産業構造変化や格差是正も コロナショック後の世界

小林 慶一郎
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

新型コロナウイルス感染症と人類の闘いは長期戦になる恐れがある。3月には、アンドリュー・アトキソン米カリフォルニア大ロサンゼルス校教授やマーティン・アイケンバウム米ノースウエスタン大教授の論文など、感染拡大モデル(SIRモデル)を使った経済学的試算が相次いで公表された。人命の犠牲を最小にするため、今後18カ月ほど欧米は現状の厳しい外出禁止などの行動制限を続ける必要があると論じている。

日本にも同じモデルが適用されるので、現状以上に厳しい行動制限が1年かそれ以上必要となるだろう。

また危機が終息しても新型コロナウイルスの根絶はできないのではないか。予防のために常に人との距離が気になり、手指の清潔に気を付けるという日常も予想される。外食や旅行は今までのような気楽な活動ではなくなり、少し心理的ハードルが上がるだろう。

飲食業や観光業は産業規模としてかなり縮小し、オンラインサービスの新ビジネスが続々と誕生する。学校の授業、病院の診療、企業の商談など、あらゆるコミュニケーションがオンライン化し、多くの職業でテレワークが働き方の基本形として浸透するだろう。さらに居住と就業先が地理的に分散するなど、産業と社会の構造も変わるだろう。

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これを機に、グローバリズムと格差拡大という1980年代以降の世界の傾向は反転するかもしれない。

感染症との闘いでは個人の行動が近隣の他人の命を左右するので、地理的な近さで決まる「共同体」を再認識せざるを得なくなる。国家や地域社会の結束が強まり、グローバリズムにはブレーキがかかる。われわれは互いに助け合うしかない状況であり、個人の自由は引っ込まざるを得ない。

こういう心理の下、社会の結束が強まり、弱者を救済するための社会保障の充実についても合意しやすくなる。結果的に格差の是正が進むと予想される。これは戦争により結束が強まった社会で、高所得層への重税が合意され、格差是正が進んだというトマ・ピケティ仏パリ経済学校教授の議論と同じ構造である。

ではコロナショックにより、財政や社会保障はどう変わるのか。今回の危機で、非正規雇用やフリーランスの働き方を巡り様々な格差が浮き彫りになった。多様な働き方をする多くの人々が感染症対策の行動規制で収入を失ったのだから、現金給付で生活支援をすべきだというのが大勢だ。

必要な人に必要な額の現金給付を届けるには、当局が救うべき対象者を迅速に知らねばならず、それには当局が個人の所得情報をリアルタイムで把握する必要がある。個人のプライバシーよりも、当局の情報把握を前提とする公正な所得分配政策を重視する方向に世論は変わるかもしれない。

そうなればマイナンバーに口座情報をひもづけし、ITをフルに利用して個人の総所得や金融資産をリアルタイムで把握する英国のようなシステムを構築できる。それができれば、感染症対策の現金給付として、適正な額を迅速に支給できる。さらにそのシステムは、危機終息後も新しい社会保障制度の重要なインフラとして機能するだろう。

働き方の形態によらず、あらゆる人に対し政府が最低限の所得水準を保障する給付制度(ベーシックインカム)を導入することも現実的な選択肢となる。こうして感染症危機をきっかけに、第2次世界大戦後に先進諸国で生まれたような格差是正の大きなトレンドを創り出せるかもしれない。

図:OECD加盟国の実質成長率と自然利子率
図:OECD加盟国の実質成長率と自然利子率
(出所)Lukasz Rachel, Lawrence H. Summers「On Secular Stagnation in the Industrialized World」(2019年)

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コロナショックで産業構造も変わるので、今後数年、多くの企業が事業転換せざるを得なくなる。例えば企業が飲食業からオンラインビジネスへと業種を変えるには、リスクマネーつまり資本性の資金が必要になる。中小企業は資金繰りのための融資では到底間に合わず、資本が必要なのだ。

緊急経済対策で、中小企業向けに200万円(フリーランスなど個人事業主には100万円)を上限とする現金給付、つまり贈与を実施する方針が決まった。だが現金贈与よりも、対象企業が立ち直ったときに配当が得られる「出資」のほうが納税者の理解も得やすいし、金額も大きくできる。

また日本の企業部門全体はカネ余りで巨額の内部留保がある。みさき投資の中神康議社長が指摘するように、コロナショックで苦境にある中小企業を、豊富な資金を持つ事業会社が買収し、政府・公的金融機関が公的資金で出資に参加するスキームをつくれるのではないか。買収する事業会社の目利きにより、モラルハザード(倫理の欠如)も防げるので現金給付より効率的だ。政府が保有する株式は信託して議決権行使しなければ経営にも中立的だ。

感染症危機は資本性の資金を特定の業種で枯渇させるので、株式市場の自律性を侵さない形での公的資金による資本支援が必要だ。

個人については、感染症危機が年単位で続くと、政府案(1世帯30万円の現金給付)では生活再建できないだろう。また、いま生活の危機に直面しているのだから、事前の手続きや審査はすべて省略し、すぐに現金が手元に届く制度にすべきだ。そのお金は生活を立て直すためのリスクマネーであり、いわば「出資」だ。

長期化する感染症危機の中で生活を維持するには、毎月10万~15万円の給付を1年ほど継続する支援が要る。受給者にはこの間に、異業種への転職や起業のリスクをとって生活再建を図ってもらう。政府が一部の人に多額の現金を贈与する政策は納税者の理解を得にくいが、出資ならば事後に「配当」をもらえるので納得感がある。

個人への出資は形式的には、事後の所得に連動して回収する「所得連動回収条件付き現金給付」にすればよい。まず自己申告した人に無審査無条件で生活資金を1年間継続して現金給付し、3年後から年末調整や確定申告の際に所得税に上乗せして追加課税する。これを複数年度にわたり実施する。追加課税額を適切に決めれば、給付金を実質的に利子付きで回収できる。

給付後に生活再建に成功し高所得になった人からは満額回収する。一方、低所得のままの人には課税免除する。マイナンバーで給付制度を管理すれば実行できる。これは政府が個人のリスクを分担する実質的な出資だ。また必要な人に必要な額を渡すという公正性も所得連動型の追加課税により事後的に実現できる。

マクロ的には今回の危機は、世界的な過剰貯蓄を背景とする「低金利と低インフレ」という近年の世界的傾向(いわゆる長期停滞、図参照)を終わらせる可能性がある。感染症対策のため世界中で巨額の財政支出が実行され、過剰貯蓄は減少する。コロナ危機後の世界では、金利が正常化して80年代ごろの水準に戻るかもしれない。一方、各国政府は想定外の巨大債務を抱えることになる。「政府債務が極端に増えればインフレになる」ことは歴史の経験則だ。世界中で財政インフレの実験が始まることになるのではないだろうか。

2020年4月15日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2020年5月27日掲載

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