「不良債権とデフレ」15年戦争

小林 慶一郎
研究員

本稿では、拙著『逃避の代償―物価下落と経済危機の解明』(日本経済新聞社)にもとづき、歴史の教訓も踏まえて、デフレーション(物価下落、デフレ)の問題を考える。

あらかじめ論点をまとめると、次のようになる。第1に、景気の現状についての最大の不安定要因は、不良債権処理が完結していないことである。第2に、デフレ対策の本命は公共投資でもインフレ・ターゲットでもなく、実は、資本注入による銀行の健全化だ、ということである。

「不良債権処理を進めるとデフレがひどくなる」と言うが、それはやり方の問題だ。財政政策や日銀の金融政策もある程度は有益だろう。しかし、十分な資本注入をしてから不良債権処理を行って、銀行システムを健全化することが、デフレ脱却の本筋なのだ。なぜそうなるのか、という問題を、以下で順を追って見ていきたい。なお、本稿の内容は筆者個人の見解であることをお断りしておく。

不良債権処理はあと15兆円

昨年10月頃から8000円台を低迷していた日経平均株価は、今年夏に1万円の水準を回復し安定している。設備投資と輸出も堅調で、実質国内総生産は7四半期連続してプラス成長を維持している。非製造業や中小企業の直面する状況は依然として厳しいが、景気全体としてみると、少し回復傾向が出てきたと言えるだろう。ただ、留意すべきはデフレ終息の兆しがみられないことである。2003年7-9月期の物価下落幅(2.7%)は前期より広がった。

こうした景気の動きには、実体面と金融面の2つの要因が関係している。

実体面では、企業の構造改革、つまり合理化の進展だ。それを象徴するのが、昨年度末(今年3月)の企業決算である。固定費の圧縮や雇用の削減で、上場企業は大幅な増益となった。しかし、企業業績の改善だけであれば、昨年末から指摘されていた。それにもかかわらず、株価は今年4月28日の7607円まで下がり続け、景況感も夏頃まで改善しなかった。なぜ、株価や景況感の回復が遅れたのだろうか。そこには第2の要因(金融要因)が関係している。

それは金融危機への不安である。いかに企業業績に改善の兆しが見えても、大手銀行が破綻するのではないか、という懸念が強ければ、景況感が良くなるわけはない。この金融不安を(一時的にせよ)払拭したのが、「りそな」グループへの公的資金投入だった。5月17日に政府は金融危機対応会議を開催し、りそな銀行に対する約2兆円の公的資金投入を決定した。株価が上昇し始めたのは、まさにこの時期である。

りそなへの公的資金投入にあたって、政府はりそなの既存株主の株主責任を問わなかった。その後、既存株主は、りそな株の価格上昇に伴って、結果的に利益まで得たのである。そのため、「政府はいざとなったら銀行株主を守る」という安心感が市場に広がり、銀行株を中心に関連企業などの株が買われた。特に、外国人投資家が日本株を買い漁った。その結果、株価は大きく上昇した。しかしこれは、政府の救済をあてにした銀行株の買い戻しであって、銀行や関連企業の経営が健全化したから株が買われたのではない。銀行や過剰債務を抱えた企業は相変わらずで、問題の根本は解決していないのだ。

たとえば、りそなは9月期中間決算で、貸し倒れ引当金の引当率を大幅にアップさせた(要管理先債権の引当率は50%、破綻懸念先債権の引当率は90%になった)。全国銀行の平均では、要管理先は約19%、破綻懸念先は約34%の引当率になっている。もし、りそなの引当率を他の銀行にも適用すると、銀行業界全体では、少なくとも12兆円の引当不足が発生し、多くの銀行で資本金が枯渇してしまう。

また、不良債権の額も減少してきたとはいえ、楽観はできない。3月末の公表不良債権は35兆円だが、民間専門家のデービッド・アトキンソン氏は、実質不良債権額87兆円と推計している。そのうちの11.5兆-14.4兆円を償却すれば不良債権は解決するというが、問題は、銀行にその体力が残っているかどうかだ。2001年度はメガバンクの合併差益、2002年度は無理な増資で何とか不良債権処理の財源をひねり出したが、2003年度はどうするのか。資本注入なしで15兆円規模の不良債権処理ができるのか、というのが金融不安の本質なのだ。

