新型コロナウイルスの感染拡大が全国で深刻化する中、業種・職種間で労働時間の長さにも格差が生じている。需要の減退により仕事を失った方や、労働時間が減り収入が大幅に低下した方がいる一方で、医療従事者、保健所や検疫所のスタッフ、各種対策に対応している公務員、物流関係者、テレワークの緊急導入要請に伴うIT関係の従事者など、山積する業務に対応している職種の方もいる。本稿執筆時点では、こうした労働状況を正確に把握できるデータは存在しないが、以下では過去の文献を参考にしながら、新型コロナウイルス禍で過重労働を余儀なくされている労働者について考える。
医療従事者の状況
4月10日付の報道では、イタリアでは医療従事者の100人超が新型コロナウイルスに起因して死亡したことが伝えられた。Formenti et al.(2020)によれば、イタリアの医療従事者の死亡者数は3月25日時点で39人と報告されており、この2週間に医療従事者の犠牲者も急増したといえる。こうした状況は、イタリアだけではない。医療従事者向けの情報配信を行っているMedscapeでは新型コロナウイルスの犠牲となった世界中の医療従事者の追悼者リストが日々更新されている(注1)。
新型コロナウイルスは、最前線で働く人々にどの程度深刻な影響を及ぼしているだろうか。学術研究による精査にはデータの入手が前提となるため、現時点では上述の痛ましい数字以外で得られる定量的な情報は限定的なものにとどまる。しかし、世界では査読前の論文は少しずつ発表され始めている。例えば、新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化した中国浙江省で、新型コロナウイルス感染患者に携わった医療従事者150人を対象に調査を行ったNing et al. (2020)や、武漢市がある湖北省で同じく最前線で治療にあたった医療従事者801人を対象に調査を行ったJing et al. (2020)の研究によれば、これらの医療従事者に睡眠障害や不安障害、うつ病の症状、感染リスクへの恐怖、体重減少などが顕著に観察されていることが報告されている。
東日本大震災から学べること
有事における過重労働については、日本では東日本大震災の経験から学べることも多い。当時も、原発関係者、医療従事者、行政の担当者、緊急物資を運んだ物流関係、介護施設の労働者など、数多くの方々が不眠不休で業務に携わっていた。当時の関係者の過重労働を知る手がかりとなる文献として、吉川(2017)がある。同論文では、労災認定のデータベースを基に、東日本大震災の被災3県(岩手、宮城、福島)の脳・心臓疾患の事案から震災に関連している21件を抽出・分析を行っている。分析の結果、発症の主要因は、異常な出来事への遭遇6件、短期間の過重業務2件、長期間の過重業務15件(負荷要因の重複2例含む)であったこと、発症時期は、震災当日から1週間以内6件、1週間超え1カ月以内3件、1カ月超え6カ月以内7件、6カ月超え1年以内3件、1年を超えての発症は2件であったことが報告されている。震災直後だけでなく、震災後かなり時間が経過してからも当時の過重労働等が身体へ多大な悪影響を及ぼしたことが示唆される。
当時の過重労働は、上述の脳・心臓疾患だけでなく、精神疾患にも影響を及ぼしたことを示す文献もある。宮城県の公務員の約4,000人を対象に、震災後の2カ月および7カ月後の2時点で追跡調査を行ったSuzuki et al. (2014)によれば、回答者の約17%が震災発生から7カ月間の最長月間残業時間が80時間超だったと答えており、約26%の回答者が週休が1日もなかった週があったと回答している。同論文では、家族の死や自宅の崩壊など、さまざまな悲しい経験をコントロールしたとしても、震災後7カ月の間に週休が1日もなかった週があったと答えた人は、最低1日は週休が確保できていたと答えた人に比べ、7カ月後に気分・不安障害となるリスクが3.95倍に上昇することが報告されている。さらに、震災後の16カ月後の調査も追加した3時点の追跡調査を実施したFukasawa et al. (2018)では、以下のことも明らかになった。震災直後に月当たり100時間超の長時間労働をしていたかどうかは16カ月後のメンタルヘルスに影響を及ぼさないとの結果となった一方、16カ月経っても月40時間超の労働をしている人は、そうでない人に比べて気分・不安障害のリスクが1.58倍に、16カ月目の調査前月1カ月間(つまり、震災後15カ月目)に十分な休息を確保できていないと感じた人は、確保できていると回答した人に比べて気分・不安障害のリスクが2.81倍となることが示されている。これらの結果は、長期間にわたって休息が確保できないことによるメンタルヘルスの毀損が大きな問題であることを示唆している(震災対応にあたった労働者のメンタルヘルスを検証した論文にはこのほか、Kawashima et al. 2016 やWakashima et al. 2019などもある)。
