危機は消えたのか

小林 慶一郎
研究員

企業決算ごとに繰り返された「危機」説がこの9月にはすっかり後退した。株価が回復し、景気が上向く兆しも見え始めたことが大きかった。しかし、危機は本当に消えたのか。日本経済は順調に回復していくのか。

景気なぜ上向く?

株価や設備投資が上昇し、景況感が上向く兆しが出てきた。政府や日銀の景気判断も上方修正されている。改善の原因は、実体経済の要因と金融要因を分けて考える必要がある。

03年3月期決算で、上場企業は大幅増益となった。みずほ総合研究所の集計(上場企業分)では、売上げが横ばいだったにもかかわらず、税引き前利益は前年度の4倍近くになった。固定費の圧縮など、企業の厳しいリストラ努力で、売り上げが伸びなくても収益が上がる体質ができてきたことを示している。

後ろ向きなリストラがようやく終わり、前向きの投資ができるようになったために、最近は設備投資などが改善してきている。自助努力によって経済が自律回復する兆しだ。

6月以降の株価の上昇も企業の体質改善は本物だ、という認識が広がったことが背景にある。

ただし、株価の上昇を理解するには金融要因が重要だ。実際、春先には企業の経営体質が改善したにもかかわらず、株価は低迷している。

この時は金融危機の懸念がまだ大きかった。状況を一変させたのは、りそなグループへの2兆円もの公的資金投入だ。政府は、りそなの既存株主の株主責任を問わず、結果的に既存株主は利益を得た。そのため「政府は銀行株主を守る」という安心感が広がり、銀行株を中心に関連企業などの株が買われた。銀行や関連企業が健全化したから株が買われたのではなく、政府の救済をあてにした株の買い戻しだった。

また、実体経済の改善が広く認識されるにつれて、外国人投資家が日本株の保有比率が低すぎると判断したものとも言われる。この比率を上げるために、とりあえず、日本株を買っているのだ。

実体面では企業活動に自律回復の兆しがみえるものの、株価の回復は、「日本の成長性に対する信任の表れ」とは言い難い、ということになる。

歴史の教訓は

1920~32年頃までの日本経済=メモ=は、バブル崩壊後の経過と驚くほど似ている。デフレ後の景気回復も32年ごろ起きている。円安と拡張型の財政金融政策が効いたと言われており、一見、構造改革路線より、財政ばらまき路線の方が成功した実例のように見える。しかし、話はそれほど簡単ではない。 当時の政府は金本位制に固執して、わざとデフレを起こす政策をとっていた。金本位制から離脱すればデフレから脱却できることは明らかだった。現在は、マクロ経済政策にとって金本位制の足かせは存在しないし、政府も日銀もデフレ脱却を目指している。そこが重要な違いである。

現在、拡張型のマクロ政策を実施しているのに、デフレから抜け出せないのだから、デフレの原因は財政金融政策以外のところに求めなければならないはずだ。それは金融システムの機能不全である。

20年代のデフレは農村や国民生活を疲弊させ、30年代のテロと軍国主義の遠因となった。しかし、一方で、企業、特に中小企業は、長いデフレの中で厳しいリストラを進めた。その結果、日本企業の経営は著しく効率的になった。

経済評論家の高橋亀吉は、当時の日本企業は英国企業を凌駕する高い生産性を達成していた、と記録している。32年から日本経済が輸出主導の経済回復を実現できた要因は、円安だけではなく、日本企業の構造改革が進んだためだったといえる。

また、27年の金融恐慌の後、金融システムの健全化が進んだことも重要だ。金融恐慌と昭和恐慌によって「財界の癌」が一掃され、金融機能が回復したのだ。

企業の効率化と癌の一掃という構造変化が30年代の拡張政策の効果を発揮させたと見ることができる。現在、企業部門が厳しいリストラをした結果、実体経済が自律的に回復し始めた、という点は当時とよく似ている。

しかし、当時の「財界の癌」が恐慌で一挙に整理されたのと比べると、現在の不良債権処理はかなりゆっくりとしたペースである。いまだに、銀行や企業の中には、大きな問題を抱えているところがあり、経済に不確実性を与えている。不良債権残高は減りつつあるが、銀行の業績は目標を下回り、経営健全化計画の下方修正を余儀なくされた銀行も出ている。

企業の努力で回復し始めた景気が、経済全体の持続的な成長につながるためには、金融システムの健全化は欠かせない条件だ。

最近の株高で、金融界の改革努力が鈍るのではないか、という懸念が言われている。景気が回復するなら不良債権処理を急ぐ必要はない、という誘惑は、表面的には正しいように思える。

しかし、過去の歴史と経験が示しているのは、金融問題を先送りすれば、実体経済にせっかく出てきた回復の芽も育つことはない、ということである。

今必要な政策は

今回の景況感の改善を、一時的なものに終わらせないために、まず、不良債権処理などによる金融システムの健全化は、手を緩めずに進めなければならない。株高で大手銀行は一息ついているが、株式をあまり保有しない地方の銀行は厳しい状況が続いている。

また、不良債権処理にともなう失業に対処するため、雇用等のセーフティネットも充実させる必要がある。

こうした金融再生や雇用対策などのコストを誰がどうやって負担するのか、というのは、財政の問題だ。

財政健全化には20年、30年という長い時間をかけざるを得ないが、その長期の道筋は、一刻も早く国民に示す必要がある。財政の将来像が見えないと、安心して消費することもできず、景気は良くならないからだ。

特に年金や消費税などの改革は、今すぐ着手しないとしても、長期的な展望を描く必要がある。折しも選挙の季節である。国民の不安を払拭するためにこの点の政策論議が深まることを期待する。

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1920~32年の日本経済

第1次大戦後、日本はバブル景気に突入し、20年にバブル崩壊を迎えた。政府や日銀による救済融資や銀行の追い貸しが大々的に行われ、問題企業や問題銀行の処理は先送りされた。これらは当時、「財界の癌」と呼ばれた。

財界の癌が増殖し、先送り政策が限界に達して発生したのが27年の昭和金融恐慌である。この金融パニックで大きな問題企業や銀行は整理された。

日本は第1次大戦時に金本位制を離脱し、為替相場は不安定な状態が続いていた。当時は経済低迷の原因が不安定な円相場であるとされ、金本位制への復帰が国家目標となった。

金融恐慌後に成立した浜口雄幸内閣は、金本位制復帰を目指して円の価値を高めるために、デフレ政策を実施した。しかし、それによって30年から31年にかけて深刻なデフレと不況(昭和恐慌)が引き起こされた。

恐慌で政権が交代し、高橋是清蔵相は金本位制を再放棄した。その結果、円は大幅に下落し、輸出が急伸、日本経済は急回復した。

2003年10月19日 朝日新聞に掲載

2003年10月22日掲載

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