さらに、今回の足利銀行への公的資金注入をめぐる動きを見ても、まだまだ、金融不安が去ったとは言えない。

また、94-95年の「実感なき景気回復」や、小渕・森政権とその後の問題悪化の教訓を噛みしめる必要がある。株価上昇や景気回復の兆しで気を緩めて、処理のスピードを鈍らせれば、時間とともに不良債権が増殖して問題は再発する。今のペースで処理を進めれば、あと3年以内には不良債権は正常化する、と言われている。元の木阿弥にしないためにも、ここで不良債権処理の手を緩めるべきではない。

しかし、不良債権処理を急ぎすぎると企業の破綻が増え、デフレ(物価下落)不況がますます激しくなるのではないか、との疑問を抱く人も多いだろう。だが不良債権問題が、経済全体でデフレーションを引き起こしている面があるのだ。それを示しているのが、大正9年(1920年)から昭和7年(1932年)にかけての長期デフレの歴史である。

「財界の癌」がデフレを生んだ

1920年から1932年頃までの十数年間、日本経済は長期低迷と恐慌に苦しんだ。この間の経過は、バブル崩壊後の現代の長期停滞と驚くほどよく似ている。

第1次世界大戦後、日本では投機バブルが発生し、1920年にバブルが崩壊した。その後、90年代と同様に、不良債権処理は何年も先送りされ、銀行や企業では、追い貸しと粉飾会計が蔓延した。関東大震災(1923年)の救済策だった震災手形が不良債権の隠蔽に悪用されたため、この時代の不良債権問題は、震災手形に集約され、「財界の癌」とも言われるようになる。先送りが続く中で、デフレが悪化し、ついに1927年に先送りが限界に達して金融恐慌が発生した。これは、1997年秋から1998年にかけての金融危機とうり二つだ。金融恐慌で財界腐敗が露呈すると、構造改革への支持が集まり、1929年、金解禁(金本位制への復帰)を標榜する浜口雄幸内閣(蔵相井上準之助)が誕生した。これも小泉政権誕生の経緯と類似した経過だ。しかし、井上蔵相が金解禁のために意図的なデフレ政策をとった結果、1930年に日本経済は厳しいデフレ・スパイラルに突入してしまった(昭和恐慌)。その後、1931年末に井上の後を襲った高橋是清蔵相が、金本位制を再離脱し、円安と拡張型の財政金融政策をとったために、日本経済は急回復したのである。

このように書くと、構造改革は悪くて、バラマキ型の景気刺激策が正しい、というのが歴史の教訓と見えるが、話はそれほど単純ではない。右に述べた大正・昭和初期の歴史を詳細に見ると、次の3つの教訓が得られる。

(1)「財界の癌」(不良債権問題)の整理の先送りが1920年代の長期不況とデフレの主要因となった。

(2)1929年から31年の井上財政期、強硬な緊縮財政で「財界の癌」を整理しようとしたが、結果的に、デフレを激化させ、財界整理と無関係な農村や中小企業を困窮させた。

(3)昭和金融恐慌と昭和恐慌で「財界の癌」が一掃されて初めて、高橋是清による景気刺激策が経済回復に大きな効果を発揮した。

なぜ財界の癌がデフレを生むのか、というメカニズムは次項で論じるとして、ここでは政策面に焦点を合わせて前の教訓をみておきたい。

まず、(1)についてである。20年代を通じて、政府・日銀は企業救済のため、財政資金と日銀資金を財界に散布した。この財界救済は、追い貸しと粉飾会計を助長し、問題銀行や企業の経営は想像を絶する無法状態になったと言われる。バブル崩壊後の1990年代も、「飛ばし」と呼ばれる不良債権隠しの粉飾会計や、土地がらみの追い貸しが横行した。バブル処理の先送りによって企業社会が腐敗していく状況は、20年代も90年代もほとんど違いはないのである。なお、20年代を通じて銀行や企業の救済政策を強引に押し進めたのが、後にデフレ政策を強行した井上準之助であった。

