生産性高める財政支出 ソフトなインフラに重点を

森川 正之
所長・CRO

新型コロナウイルスの感染拡大を受け、財政支出が増え続けている。2021年度の一般会計歳出は、年末の補正予算で36兆円が追加され、総額143兆円になった。政府債務残高は国内総生産(GDP)の約2.5倍にのぼっている。

一方、日本の潜在成長率は足元で0.5%に届かず、特に全要素生産性(TFP)の鈍化が続く。結果的に、毎年策定される成長戦略は生産性向上を実現できていない。政府支出を拡大すれば総需要は増えるが、潜在成長率が高まるわけではない。需要拡大イコール成長戦略という誤解が多いが、持続的な経済成長には供給側の生産性向上に結びつく政策が必要になる。

図は世界金融危機以降の政府債務残高のGDP比率と経済成長率の負の関係を示している。横軸に純債務を用いても、縦軸に生産性上昇率を使っても同様の関係になる。これ自体は政府債務から成長という因果関係を示すものではなく、双方向の関係だ。高成長が政府債務比率を低下させるのは、税収増と分母のGDPが大きくなることによる。

図:OECD諸国の政府債務残高(GDP比)と実質経済成長率

一方、政府債務から経済成長という逆の経路は説明を要するだろう。一つは財政赤字や債務の増大が金利上昇を通じ企業の資金調達コストを高め、生産的な投資を妨げる。ゼロ金利下ではこの経路での影響は限られるが、景気回復やインフレ懸念により金利が上昇する局面では、巨額の政府債務の存在は民間部門の活動を阻害する可能性がある。

将来の増税予想による期待収益率の低下、不確実性の増大に伴うリスク回避など別のメカニズムも指摘される。楽観バイアス(ゆがみ)を持った経済見通しに起因する債務増大が、経済成長や生産性を低下させる因果関係を示す実証研究もある。政治的には財政健全化よりも経済成長が先となりがちだが、政府債務の累増が成長を抑制するということなら話は違ってくる。

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生産性上昇や経済成長に寄与するのは投資的な支出だ。一般政府の支出額の内訳をみると、公的固定資本形成はここ十数年ほぼ横ばいだ。量的には医療・介護などへの支出増を主因として政府消費の拡大トレンドが続き、公共投資のシェアは低下している。コロナ下で膨らんだ財政支出も、その多くは家計や企業への給付金などの再分配と医療費など政府消費が占める。

社会資本の効果に関する内外の研究は、交通・通信インフラが中長期的な生産力効果を持つことを示す。日本では大都市圏ほど生産力効果が大きいので、公共投資の地理的配分の改善は生産性向上に寄与する。一方、地方部では街のコンパクト化を促す形でのインフラ整備がサービス分野の生産性向上に有効だろう。

だが経済成長の二大源泉はイノベーション(技術革新)と人的資本の質の向上だ。これらに関連する財政支出の多くは狭義の公共投資ではなく、ソフトなインフラへの支出だ。最近の成長戦略ではデジタルトランスフォーメーション(DX)やグリーン分野に力点が置かれるが、他にも多くの重要な研究開発分野がある。注目されていない基礎研究がしばしば将来のイノベーションの源泉になることを考えると、多様な研究を支える一見地味なインフラを維持する必要性は高い。

一例を挙げると、研究にあたっては海外の研究成果へのアクセスが大前提だ。だが学術出版の寡占化が進む中で英文学術誌の価格高騰が続き、円安もあいまって大学図書館や研究機関で購読誌が削減されるなど深刻な状況に陥りつつある。今後設置される大学ファンドの機能が期待されるが、広範なインフラ劣化への効果は限られるだろう。

人的資本投資にも課題が多い。日本産業生産性データベースによれば、労働の質向上の成長寄与度は00年代以降急速に鈍化し10年代はほぼゼロだ。この間、政府の教育支出は横ばいだ。

岸田文雄首相は「人への投資」を倍増すると述べ、経済対策にはデジタル人材育成、リカレント(学び直し)教育などが盛り込まれた。こうした方向は妥当だが、学校・教員の質の改善をはじめ、人的資本投資には長期的な予測可能性が必要だ。各年の振れが大きく不確実性の高い補正予算ではなく、恒常的・安定的に実施することが望ましい。

初中等教育、高等教育、職業訓練はいずれも重要な人的資本投資であり、特に若年者の教育は成長と分配のトレードオフ(相反)がない。一方、イノベーションを支える重要な基盤が大学院教育だ。大学院教育の投資収益率は10%を超える。ただし収益の多くが高賃金という形で個人に帰属するので、一律の助成ではなく資金制約に直面する学生に対象を絞った奨学金制度の充実に合理性がある。

米国では理工系大学院への海外からの留学生がイノベーションの担い手として経済成長に貢献した。日本の大学院では中国などアジアからの留学生のシェアが高まっている。労働力人口が減る中で、優秀な留学生が日本で就職し、成長に寄与することも期待される。

企業の教育訓練投資も設備投資に比べて収益率が高い。だが教育訓練を受けた従業員が離職すれば企業にはメリットがないので、労働市場が流動化するほど企業の人的資本投資インセンティブ(誘因)は低下する。税制などの助成措置に一定の意義があるが、公的職業訓練の充実も重要となる。

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成長戦略というと生産性を高める政策だけに目が向きがちだが、生産性を低下させる政策の合理化も必要だ。マクロ経済の生産性上昇は、個々の企業の生産性上昇のほか、非効率企業の退出や高生産性企業のシェア拡大による資源再配分効果から生じる。資源配分の誤りが、国全体の生産性に大きな負の影響を持つことを示す研究は多い。

コロナ下で資金繰り支援や持続化給付金、雇用調整助成金を利用した企業の生産性は、非利用企業と比べてコロナ前から10~20%低かった。生産性の低い中小規模の飲食・宿泊業が新型コロナの影響を強く受けたからだと思うかもしれないが、産業や企業規模を一定とした比較である。

新型コロナの収束にはまだ時間を要しそうだ。持続的なショックによる構造変化に対応するには、政治的には難しいが支援策の対象見直しや支出規模の段階的な縮減が必要になる。

エビデンス(証拠)に基づく政策形成の認知度が高まっている。限られた時間で策定される補正予算は、当初予算と違い事業規模に比して事前の査定が甘くなりがちだ。コロナ関連の補助金・給付金、雇用対策など、事後評価も十分ではない。少なくとも巨額の事業は、外部からも客観的な事後評価ができるよう、データ公開などの枠組みを示すことをルール化すべきだろう。

生産性向上に寄与する支出に重点を置き、生産性を押し下げる支出を合理化しても、効果の発現には時間がかかる。持続的に実質1%を超える成長は当面難しいという蓋然性の高い前提に立った経済運営が、財政リスク軽減だけでなく経済成長にとっても望ましい。

2022年2月10日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2022年2月22日掲載

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