求められるワーキングプア救済策 「最低賃金」より税還付軸に

川口 大司
ファカルティフェロー

コンピューター化と発展途上国からの輸入が増え、未熟練労働者の賃金には構造的に低下圧力がかかっている。これを救うには、未熟練労働者の雇用減少の懸念がある最低賃金上げより、米英で実績もある還付可能な税額控除制度のほうが、労働に対する誘因が強く、効果的である。

未熟練労働への需要大きく減少

体力の限界までは働けども低い所得しか得られない人々の苦しい生活が生々しく描写されたNHKの『ワーキングプア』は、私たちに大きな衝撃を与えた。格差の是非については様々な考え方があるが、絶対的貧困世帯に対して政府が救いの手を差し伸べるべきだと考える人は多いだろう。

そうした中、貧困対策として、実際に検討されている主なものには、最低賃金の引き上げ、未熟練労働者への技能訓練の実施、生活保護の拡充、還付可能な税額控除の導入の4つがある。望ましい政策を考える際には低賃金労働発生のメカニズムを把握し、それぞれの政策が労働者や雇用主に与える影響を冷静に検討する必要がある。

低賃金労働発生の原因については多様な見方があるが、多くの研究結果を踏まえると需要と供給のバランスで賃金が決定された結果として低賃金労働が発生しているという見方が有力である。

この需給面の変化の中で特に大きいのが、発展途上国とコンピューターで引き起こされた国内の未熟練労働者への労働需要の減少だ。まず、中国など未熟練労働者を大量に抱える発展途上国から日本への低価格商品の輸入が増え、日本国内の未熟練労働者への労働需要が減少した。さらに、繰り返し型の事務作業が価格が急落したコンピューターで代替され、単純事務に従事する未熟練労働者への労働需要も減少した。これら2つの変化の結果、未熟練労働者の賃金は低下した。

発展途上国からの輸入の増加、コンピューター化はかなり前から進展していたのに、未熟練労働者と熟練労働者の間の賃金格差は最近までそれほど広がってこなかった。しかし、これは1990年代に大学進学率が急上昇して熟練労働者の供給が増えた影響が大きい。今後、発展途上国との貿易が一段と盛んになり、コンピューター価格がさらに下がり、大学進学率が頭打ちになれば未熟練労働者と熟練労働者の格差は拡大し、未熟練労働者の絶対的賃金水準が下落すると考えられる。鎖国をして、コンピューターの利用を禁止するのは、私たちの生活水準を大きく下げ、現実的ではない。ではどんな貧困対策が望ましいのか。

生活保護増額 有効性は疑問

まず最低賃金の引き上げを検討しよう。需給の均衡で未熟練労働者の賃金が決まっているときに最低賃金が引き上げられると、コスト削減のため雇用主は未熟練労働者の雇用を減らす努力をするはずだ。例えば、ファミリーレストランでもコーヒーのお代わりを持ってウエートレスがテーブルを回っているところとドリンクバーでお代わり自由のところがある。

最低賃金が上がりウエートレスの賃金が上がれば、ドリンクバー方式を採用するファミリーレストランが増えるはずだ。最低賃金がさらに上がれば赤字になり、経営が厳しくなるところも出てくる。最低賃金が上昇した地域で未熟練労働者の雇用が減少したという実証研究は欧米に数多い。日本では研究の数が少なくまだ確定的とはいえないが、同様の報告がある。

現在の東京の地域別最低賃金は739円で町の求人広告の時給に比べるとかなり低いといえる。よって東京に住んでいる人は最低賃金を引き上げても雇用への影響はほとんどないと思うかもしれない。しかし、青森県や沖縄県といった市場賃金が低い地域では、最低賃金に近い賃金で働く労働者が実は多い。したがって高額の最低賃金を全国一律に設定すれば、低賃金地域の未熟練労働者の雇用機会を減少させる可能性が高い。

また、最低賃金労働者には学生にアルバイトや主婦のパートもいて、必ずしも貧困世帯の構成員とは限らないとの指摘もある。最低賃金の引き上げには財源が不必要なため、比較的容易に実現できる貧困対策としてよく議論されるが、副作用も十分認識すべきである。