ちなみに、1920年代と現代を比べると、「バブル後の問題先送り」は日本人に固有の悪弊ではないか、という疑問がわいてくるが、問題先送りは万国共通の傾向である。特に、80年代以降のラテンアメリカ諸国で「改革の先送り」が深刻になっている。また、アメリカのS&L(住宅ローン専門の貯蓄貸付組合)業界も1980年代に深刻な不良債権危機に陥り、1989年に巨額の公的資金を投入して整理された。しかし、実はS&Lの危機が始まったのは80年代初頭だったのである。つまり、米国政府はS&Lの不良債権処理を10年近くも先送りし続け、結果的に傷口を大きくしてしまった。この経緯は、90年代以降の日本の銀行行政とほとんど同じだったと言ってよい。

さて、20年代の財界救済は、巨額の日銀資金や財政資金を財界に垂れ流したという意味では、1990年代の景気対策(財政出動と金融緩和で、資金を民間にばらまいた)と同じである。しかし、このような景気刺激策は、90年代と同様、20年代も、不良債権に吸い込まれ、デフレと不況の持続を止められなかった。このことは、「財界の癌」(不良債権問題)を放置したままでは、景気刺激策の効果が得られない、ということを示唆しているのである。

次に、(2)について。1929年-31年の井上財政を現在の小泉政権の構造改革路線になぞらえる議論がある。井上準之助の政策思想から、どのような教訓を引き出すべきだろうか。前述のとおり、井上準之助は1920年代に先送り的な財界救済を強力に推進した責任者であった。その井上が、なぜ一転して緊縮路線をとったのか。

そこには、当時と現代に共通する日本の経済政策担当者の深層心理をうかがうことができる。

単純に考えれば、「財界の癌」を整理するには、外科手術によって「癌」の部分だけを整理すればよい。つまり、問題銀行と問題企業をピンポイントで処理すればよいはずだ。しかし、井上準之助は、財界整理は「人間」(政府当局)が行うべきことではなく、市場経済の「天然、自然の摂理」(いまでいう市場メカニズム)によって、進展すべきだと考えていた。もし、政府自身が財界整理を行えば、銀行や企業の経営責任の問題を政府が裁決せざるを得なくなる。それだけは避けたいというのが本音であった。銀行破綻や企業倒産は、「(政府の力では)いかんともしがたい事情で起きてしまった」という形をとりたかったのである。

だから20年代は先送りを続け、その間に、問題のある銀行や企業が淘汰されるのを待つ、という戦略がとられた。ところが、粉飾と追い貸しが横行したため、天然、自然の力による財界整理は起きなかった。そこで、井上は「金本位制に復帰するため」という理由で緊縮とデフレを押し進め、金本位制という「自然の摂理」によって、財界整理が進むことを狙ったのである。こうした政策の軌跡は、現代の日本で景気刺激から構造改革へと政策路線が変化してきた状況と極めて類似している。

井上財政のデフレ政策で財界整理は進んだ。また、それが(3)で指摘するように高橋財政の成功の基盤となった。ところが一方で、デフレ政策は、財界整理と無関係な農村や中小企業を困窮のどん底に突き落とし、社会不安を醸成して、結果的にテロとファシズムへの道を開くことになった。財界整理、特に経営責任の問題について、政策当局が直接手を下すことを避けようとするあまり、日本は巨大な代償を支払うことになったのである。

「先送り」と「的外れな緊縮政策(財界整理を進めようとして農村や中小企業を崩壊させた)」の両方に通底するのは、「責任の問題を避けたい」という本能的な傾向であった。責任に触れずに、デフレと緊縮財政によって財界を整理しようとすると、問題と無関係な他の一般国民までデフレ不況に巻き込む。これが井上財政の教訓である。本来は、癌の摘出手術(不良債権処理による金融システム健全化)を行って、他の国民に被害が及ばないようにすべきだったのである。

