.ドル資金の信用リスクプレミアムと流動性リスクプレミアム/2.外国為替管理の米中比較(2021年6月30日時点)

図は、ドル建て銀行間資金(3カ月物)の信用力と流動性について、リスクプレミアム(リスク相当分の上乗せ金利)の推移をみたものだ。信用リスクプレミアムは、無担保で信用力にリスクのあるロンドン銀行間取引金利(LIBOR)と、信用力に難のない翌日物金利スワップ(OIS)との金利差で示した。流動性リスクプレミアムは、取引規模(流動性)が大きく異なるOISと米財務省証券との金利差で示した。

07〜08年の世界金融危機時には銀行間取引におけるカウンターパーティーリスク(取引相手の破綻リスク)が高まったため、信用リスクプレミアムとともに流動性リスクプレミアムが上昇した。銀行はドル建て資金への需要を高めるものの、供給する銀行がいないというドル流動性危機が発生した。このドル流動性危機が発生した07年半ば前後に、効用へのドルの相対的貢献度が54.9%から49.4%へと5ポイント余り低下したが、なおも50%近くを占めた。

米連邦準備理事会(FRB)が金融引き締め政策に転じた22年3月以降、信用リスクプレミアムの上昇は見られないが、流動性リスクプレミアムが再び高まった。金融引き締めでドル建て資金の供給が縮小した一方で、その需要が依然として旺盛なことを示唆する。

前述したように、外国為替管理は外為取引を規制するものだから、国際通貨の一般受容性を悪化させる。表は、国際通貨基金(IMF)の「為替取り決めおよび為替規制に関する年次報告書(AREAER)」を基に、主要な外為取引状況により米国と中国の外為管理を比較したものだ。中国ではほとんどの外為取引に規制が課されている。一方、米国では主に国家安全保障の理由から、シリア、北朝鮮、イラン、ロシアなどの経済制裁対象国に預金封鎖を実施していることを除いて、基本的に外為取引に規制が課されていない。

中国が外為取引に規制を課す限り、人民元は一般受容性の必要条件を満たさないため、一般受容性を有した交換手段としての機能に優れた国際通貨からは程遠い状況にある。中国が近い将来に民主主義国家グループのように外為取引に対する規制を撤廃すれば、一般受容性の必要条件は満たすかもしれないが、流動性の面でも一般受容性の十分条件を満たす必要がある。

99年以降のユーロの登場は国際通貨体制を構造的に変化させた。だがユーロは一般受容性の必要条件を満たすものの、流動性の面で一般受容性の十分条件はドルに及ばない。ドルはなおも基軸通貨としての地位を維持している。ドル建て資金決済の緊急避難的回避の影響は限定的であり、ドル基軸通貨体制は当面揺らがないと考えられる。

2023年5月22日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2023年5月25日掲載

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