在宅勤務、生活との境界課題 長時間労働是正の条件

黒田 祥子
ファカルティフェロー

この1カ月、新型コロナウイルス問題の影響で日本の労働市場にも大きな変化が生じている。在宅勤務や時差出勤を急きょ導入する企業が増え、働き方改革の後押しにつながるとの声も聞かれる。働き方改革関連法の施行から約1年が経過した。本稿では、長時間労働是正がどこまで進んだかを確認するとともに、今後の課題について述べたい。

図はフルタイム男性雇用者の長時間労働者の割合を示したものだ。左側の超長時間労働者(週60時間以上)の割合は急速に低下してきている。この傾向は2019年4月から時間外労働の罰則付き上限規制が適用された大企業だけでなく、20年4月から適用開始となる中小企業でも観察できる。関連法施行前から長時間労働是正に向けた労使の取り組みは始まっており、企業規模を問わず、その結果が表れてきているといえる。

週49〜59時間働く人の割合は高止まりしている

だが右側の週49~59時間働く労働者の割合はあまり変化していない。週49時間以上全体で考えれば、依然どの企業規模でも男性の3人に1人は週に少なくとも10時間以上の残業をしている。労働時間が上限規制のシーリング(天井)に張り付いているとも解釈でき、長時間労働是正はいまだ道半ばといわざるを得ない。

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今般の新型コロナの感染防止対策で働き方改革に弾みがつくだろうか。予測は難しいが、東日本大震災時の経験に基づけば、常態化した長時間労働社会を反転させるのは容易ではない。

筆者が山本勲・慶大教授と経済産業研究所のプロジェクトで実施した調査によれば、震災が起きた11年夏の節電対策として約6割の企業が残業抑制や業務効率化を進めたと回答し、翌年以降も取り組みを継続する予定と答えていた。当時も人々の働き方を変えるきっかけになることが期待されたが、労働時間減少は一時的で、12年には震災以前の状態に戻った。未曽有の大災害でさえも日本の働き方を変えるのは難しかった。

ただし9年前と比べ、テレワークやクラウドサービスなどの情報技術インフラが普及しつつある。総務省「通信利用動向調査」によれば、企業のテレワーク導入率は11年の9.6%から、18年には19.1%に上昇している。中小企業の導入率は14.5%とまだ低いものの、政府もテレワーク導入にかかる費用助成の追加募集を開始しており、普及が進むことが期待される。

日経新聞による2月末の緊急調査では、主要企業の約5割が原則または一部で在宅勤務に切り替えたという。企業の制度としては導入済みでも利用をためらっていた労働者の中には、今回初めてテレワークのメリットを体感した人もいるはずだ。総務省「社会生活基本調査」(16年)を基にした筆者の試算では、フルタイム労働者の平日1日当たりの平均通勤時間は71.8分で、居住県別の最長は神奈川県の99.5分にのぼる。「痛勤時間」を休息や睡眠、家族や自分のために使う時間に充てられれば、日本人の生活は大きく変わる。

仕事でのIT(情報技術)の利活用の進展には留意すべき課題もある。以下では、日本の労働市場が今後どんな対応を迫られるか、中長期的な視点から考えたい。

第1にテレワークが普及すれば、誰が何をどれぐらい手掛けたかという仕事の「見える化」が進む。これまでは出勤していれば会社の「メンバー」としてみなされてきた評価体系も、より成果に見合ったものへと転換せざるを得なくなる。企業には、部下への適切かつ効率的な仕事配分と、生産性に見合う公正な評価制度を確立することが求められる。こうした体制が整わない限り、上司と部下の信頼が確立していない職場ほど、非効率なアピール合戦が生じる可能性もある。

第2に筆者らの19年の研究によれば、労働者の自己啓発にかける時間は趨勢的に減少しており、特に00年代半ば以降、「職場での時間外」に自己啓発をする人が大幅に減っている。不払い残業が社会問題となり、職場で学習する機会が減ったためと考えられる。早帰りで増えた余暇時間を使い労働者が自発的に勉強すればよいが、分析によると残業手続きが以前より厳しくなっても、40歳未満の若年・壮年層は自己啓発の時間をほとんど増やしていない。

テレワークの普及により職場以外で仕事をする時間が増えれば、上司や先輩から直接指導を受ける機会も減る。企業は新たな職場内訓練(OJT)の方法を模索する一方、労働者は時代に即したスキルを自己責任で蓄積することが必要だ。

第3に「いつでもどこでも」仕事ができる状況が広がれば、仕事と生活の境界が曖昧になることにも留意すべきだ。これは日本に限った現象ではなく、在宅勤務が普及している多くの先進諸国が抱える課題だ。欧州連合(EU)加盟国の労働問題を調査するEurofoundによれば、在宅勤務の普及率が高い国ほど「余暇時間にも仕事の対応をすることがよくある」という労働者の割合も高くなる。在宅勤務割合が約25%と高いデンマークでは、仕事と生活の境界が曖昧と答えた人が約3割にのぼる。

プライベートの時間を優先する社会規範が確立している国でも仕事との境界が曖昧になりつつあることを踏まえると、日本で在宅勤務や副業が一気に広がれば過労社会に逆戻りという事態にもなりかねない。そのためにも当面はメールの送受信の時間帯制限など、「つながらない」時間の確保や労働時間管理を徹底し、長時間労働社会からの脱却を急ぐことが不可欠だ。

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より長期の視点に立てば企業による時間管理は一層難しくなるだろう。現状、テレワークの時間管理はパソコンのログや実際の操作時間などで把握せざるを得ない。しかし今後は、連続的にパソコンに打ち込むような作業は機械に任せ、人間は人間にしかできない仕事に特化することが求められるようになる。一つの企業に定時に出社し、まとまった連続時間で働くことを前提とした現在の労働時間規制は、時代に合わせて見直していく必要がある。

第1の論点とも関連するが、企業は今般の在宅勤務実施で浮かび上がった課題を整理し、厳格な時間管理は果たして現実的なのか、労働者にどの程度自律的な働き方を許容し、短期的に成果が出にくいタスク(業務)に対しては評価をどの程度猶予すべきかなどの検討を急ぐ必要がある。

これまで労働者側が、使用者側の主張する「成果に見合う報酬」に異を唱えてきた理由の一つには、時間以外の評価の仕方に関する明確な基準が示されてこなかったことがある。柔軟な働き方の普及に伴い、時間管理を通じて労働者の健康確保を使用者側に委ねることにはいずれ限界が来る。

最近では、つい無理をしてしまう人間の特性に働きかけ、ナッジ(誘導)を取り入れた健康管理アプリやセンシングデバイス(感知機器)も普及しつつある。こうした技術をうまく取り入れながら、最終的には労働者自身でも時間の自己管理ができるような社会を展望していくべきだろう。

2020年3月19日 日本経済新聞「経済教室」掲載

2020年4月15日掲載

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