最後に、(3)について。高橋是清財政の成功は、しばしばケインズ経済学の景気対策(財政出動と金融緩和)の有効性を証明するものだと言われる。しかし、高橋財政の前に、経済の構造改革が進んでいたことが景気回復の過程で重要な役割を果たした。これは経済史家が強調していることだ。

金融恐慌とその後の銀行合同で、問題銀行と実質破綻企業が数多く整理された。さらに、井上財政期のデフレ政策で、中小企業を中心に企業の合理化が進み、日本経済は競争力を回復したのである。昭和恐慌期に進んだ炭坑の合理化は、高橋財政期の重化学工業化を支えたし、合理化した日本の綿紡績業は諸外国で英国、インドの綿製品を駆逐して、日本経済に輸出主導の景気回復をもたらした。

ゼロ金利だとデフレになる理由

昭和初期の経験からの教訓は、「財界の癌」(不良債権)の整理がデフレ脱却に重要な役割を果たす、ということだった。では、なぜ「財界の癌」がデフレを生みだしたのか、そのメカニズムを確認しておきたい。

1920年代のデフレは、古典的な「債務デフレーション」だったと思われる。まず、「財界の癌」(不良債権)の処理が先送りされる中で、銀行の経営に不安を感じた預金者が預金を引き出そうとして銀行に殺到する。すると、銀行は預金引出に応じるために貸出を回収せざるをえなくなる。そうなると借り手企業は、銀行借入を返済するために、手持ちの資産や商品を投げ売りする。その結果、資産価格や商品価格が暴落してデフレーションが発生するのである。デフレになると、借金の実質的な負担が増えるので、過剰債務の銀行や企業は、ますます苦しくなり、投げ売りを激化させる。こうして、デフレと債務過剰が悪循環を作って深刻化するのが債務デフレーションである。

では、1990年代後半から続いている現在のデフレはどうだろうか。

今の日本に固有の特徴は、ゼロ金利-名目金利がほとんどゼロの状態-である。名目金利がゼロの状態が5年以上も続いている国は、古今東西、今の日本しかない。日銀のゼロ金利政策が実施されたのは1999年からだが、実際は、名目金利は90年代半ばには、ほとんどゼロになっていた。GDPデフレーターという総合的な物価指数で計るとデフレは90年代半ばから発生しているので、ちょうどデフレ開始と、名目金利がゼロになった時期は一致する。

ゼロ金利がなぜデフレと関係するのかを短く説明してみよう。デフレとは、インフレ率すなわち物価の上昇率がマイナスになることだ。そして、金利とインフレ率との関係は、「インフレ率は、名目金利から実質金利を差し引いたもの」という恒等式であらわされる。実質金利は、経済実勢によって市場で決まるものであり、プラスの値になる。つまり、名目金利がゼロのときには、名目金利(ゼロ)から実質金利(プラスの値)を差し引いたインフレ率は、マイナスの値になる。たとえば、日本経済の実質金利が2%のときに、日銀が名目金利をゼロにすると、インフレ率はマイナス2%になり、物価は2%ずつ下落する。これは、すなわちデフレなのである。

もう少し直感的な例を使って説明しよう。

ある人が、銀行から100万円を借りて、そのお金で牛を1頭買ったとする。名目金利がゼロならば、この人は、来年、銀行に100万円を返済すればよい。ここで、返済までの1年間に牛が子供を産んで、牛が2頭になったとしよう(これが企業の生産活動に相当する)。それでは、牛1頭の値段は来年どうなるだろうか。この人は、銀行に100万円を返済すればよいから、2頭の牛を売って、100万円が手に入れば満足だ。すると、市場での値下げ競争の中で、この人は牛1頭50万円までならよろこんで値下げするだろう。つまり、1年前に1頭100万円だった牛が、1年後には1頭50万円になる。すなわち物価下落(デフレ)である。ただし、名目金利が高ければ、牛の値段は下がらない。たとえば、名目金利が100%なら、銀行への返済額は200万円になる。するとこの人は、牛1頭100万円の値段を下げることはない。値下げすれば、牛2頭を売っても返済額の200万円を得られなくなるからだ。

