政府統計にも不可欠な「人への投資」

森川 正之
所長・CRO

有効な政策を企画、実行する上で政府統計の役割は大きい。政府の統計整備の基本計画冒頭にも、「公的統計は証拠に基づく政策立案を支える基礎」と書かれている。ただ、統計の議論は技術的な性格が強く、専門家以外はわかりにくい。そこで現政権の経済政策の柱の一つ「人への投資」を例に考えてみたい。

労働力の質の向上は、イノベーションと並び長期的な経済成長の二大エンジンだから、人への投資を政策の重点とするのは適切だ。人的資本投資には幼児教育、学校教育、職業訓練など多くのタイプがあるが、足元では企業による従業員の教育訓練の拡大に力点が置かれている。

企業の教育訓練投資の効果は、生産性や賃金がどれだけ上がるかで判断できる。筆者が「企業活動基本調査」のデータを使い分析したところ、教育訓練投資が生産性と賃金を引き上げる効果は大きく、投資収益率に換算すると設備投資よりもはるかに高い。

教育訓練によって高まった従業員のスキルは、1年で失われるわけでなく何年かにわたり持続する。したがって、投資効果を測るには、教育訓練投資を累計したストックの数字が必要となる。教育訓練投資の調査データは色々あるが、「企業活動基本調査」は多くの日本企業を継続的に追跡調査したデータ(「パネルデータ」という)で、しかも企業の生産性を計測する上で最も優れた統計だ。企業ごとの人的資本投資の累積ストック額を計算し、生産性への貢献を測ることができる。

ただし、政府による「人への投資」政策の有効性を明らかにするには、具体的な施策が企業の人的資本投資をどれだけ増やしたかを検証する必要がある。その際も人的資本投資の情報を含む企業パネルデータは不可欠だ。効果的な政策への資源配分を増やし、効果のない政策は縮減していくことが望ましい。

その結果、政策の質が高まれば、多くの国民がその利益を享受する。どんなデータを利用してどのように政策効果を検証するのか、政策立案の段階から具体的なプランを持っているかどうかは、その政策に対する政府の本気度を見極める試金石ともいえる。

近年、政府統計を巡る不適切な事案が相次いだ。この結果、一部の省庁ではリスク回避のため統計調査自体をやめる動きもあるようだ。間違いが起きると困るからやめるというのは本末転倒だが、その背後には政府部内における統計人員の削減がある。

一方、データサイエンス学部を創設する大学が相次ぐなど、世の中ではデータの専門家を育成する動きが広がっている。政府内部で統計作成に携わる人材の確保・充実、さらに政策企画・実施部門職員の統計リテラシー向上は、行政の生産性を高めるために必要な人的資本投資だ。

ここで取り上げた人的資本投資に限らず、イノベーションの活発化、グローバルな諸課題への対応など、様々な重要政策の立案と事後評価の両面で、質の高い政府統計は不可欠だ。特に長期パネルデータは貴重な国民的財産であり、その意義について理解が広がることを期待したい。

2023年1月13日 日本経済新聞「エコノミスト360°視点」に掲載

2023年1月20日掲載

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