生産性とイノベーション:大学院教育への期待

森川 正之
理事・副所長

生産性を高める要因としてイノベーションは最も重要なものである。過去の研究によれば、研究開発投資の社会的収益率は非常に高く、概算では研究開発投資のGDP比を1%高めると経済成長率は年率0.3~0.4%高くなると概算される。これは量的に見てTPPへの参加や法人税率引下げの経済成長率に対する効果よりもかなり大きい。

しかし、より長期で見ると、イノベーションを生み出すのは人間であり、したがって人的資本の質の向上がより根源的な生産性向上要因である。最近の研究によれば、技術が高度化した結果、新しいイノベーションを生み出すために必要となる知識の蓄積量は昔に比べて増加しており、近年になるほど重要な発明を生み出す年齢は高くなる傾向がある。つまり、画期的なイノベーションを創出するためには、従来以上の教育年数が必要になってきている。

こうした中、イノベーションの重要な担い手である大学院修士・博士卒の労働者が主要先進国で増加傾向にある。日本も例外ではなく、2011年に大学院を卒業して就職した者は修士5.4万人、博士1.0万人であり、いずれも年率3%以上のペースで増加している。これは同じ期間の学部卒の就職者数の伸び率よりもかなり高い。そして、大学院卒業者の就職先は、ハイテク製造業や情報通信業といったイノベーションの重要度が高い産業が多く、職種別には専門的・技術的職業が大多数を占めている。

人的資本の生産性は、賃金によって計測されることが多い。筆者の試算では、性別・年齢等の属性を調整した上で、日本の大学院卒業者の所得は学部卒労働者と比べて約20%高く、この数字は最近の欧米における計測結果と同程度である。「高学歴ワーキングプア」という議論があるが、少なくとも平均的にはそれは正しくない。男女別に見ると、男性よりも女性で大学院卒と学部卒の年収差が大きい。年齢別には、学部卒の雇用者は60歳を超えると極端に賃金が低下するのに対して、大学院卒業者の場合には低下が緩やかである。

さらに、大学院卒業者は、高齢期になっても働いている割合が学部卒に比べて高い。60歳以上の大学院卒業者の有業率は、男性・女性とも学部卒を10%以上上回っており、平均的な引退年齢が高い。おそらくスキルの劣化が小さいことを反映している。修士卒の場合、就労開始が2年間遅れるわけだが、引退時期は2年以上遅く、生涯を通じた就労期間は学部卒に比べて長い。

つまり、大学院卒業者は相対的に高賃金で、かつ、長く労働市場にとどまる傾向がある。この結果、有業率と年間所得を考慮して生涯所得の現在価値を計算し、大学院教育の投資収益率に換算すると、10%を超える数字となる。この中には、大学院進学者の能力がもともと高いことによる効果なども含まれており、全てが大学院教育による人的資本の質の向上によるものとは言えないが、少なくとも何割かは教育投資の効果であろう。

これらの事実は、技術進歩に伴って高度人材の重要性が高まる中、イノベーションの担い手を育てる大学院教育の充実が日本経済にとって大きな意義を持ちうることを示している。また、大学院修了者の増加は、男女間賃金格差の縮小や高齢者の就労拡大にも貢献することが期待される。

2012年1月5日 「生産性新聞」に掲載

2012年1月17日掲載

この著者の記事