以上をまとめると、「名目金利がゼロであるために、デフレが起きる」といえる。実質金利が経済実勢でプラスの値になるときに、日銀が名目金利をゼロにすれば、不可避的にデフレが生み出されるのである。

そこで、現在のデフレの要因を考えると、「ゼロ金利が続いている理由は何なのか」という問題に行き着く。景気刺激のために日銀が名目金利を下げ続けて、ついにゼロ金利の限界点に達した、という説明をよく聞くが、それが理由のすべてではないだろう。

名目金利をゼロ水準に固定しなければならないもうひとつの理由は、「債務超過の銀行や借り手企業を延命するため」だと考えられる。債務超過の銀行や企業は、負債が資産より大きいというギャップ(すなわち債務超過の「穴」)が空いた状態である。この問題を根本的に解決するには、資本注入によって債務超過分を穴埋めするしかない。しかし、これまでは、政治的な制約などから、不十分な資本注入しかできなかった。完全な穴埋めをしないなら、穴が空いたままで、銀行や企業を生かし続けるしかない。そのときに名目金利がプラスの値だったらどうなるか。名目金利は、債務超過の穴の成長率でもあるから、年々、穴が拡大し、いずれ破綻が暴露される。債務超過を露呈させずに現状維持を続けるためには、名目金利をゼロにせざるを得ないのである。名目金利がゼロなら、債務超過の穴は大きくならないからだ。

以上の議論をまとめると次のようになる。

(1)1920年代のデフレは、「財界の癌」(銀行、企業の債務超過問題)が先送りされる中で、銀行に不安を感じた預金者が取付に殺到し、その結果、資産投げ売りが起きて債務デフレーションが発生したものである。

(2)現在の日本経済では、資本注入を先送りしたために、ゼロ金利政策を余儀なくされた。実質金利がプラスである環境で、名目金利がゼロに固定されたため、緩やかなデフレーションが持続している。 メカニズムにやや違いはあるが、「財界の癌」(債務問題)を放置したために長期的なデフレーションが発生した、という点は1920年代も現在も同じなのである。

まず公的資金を注入せよ

ゼロ金利がデフレーションの長期化をもたらす。

では、ゼロ金利をやめて、名目金利をプラスにすればデフレは止まるのだろうか。もちろん、そうではない。もし、銀行への資本注入や不良債権処理をせずに名目金利を上げれば、銀行や企業が破綻する。日本経済は、昭和初期の金融恐慌のような状況になるだろう。そうなれば、いまよりも激しいデフレになってしまう。

したがって、正しい政策の順番は、まず、資本注入などによって債務問題を解決し、銀行システムと企業部門が健全性を十分に回復したら、その後、名目金利をプラスに上げていく、という手順だ。

銀行システムに空いた「債務超過の穴」を、公的資金を使って穴埋めしたり、過剰債務企業の淘汰・再生を進めるというのは、外科手術的な政策だ。手術の際には、麻酔薬として財政出動や金融緩和政策も必要になる。失業対策のための財政支出や日銀の量的緩和は、銀行の資本不足と不良債権問題が解決するまでの間は、続ける必要があるだろう。手術をしているときに麻酔を切るような、的外れな緊縮政策をやるべきではない。それが井上準之助財政の教訓でもある。

当面の政策の核は、(1)公的資金を注入して銀行の資本不足を解決すること、(2)その注入された公的資金を使って不良債権処理を進め、過剰債務企業の再生を進めること、(3)雇用対策、金融緩和などの景気刺激策によって、昭和恐慌のようなデフレ・スパイラルを防止すること、であるといえる。

不良債権処理はこの数年で急速に進んできた。前述のように、必要な償却額はせいぜい残り15兆円程度と言われる。財源さえあれば、これは3年程度で処理できる額だ。だから、財源として公的資金を使えば、不良債権問題は3年程度で終わるだろう。しかし、もし、公的資金投入を先送りすれば、銀行独力での処理は進まず、不良債権が増殖して問題は再び長期化する可能性が高い。