大震災という1回の大きなショックへの対応事例を、今般の新型コロナウイルスのケースに単純に当てはめることはできないが、これらの文献からは少なくとも長期間にわたっての不休の過重労働は、大きな健康被害をもたらすことを示している。新型コロナウイルスのように感染者の拡大がいつまで続くか先行きが見えないような状況においては、長期戦になることも視野に入れた過重労働者の休息の確保が急務である。
われわれができること~働き方の工夫
この数週間、メディアが現場の最前線で働く医療従事者を取り上げ、日本でも医療崩壊の寸前のところで現場が何とか持ちこたえている様子がレポートされるようになってきた。しかし、「医療関係者ががんばってくれているから何とかなる」と心のどこかで思ってしまっている人もまだ少なくないのではないだろうか。また、医療崩壊へのリスクは少しずつ認知度が高くなってきていても、新型コロナウイルス禍で過重労働を余儀なくされているそれ以外の職種についての関心はまだ低い。
改正労働基準法の施行により、大企業労働者には2019年4月から、中小企業で働く労働者にも2020年度の4月から、単月で100時間未満を上限に、時間外労働を年 720 時間までとする罰則付き上限規制が導入されている(注2)。しかし、建設業、自動車運転業務、医師については2024年3月末までこの法律の適用が猶予されている。また、医師については、地方に医師が少ないという地域偏在問題が深刻化しているため、そうした地域に配慮して、2024年4月以降も当面の間は時間外労働の特例水準を設け、年間1,860時間を上限とすることが提案されている(注3)。本稿を執筆している2020年4月12日時点では感染者の急増は都市部が中心だが、ひとたびその影響が地方にも広がるようであれば、すでにぎりぎりの状態で過重労働をしている地域医療はパンク状態になることが危惧される。
大震災のような自然災害と異なり、新型コロナウイルスに対してはわれわれ一人一人が知恵を絞り、働き方や生活を変えることで新たな犠牲者を減らすことができるのが大きな違いだ。4月7日に緊急事態宣言が出された都道府県については、政府から「オフィス出勤者の最低7割削減」が求められた。これまでも一般労働者には在宅勤務やテレワークが呼びかけられてきたが、さまざまな理由で通常とおりの出勤を続けざるをえない人も多かったようだ。オンライン化ができない業務も多いと言われているが、発想を転換し、本当にできない部分はどこかを再度検討してみることや、紙の書類にこだわってきた文化を見直すことも必要だ。日本では、「皆が働いているから自分だけ休むわけにはいかない」という負のピア効果(上司や同僚の働き方が自分の働き方に影響を与えてしまうこと)が長時間労働是正のネックとなってきた。今回の要請により、4月13日以降の平日にどの程度出勤が抑えられるかが大きなポイントとなるだろう(注4)。
長時間労働者の業務を他の人にも配分し、業務量の一部の人への集中を緩和するための工夫も必要だ。日本の多くの現場では、職種・業種問わず、一部の人に業務が集中したり、逆に部署に跨って多くの人が重複した業務をしていたり、判断や決定に関する裁量権の所在が曖昧なために決断がスピーディに行われず、そのための会議が多かったり、といった非効率性が長らく指摘されてきた。これをきっかけに、業務配分や権限の明確化や裁量権の現場レベルへの移譲、不必要な業務の洗い出しなど、これまでの働き方を徹底的に見直していくことが求められる。
なお、業務に関する権限委譲については、医療現場にも当てはまる。OECDのPIAAC(国際成人力調査)を利用したOECD (2016)の医療従事者に関するスキルのミスマッチの分析によれば、「自分の専門スキルより低い業務に従事している」(under-skilled)と答える確率が、医療以外の専門・技術従事者に比べて、医師は67%、看護師は14%も高いことを示している。医師もしくは看護師にしか許可されていない業務のうち、他の労働者にも分配可能な業務がないかを検討し、職種間の業務量の平準化を図ることは、新型コロナウイルス対策のみならず、平時においても逼迫している医療従事者の過重労働を改善することにもつながる。
働き方の見直しや、日々の生活行動を変えることなど、これ以上の感染拡大を極力増やさないための工夫の余地はまだある。医療や物流など、不可欠な社会インフラが崩壊してしまえば、われわれの生活は成り立たない。現在、最前線で働いている人から犠牲者を出さないことこそが、われわれ一人一人の命を守ることにつながるという認識を持つことが重要だ。