1990年代後半、IT(情報技術)バブルに伴って増加した米国の民間設備投資によって、米国の貯蓄不足は深刻になり、経常収支赤字の拡大を引き起こした。2000年代に入ってITバブルがはじけると、米国経済の景気回復を目的にした米連邦準備理事会(FRB)が金利引き下げを急ぐとともに、米政府も財政拡張策を採用した結果、財政赤字が拡大した。この財政赤字拡大は、民間投資の縮小幅を大きく超えるものであったために、経常収支赤字も一段と拡大した。
こうした中で2000年代半ばに住宅投資バブルが発生したため、民間部門の貯蓄不足が一段と拡大し、経常収支赤字幅がさらに増大した。この住宅投資バブルがサブプライムローンとそれに関連する証券化商品によって醸成されたことは、その後の米国発の世界金融危機の発生を見れば、明らかである。
米国内の貯蓄不足額が拡大する中で、バブル化した住宅投資への資金調達は外国に頼らざるを得ない。直接的には欧州の金融機関を通じてファイナンスされたが、巨視的に見ると中近東やロシアなどの原油輸出諸国の経常収支黒字が米国の住宅投資へ振り向けられたと考えられる。
07年夏にサブプライムローン問題が表面化して以降、サブプライム関連の証券化商品で資金を運用した欧州の金融機関のバランスシートは大きく悪化。カウンターパーティーリスクの増大からドル資金調達が困難になり、ドルの流動性不足(超過需要)が起きたため、ユーロや英ポンドがドルに対して急落した。世界金融危機の震源地となった米国の通貨、ドルではなく、経常収支が比較的均衡していた欧州通貨が急落したことは、重要な教訓といえよう。
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グローバルインバランス(世界的な経常収支不均衡)が問題視され始めたのは、90年代後半から2000年代にかけてである。すなわち、米国の経常収支赤字が拡大するにつれて、中近東やロシアなどの原油輸出諸国の経常収支黒字が拡大すると同時に、日本や中国など東アジアでも、貯蓄率の高さを背景にした経常収支黒字が拡大した。こうした不均衡について、東アジアの貯蓄率の高さは尋常ではなく、この経常貯蓄が経常収支黒字を生み出し、その結果、米国の財政赤字や過剰な設備投資や住宅投資が助長されて米国の経常収支赤字が拡大し、世界の不均衡が深刻になったとバーナンキFRB議長は指摘する。
確かに世界のどこかに米国の経常収支赤字のファイナンスを手助けする経常収支黒字国が存在しなければ、米国の経常収支赤字の拡大はありえなかった。しかし、経常収支の黒字国と赤字国とは、ミラーイメージ(鏡像)であり、どちらにグローバルインバランスの責任があるのかと、犯人捜しをするのは無意味であるように思われる。
さらに、ポールソン前米財務長官は、中国などの過剰貯蓄がリスクを世界中に拡散させたと指摘した。貯蓄が実際に過剰だとしても、それによってリスクが世界中に拡散したという指摘は事実に反する。日本や中国を含む東アジアの金融機関は、サブプライムローン関連の証券化商品による損失を欧米の金融機関ほど被ったわけではない。すなわち、東アジアの過剰貯蓄が、サブプライムローン関連の証券化商品を通じて米国の住宅投資バブルを刺激していたわけではない。
もし東アジアの過剰貯蓄が米住宅バブルの背景になっていたとしたら、東アジアでは域内の経済取引も域外の経済取引でも、ドル決済が主流であるだけに、ユーロ急落をはるかにしのぐ暴落が円や人民元を含むすべての東アジア諸国通貨において起こっていたはずである。東アジアの過剰貯蓄は、むしろ米国債で運用されていたのであり、そのこと自体は、米国の財政赤字に起因する持続不可能な経常収支赤字をファイナンスしていたことを意味する。その意味で、むしろ東アジアの過剰貯蓄は、米国の持続不可能な経常収支赤字がファイナンスされなかった場合に起こるであろうドル暴落のリスク軽減に寄与したと評価されてよい。