金融再生のための財源(公的資金)を投入して、不良債権処理のスピードを落とさないこと、が当面のポイントである。それさえ終われば、ゼロ金利政策を解除し、名目金利をプラスにしてデフレーションから脱却できるのである。

そして国債対策が残った

資本注入を行い、不良債権処理を終結させれば、ゼロ金利を解除でき、デフレを終わらせることができる。その後で、問題になってくるのが、国の財政と国債市場である。

資本注入や不良債権処理とは、言葉をかえれば、民間経済に空いた「債務超過の穴」を、政府(すなわち納税者)にツケ回しすることに他ならない。銀行や企業が返せなくなった借金を、政府が肩代わりするということである。銀行や産業が健康になって、そのツケが政府に回されるというのは、一般納税者からすれば納得のいかない話だ。しかし、日本経済に空いた借金の穴を、誰かが引き受けなければならない以上、これは仕方のないことである。銀行も企業も、体力の限界に達していて、彼らの健康が回復しなければ、国民の生活はもっと苦しくなっていくからだ。

したがって、デフレを脱却し、景気を回復させるためには、政府による債務の引き受けが不可避だ。だから、デフレ脱却後の最大の課題は、膨張した政府債務(国債)になるのである。問題は、デフレ脱却後に国債暴落リスクが顕在化するということだ。

今は、企業部門に資金需要がないため、銀行など金融機関は大量の国債を保有しているし、だれも国債を手放そうとはしない。だからデフレが続けば国債暴落も起きない。しかし、経済がデフレを脱却し、景気が本格的に上向いてくれば、企業の資金需要が旺盛になる。金融機関も手持ちの国債を売って、そのお金を企業に貸し出す方が有利になる。すると国債の投げ売りが発生するリスクが高まり、国債暴落が起きやすくなるのである。もし、国債暴落が起きれば、国債を大量に保有する生保や銀行などが連鎖破綻し、金利も跳ね上がるため企業倒産も続発するだろう。100%を超えるようなハイパーインフレが発生する可能性も高い。国債暴落による恐慌の発生である。

それを防止するためには国債管理を強化する必要が出てくる。財務省と日銀が連携して、国債を買い支えて暴落を阻止するのである。また、現在、国債の大きな引き受け手である郵便貯金の役割も、クローズアップされるだろう。景気回復期には、国債買い支えの大きな役割を、郵貯に担ってもらう必要が強くなるはずだ。郵政民営化は、この点も考慮に入れる必要がある。

国債を日銀が買い支えれば、経済に流通するマネーの量が増えるので、経済はインフレになっていく。通常の金融政策では、景気上昇期には反インフレ政策(国債の売り)を実施して景気過熱を予防するのだが、国債残高が巨額になり、国債暴落のリスクがあるときには、景気上昇期にも、あえてインフレ政策(国債の買い)をとらなければならなくなるのだ。その結果、日本経済はかなり高いインフレ(10%以上かもしれない)を数年以上にわたって我慢しなければならなくなるだろう。しかし、高インフレの持続は、景気回復の代償として甘受するしかない。

このような財政の経路は、アメリカの国債政策が第2次大戦後に辿った経路と同じである。アメリカでは、大恐慌と第2次大戦で巨額の国債が積みあがった。戦後、企業の資金需要が増えるとともに国債暴落リスクが高まったので、中央銀行にあたる連邦準備制度理事会は国債を高値で無制限に買い入れる政策をとった。その結果、アメリカ経済は高インフレに悩まされたが、国債暴落とハイパーインフレを防止できたのである。アメリカが国債残高の対GDP比率を正常化したのは、1980年頃であり、大恐慌発生から実に50年が経っていた。

日本もこれから、資本注入と不良債権処理を迅速に実施すれば、民間経済は3年程度でデフレから脱却するだろう。そうなれば、失業も減り、国民生活は明るさを取り戻す。そして残った問題である財政については、国債管理政策を続けながら、数十年というスパンで、正常化を目指すしかないと思われる。

2004年1月号 『文藝春秋』に掲載

2004年1月13日掲載

この著者の記事