トランプ関税の先行きは見えないが、その究極的な狙いがトランプ氏のコアな支持層(ラストベルトの「忘れられた人々」)への直接的なアピールであることは間違いない。外国を高関税で脅して経済的な譲歩を引き出し、米国人に仕事を取り戻そうという話は、ディールだけ考えれば理屈が通っているとも言える。
しかし、関税の貿易阻害効果が米国内や世界に波及するという大きな弊害を考えれば、到底、もくろみ通りに進む話ではない。
なぜこのようなことが米国で起きているのか。ポピュリズム、自由主義、グローバルガバナンスという3つの観点から考えたい。
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歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は近著「NEXUS 情報の人類史」で、全体主義と民主主義の違いを「無謬(むびゅう)性」をめぐる違いとして論じている。政治指導者が自らの無謬性を主張して、自分の誤りを修正する「自己修正システム(オープンな議論ができる議会、裁判所、マスメディアなど)」を持たないのが全体主義であり、対して民主主義とは、「誰もが間違いうる」という可謬性をベースに、強力な自己修正システムを持つ政治体制だとしている。
そして人工知能(AI)など新しい技術が政治を劇的に変えつつあるが、私たちは民主主義を守るために自らの可謬性を忘れず、政治の自己修正システムを強化しなければならないと主張する。主張は妥当なものだが、そもそも人々が無謬性を求めるからこそポピュリストが力を得て、「自己修正システム」が維持困難になるのでは、という問題には触れていない。
全体主義体制ができる過程で、政治リーダーは「忘れられた人々」の歓心を買うために、人の感情を刺激する単純化された世界観や陰謀論を主張する。まさにポピュリズムである。さらにポピュリストは自らの世界観の「無謬性」を主張する。不確実性と不安にさいなまれる人々がもっとも切実に求めるものが安心の根拠となる無謬性だからだ。ポピュリストは奇矯な陰謀論で人々の負の感情を喚起しながら、それが絶対に間違いないと自らの無謬性を人々に請け合うのである。
「忘れられた人々」の不安の根源には、米国の中産階級の没落と絶望がある。それにSNSのエコーチェンバーと米国の反知性主義の伝統が重なる。政治学者ハンナ・アーレントが「全体主義の起原」で分析したように、「忘れられた人々」は、自己の自由と責任を「無謬のリーダー」に預け、彼の命令に無批判に服従することで安寧を得ようとする。そうならないために、格差の拡大を防ぐことが必要なのである。
トランプ氏の関税政策のもうひとつの意味は、自由貿易体制を維持するための「国際公共財」を提供する役割(すなわち覇権国家の役割)から米国が降りたがっているというメッセージである。日本や世界は、米国の自由貿易体制へのコミットメントを維持すべく全力を尽くすべきだが、「自由貿易は世界経済を大きくする」という比較優位論を説いても通用しない。世界経済が小さくなっても、ディールで米国の取り分だけを大きくできればそれでいいと開き直っているからだ。なにかもっと本質的な理路が必要だ。
それは、自由貿易が単に経済的利得の話ではなく、「自由という理念」と一体不可分であるということではないか。経済学者フリードリヒ・ハイエクは著書「隷従への道」の中で、経済的な自由を統制すれば、人間活動の様々な面に波及し、最終的には精神面での自由も含めたあらゆる自由が失われる、と警告した。
自由貿易または経済的自由は、単に経済的利益をめぐる問題ではない。人間の自由という理念を現実の世界で実践しようとすれば、それはかならず経済的な自由=自由な取引=というかたちで実現されざるを得ないからである。
たとえば表現の自由や信教の自由は、人が経済的な自由を持っていることで支えられている。自分の信条を自由に文章に書けたとしても、その文章を売ることができなければ表現の自由を実現したことにはならない。経済的自由はあらゆる自由の基盤なのである。
米国の根源的な価値でもある「自由」の理念を守る営為は、自由貿易体制を守る営為と不可分である。この原則を確認し、自由主義を守るためにこそ自由貿易体制を守る必要がある、と米国を説得しなければならない。
自由貿易体制を支えるための負担が大きすぎて不公平だという米国の言い分に対して、答えを出す必要もある。自由貿易体制を支える国際公共財としては安全保障や基軸通貨などがある。これらを主要国で分担する新しいグローバルガバナンスの仕組みを構想すべきだろう。
とりわけ、米国は安全保障が自由貿易体制の維持のためのコストだと認識しているのだから、安全保障と経済政策は切り分けずに一体として議論し、全体最適な仕組みを構想することが求められる。「安保と経済は別」というこれまでの縦割り思考の常識から抜け出す必要がある。
多くの識者が提唱していることだが、包括的・先進的環太平洋経済連携協定(CPTPP)を母体として安全保障も含めた地域協議体の枠組みに拡大し、アジア太平洋地域において米国を補完する役割を担うことは考えられないか。
CPTPPは南米、オーストラリア、東南アジア、東アジアをカバーし、2024年末には英国も加盟した。これらの各地域について加盟国が米軍とのより密接な役割分担を視野に地域の安全保障への関与を協議するのである。

さらに欧州連合(EU)や日米豪印戦略対話(Quad)とも連携すれば、その影響が及ぶ国々もある中東、アフリカ、南アジアも対象範囲となろう。
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しかし国際秩序の移行を構想する上で心配なのは、欧州と米国の間でかつてない深刻な相互不信が高まっていることだ。イーロン・マスク氏やバンス米副大統領の言動は、欧州に消せない不信を広げた。欧州は米国からの自立を半ば本気で検討しているようだ。
新しい国際秩序への移行が避けられないとしても、米国抜きの別の体制が取って代わるのと米国を補完するかたちから徐々に重心が移っていくのではまったく意味が違う。20世紀のふたつの世界大戦の教訓は、既存の国際秩序に真っ向から挑戦する国家は、国際社会の中での「正統性」は得られないということだった。
むき出しの力を超えた正統性こそが世界に秩序をもたらす。現在の国際秩序の主導者である米国を自由貿易体制に引き留め、欧州と米国の和解を促し、米国を他の主要国が補完するかたちで新しい国際秩序を構想しなくてはならない。これが米国に対してできる日本からの正統な提案ではないだろうか。
2025年6月10日 日本経済新聞「経済教室」に掲載