次に労働者側に働きかける政策として、未熟練労働者を対象にした職業訓練について検討してみよう。職業訓練は未熟練労働者の技能を向上させることによって賃金を上昇させる試みだが、教育によって技能を向上させるのは容易ではないので、かかるコストの割に限定的な効果しかあげない可能性がある。

貧困対策の一環としての職業訓練制度の拡充は、既存の職業訓練プログラムの有効性を欧米諸国で標準的に行われている実験的政策評価手法を用いて厳密に評価し、費用対効果が高いプログラムを重点的に拡充していく対応が求められる。財政支出を伴う政策すべてに当てはまるが、限られた予算で最大の効果をあげ、納税者の理解を得るには厳密かつ透明な政策評価が不可欠である。

貧困を直接解消する手段として生活保護増額を提案する人もいる。現在の生活保護制度は、貧困世帯の家族構成・居住地などにより最低生活費を設定。その額から世帯所得を差し引いて支給額を決めている。よって一定水準以上の労働所得を得ると労働所得が増えた分だけ支給額が減らされ、追加的な労働所得を得ても手取り総額は増えない仕組みになっている。

実際には生活保護を受給するには窓口での厳しい資格審査があるうえ、申請への心理的な抵抗も大きいので、家計の所得が最低生活費を下回る世帯のうち実際に生活保護を受給している世帯は多くても2割程度ではないかとの指摘がなされている。しかし、現在の制度はいったん生活保護を受給し始めると労働のインセンティブ(誘因)をそいでしまい、生活保護への依存を助長する側面を持っている。生活保護額の増額はこのひずみを増幅させるおそれがある。

そこで生活保護制度が持つひずみを軽減しワーキングプアの人々を支える政策が必要である。一例として低賃金労働者の賃金に政府が補助金を上乗せする賃金補助政策がある。例えば、時給750円で働いている人がいるとしよう。フルタイム労働者の標準的な年間労働時間は2000時間だからフルタイムで働いても年収は150万円で、家族を抱えて生活するには苦しい年収である。

そこで、仮に政府が時給の2割分の150円を補助金として上乗せすれば、労働時間が不変でも年収は180万円になる。政府の補助金を足した後の実質的な時給は900円だから、労働へのインセンティブも強くなる。

納税者番号の導入不可欠に

東京大学の玄田有史氏の最近の研究によれば、若年非就業者には働いたとしても低い賃金しか得られないと予想される人々、例えば中卒といった人々が多いという。賃金補助によって若年非就業者の予想賃金を上昇させることができれば、有効なニート対策ともなりうる。

このような賃金補助政策は非現実的に聞こえるかもしれないが、実は還付可能な税額控除制度を導入することで実行可能だ。わが国の所得税は所得額から控除額を差し引いたものに課税する仕組みになっているが、控除額が所得額を上回っても、税額がゼロになるだけだ。そこで控除額が所得額を上回るとき、上回った分に依存した還付金を受け取れるようにするのが還付可能な税額控除制度である。控除額を労働所得にうまく依存させれば貧困世帯のみを対象とした賃金補助を行うことは可能だし、実際に米国や英国ではすでに導入され福祉改革を成功に導いている。

還付可能な税額控除制度が企業に対する賃金補助よりも魅力的なのは、世帯単位の所得をもとに控除額を決めることで貧困世帯の労働者を狙い撃ちできる点である。もっとも実行にあたっては世帯単位の所得を正確に補足する必要があるので納税者番号の導入が不可欠となろう。財源と制度改革が必要で実行は容易ではないが、腰をすえて取り組む価値のある政策である。

私たちが直面している貧困問題はグローバル化やコンピューター化に代表される経済構造の変化を根本的な原因としており、容易に解決できる問題ではない。この難問に対する政策は多岐にわたるが、それぞれを総合的に検討し有効な貧困対策が立案され実行されることに期待したい。

2008年3月5日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2008年4月3日掲載