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しかしながら、国際的な経常収支不均衡をいかに解消するかという問題を考えるときには、話が違ってくる。米国よりも中国こそ不均衡是正にあたるべきだとして、特に中国の経常収支黒字縮小に向けて、「中国の過剰貯蓄を解消しろ」という主張と「人民元を切り上げろ」という主張が存在する。過剰貯蓄解消が必要なのか、あるいは、人民元切り上げが必要なのか、あるいは両方が必要なのか、以下で考えてみよう。
賃金・物価が伸縮的な経済であれば、国内総生産(GDP)は必ず完全雇用水準に落ち着き、これをもとに貯蓄の大きさが決まり、貯蓄投資ギャップから経常収支が決定される。したがって、伸縮的な経済の下では、経常収支の不均衡を調整するのは為替ではなく、貯蓄の多寡になる。
一方、賃金・物価が硬直的な経済であれば、GDPは常に完全雇用水準で決まるわけではない。すなわちこの状況下でも資本移動は比較的スムーズでまず為替相場が決まるので、為替相場は経常収支不均衡の調整手段となりうる。こう整理すると、「過剰貯蓄を解消しろ」という主張と「人民元を切り上げろ」という主張は相反するものと考えることができる。どちらの主張が現実的か先験的に決めることはできず、結論は実証分析によって導かざるを得ない。
以上の理論的フレームワークを利用して、岩壷健太郎・神戸大学准教授と筆者が行った、東アジア諸国の経常収支不均衡解消に関する実証分析の結果によれば、中国においては賃金や物価は伸縮的であり、貯蓄が経常収支の主要な決定要因であることが判明した。一方、為替相場は中国の経常収支の不均衡調整に対して短期的には効果があるものの、長期的には効果をもたらさない。したがって、人民元を切り上げることよりも貯蓄を減少させることで、中国の経常黒字をより実効的に縮小させることができよう。
つまり、中国の経常収支黒字の原因が貯蓄の過剰にあることを必ずしも意味するわけではないが、経常収支黒字を減少させるためには中国の貯蓄を減少させ、消費を増加させることがより有効であるということだ。
一方、日本については、中国と異なり、GDPの大きさが貯蓄を通じて経常収支に影響を及ぼすとともに、為替が経常収支に相対的に大きく影響を及ぼすことが明らかとなった。すなわち日本では、貯蓄を減少させることより為替相場によって経常収支を調整させる方の有効性が高い。
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中国で貯蓄を減少させるということは、経済を外需主導から内需主導に転換することを意味する。一方、日本については、貯蓄率を減少させても日本の経常収支黒字の縮小にはそれほど寄与しない。その背景には、日本経済は、相対的に中国などと比べ外需依存傾向が低いことがある。
最近、中国では、家計の貯蓄が逆に急増、08年末の家計貯蓄残高は前年比で26.3%増加した。これは、年金や医療など社会保障制度が未整備の中で、将来不安が高まっているためといわれている。こうした傾向は、中国の経常黒字を縮小させる方向と逆行しており、消費を中心とした内需主導型の経済への転換がますます遠のきかねない点は注視すべきであろう。
中国の経常収支黒字を縮小させるには、社会保障制度を早急に整備して、将来不安にもとづく家計の過剰貯蓄傾向を是正するような経済政策を採る必要がある。この点で、先ごろ発表された中国政府による4兆元(約52兆円)の財政刺激策は、鉄道網などのインフラストラクチャーの整備よりもむしろ社会保障制度に重点的に支出することが望まれる。また近年、制定された最低賃金法は、もろ刃の剣だが、企業の労働費用負担を高めるものの、低所得者層の所得を保証することによって消費を増やす効果を期待することができるといえよう。
2009年2月17日 日本経済新聞「経済教室」に掲載