政策評価の意義

金本 良嗣
RIETIファカルティフェロー

国の無駄な政策が多いのではないかという批判を受けて、政府が各省庁の政策についての評価結果を取りまとめて国会に提出する法律が昨年施行されましたが、その初めての内容が、この6月に公表されました。

担当している総務省行政評価局は「政策評価白書」と呼んでいます。2002年度の1万930件の政策について、400ページと500ページA4判2冊に個別の評価結果が綴られています。

しかし、事業の総便益は何百億円、総費用は何百億円、だからこの事業の費用便益比は1.6でコストより便益が上回っています、という結論の数字がずらずら並んでいるだけで、読み物として面白みはないですね。「私たちはちゃんと仕事しているから信じてね」というスタンスです。

総便益や総費用にしても、それが信用できる数字なのか、根拠となるデータや計算の仕方も公表されていないから、検証のしようがありません。トライしようと思っても、現状ではまったくできません。まったく信頼性の確認ができない状況なのです。

公共事業の評価に関しては、97年に当時の橋本龍太郎首相が費用対効果分析を出すよう指示し、今回の評価制度の導入以前から、かなり行き渡ってはいます。ただ、事業をやりたい人が自分たちに都合の良い評価マニュアルをつくり、それに基づいて計算する人も、事業やることで飯を食っている人なわけですから不利な計算をしないよう、様々な形のバイアスがかかってくる可能性があります。こういったことを防止する手当ができていないのが問題です。

「情報公開法で開示請求すればいいんですよ」と役人は言いますが、開示請求して出てくる保証はありません。公共事業に関して言えば、こうした計算は民間のコンサルタントに委託しているケースが多く、「詳細な情報は役所にはありませんから出せません」と言われれば、それまでだからです。

一般的に総便益の誤差なんて、3割、5割は当然です。今回の「白書」を見ても、費用便益が1.02とか1に近い事業が相当あります。税金を集めるコストを考えれば、1ギリギリの事業自体疑問視すべきなのですが、何とか1を超えるように担当の役人が一生懸命数字を操作したのではないかと疑われて当然です。

では、政策評価制度に意味はないのか。私は決して、そうは思いません。本来は行政評価局が評価の信頼性について責任を持つはずですが、実際には他省の個別の評価結果に口出しすることは難しいのが現状です。省ごとに取りまとめた評価結果を全体として見やすくするよう形式をどう整えるか、といった手続き上の関与の仕方にとどまっています。ですが、行政評価局が情報開示のためのガイドラインをつくることは可能です。それだけで、政策の質はがらりと変わると思っています。

今回の制度では、公共事業の費用便益分析などの「事業評価」と呼んでいる評価方法に加えて、「実績評価」と呼んでいる目標管理型の方式も取り入れられています。これは最近アメリカやイギリスで行われているものをまねた方法ですが、日本ではうまく機能していません。それは、政治の仕組み自体が違うからです。例えばイギリスでは政党が選挙公約として具体的な政策を掲げ、それを持って政権をとった党が政府に乗り込んで政策の目標を決めます。しかし、日本の場合は、ほとんどの政策目標が役所の各課からボトムアップで上がってきて、省庁の局で調整し、さらにそれを政府で調整するという仕組みです。

欧米で目標管理型の政策評価がそれなりに機能しているのは、政治家がリーダーシップを発揮できるということと、費用便益分析等の事業評価が浸透していて、政治家の暴走が防がれていることにあります。これまでの日本で政治家をチェックしているのは実際には官僚だったわけですが、政策の中身の評価によってではなく、大蔵官僚(現財務官僚)が手練手管でくい止めてきたということだったわけです。

しかし、官僚の政治的手腕で政治家の暴走を止めるということは無理な時代で、役所の方々も、無駄な政策や公共事業をきちんとした政策評価によって止めていくことの必要性も分かってきています。役人から話を聞いてみると、詳細なデータを出したがらないのも、無駄な事業を辞めさせないための組織防衛というより、自分の担当分野だけ公表すれば目立ってしまい、誰につつかれるか分からないという心配からが大半のようです。

日本の行政組織の良さは、横並びでやると決まれば、すぐに実行できてしまう点にあります。全部のデータや情報を出すということは個人情報保護等の関係で不可能かもしれませんが、公開不可能な情報はそれほど多くありません。公開可能な情報は公開するという情報公開ガイドラインを作れば、各府省が行っている政策評価が検証可能になり、政策評価制度が生きてくるのは間違いありません。

米国のようにインターネットで公表されていれば、学部の学生程度でも、かなりの分析ができます。中身の伴う、成果ある制度に変えていくのは、そう難しくはないはずです。

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2003年7月21日号 『AERA』 (朝日新聞社)に掲載

2003年7月29日掲載

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