「米経常赤字」研究報告 現在の不均衡 持続困難

小川 英治
ファカルティフェロー

米国の経常収支赤字が拡大を続けている。経常赤字をもたらしている財政赤字の大胆な削減は容易ではなく、大幅なドルの下落を通じた調整もありうる。東アジアではドル安の影響が国によって大きく異なることのないよう、為替制度の国際的な協調体制を早急に構築する必要がある。

米国の経常収支赤字は90年代後半から拡大を続け、2005年には対国内総生産(GDP)比で6.4%という極めて高い水準に達した。ドルの過大評価が調整された85年9月のプラザ合意の際には、赤字幅は3%だった。これと比較すると、現在の赤字が深刻な水準に達していることは明らかである。

こうした対外不均衡問題が基軸通貨ドルの価値、ひいては世界経済にどのような影響をもたらすのか世界的に関心が高まっている。そこで、日本経済研究センターは赤字拡大の背景、赤字の持続可能性、考えられる政策対応などを包括的に検討した(主査は筆者)。

基礎的財政収支 経常赤字に影響

対外的な経常収支は、国内の民間の貯蓄投資バランスと政府の財政収支の合計に等しい(ISバランス論)。そして、財・サービスなどの取引の結界生じる経常赤字はその裏で、資本収支の黒字をもたらす。投資が貯蓄を上回っているために生じる資金不足が、海外からの資本流入でまかなわれるのである。

米国の経常赤字拡大の背景については、そうした枠組みの中で、90年代後半のIT(情報技術)ブームによる民間投資の増大、2001年以降の米財政収支の悪化、そして、最近の民間貯蓄の縮小といった米国内の要因が注目されている。

一方、バーナキン米連邦準備理事会(FRB)議長は、経常赤字は米国の政府支出とは関係ないとして国外要因に注目し、アジア諸国をはじめとする世界的な過剰貯蓄の存在を指摘する。これが対米投資の財源になっているからである。

さらに、米国経済の成長に対する期待が高いこと、安全資産として米国金融投資への依存度が高いことなども、世界から米国へ資金が引き続き流入している理由として指摘されている。

ただし、先のISバランス論に立ち返れば、最大の要因は、米国内の民間貯蓄投資バランス、財政収支の悪化である。

1973年第1四半期から2005年第1四半期までを対象に、経常収支に対する基礎的財政収支(借金を除いた歳入と、過去の借金の元利払い分を除いた歳出の差)の影響を分析した結果、「双子の赤字」が特に問題視された80年代と、同時テロのぼっ発やイラク戦争準備で財政が急速に悪化した2002年以降において、ともに財政悪化が経常赤字をもたらしたことが確認できた。

永続の保証ない旺盛な対米投資

このような経常赤字の拡大は、どこまで持続可能なのだろうか。経常収支の水準が定常(発散せずに何らかの水準に収束すること)かどうか、財・サービス収支や所得収支など経常収支を構成する要素の間に長期的に安定した関係があるかどうかについて、「共和分分析」という手法を使い検討した。

分析によると、米国の経常赤字には長期的に安定した関係が見いだされず、このままの状態を維持することはできない。さらに具体的に維持不可能である確率を計算するために「マルコフ・スイッチング・モデル」という手法を使い分析いたところ、2005年の経常赤字の維持不可能確率は95%と高い水準にあることも明らかになった。

このように米国の経常赤字が深刻な水準にあるのに、米国経済が破綻せず国際収支危機に陥っていないのは、経常赤字を十分にまかなう資金流入があるからである。

今後も経常赤字と同額の資金が米国に流入するならば、現行のドルの為替水準で国際収支が均衡し、大幅なドル安は発生しないであろう。資本流入の中で大きなシェアを占めている証券投資に注目し、経常赤字との間に長期的に安定した関係があるかどうかについて共和分分析を行うと、経常赤字と証券投資との間には長期的に安定した関係が見いだされる。

海外から米国の証券市場(公社債及び株式市場)に流入する資金の出し手を地域別に見ると、2000年には対米証券投資額のうち、欧州からの資金が64.4%、日本を含むアジアからの資金が22.8%を占めていたが、2004年には欧州が39.7%、アジアが41.2%と逆転した。

対米資本フローの要因に関する分析を行うと、経済協力開発機構(OECD)非加盟国の対米投資は自国の期待インフレ率と米国の実質金利の影響を受けていることが分かった。米国の実質金利が高く維持されてきたことによって対米証券投資が維持され、経常赤字を十分にまかなうだけの資金が流入している。

近年はさらに、通貨当局のドル準備の積み増しも米国への資金流入に貢献している。通貨当局のドル準備の決定要因について実証分析を行うと、経済規模や経済発展度合いの影響のほか、輸出安定化を目的とした為替介入を通じて外貨準備が増加していることと、通貨危機を経験してリスクに敏感になった結果、予防的な準備を積み増している傾向が示された。

金利動向や様々な環境変化により世界中から米国へ証券投資が行われているが、今後の米国及び世界経済の動向によっては、このような対米投資の増勢にストップがかかる可能性もある。その場合、米国の財政赤字の縮小が大前提となる。

アジアの通貨 協調不可欠に

公表されている見通しによると、2012年には財政収支は黒字に転換する。しかし、より現実的な前提条件、具体的には(1)非国防費をGDP比一定とする(2)イラク駐留経費の追加負担を織り込む(3)将来の税収を過大に見積もる要因になっている「代替ミニマム課税(AMT=高所得者にかかわる税制度)」の適正化、のもとで、財政収支見通しを再検討すると、2009年度に財政赤字を半減するというブッシュ大統領の公約は達成困難と予測される(図)。

米財政収支の見通しと前提条件による変化

また、現実的な前提条件をベースに、今後10年間の基礎的財政収支の改善幅をGDP比で2%弱とした日本経済研究センターの中期予測をもとに財政収支改善が経常収支に及ぼす効果を分析すると、経常収支の改善幅は対GDP比で1%未満にとどまる。

財政収支の改善が難しい場合、次に考えられるのは為替相場の変化による経常赤字の修正である。ただ、為替相場の変化が流入物価に及ぼす効果(パススルー)が低下しており、為替相場の貿易収支調整能力が低下していると言われている。

実際に、いわゆる「新しい開放経済マクロモデル」を利用して分析すると、パススルーが低下するなかで生産性の上昇といった恒久的なショックが起こった場合、経常収支調整に必要な為替相場の変動幅が拡大することが示された。

つまり赤字を維持可能な水準に回復させるには、大幅なドル安が必要となる。プラザ合意後と同程度のドル安が発生しても、経常赤字の改善幅は対GDP比で2.5%程度にとどまる。

ドルの全面安は、様々な為替相場制度を採用している東アジア諸国通貨に対して非対称的な効果をもたらし、域内通貨間の為替相場の不均衡が拡大することになる。とりわけ、事実上ドルをターゲットとした為替制度を維持している中国をはじめとするいくつかの国の通貨はドル安とともに、より弾力的な為替相場制度を採用している国の通貨に対して減価する。このような影響を最小限にとどめるために東アジア諸国の通貨当局間における為替相場政策の協調が必要になる。

2006年4月14日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2006年4月26日掲載

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