筆者はインダストリー4.0に関して、日本は不幸な国だと思っている。国民がインダストリー4.0について知りたいともっとも強く思った頃、個々の分野では専門家はいたが、全体を俯瞰し、素人にわかりやすく説明できる人が日本にいなかったため、当初、その役割を担ったのが技術の非専門家だったからだ。技術の専門家ではないため、技術の全体像やインダストリー4.0の技術の本質を十分に理解せず、正確な情報伝達役とはなりえず、センセーショナルでミスリードの情報が日本中に流れ、それを多くの国民が信じ込んでしまった。いったん、信じ込んだ先入観を変えることは難しい。それによってインダストリー4.0の本質が誤解され、日本での普及に遅れが生じるのではないかという危機感さえ持っている。以下に例を挙げよう。
[誤解その1]インダストリー4.0は単なる人員削減の手段ではないか。
ドイツでは、インダストリー4.0の導入により、労働者の仕事が奪われるのではないかとの懸念から、労働組合が懸念の声を表明してきた。日本でも、人々の注目を集める目的なのかどうかわからないが、人工知能やIoTが導入されれば、一部の人間の仕事が失われるのではないかという議論が強調されており、人々の不安を煽っている。
だが、例えば、パソコンが導入されたとき、タイピストという仕事は失われたが、彼女らは一般事務に配置転換されて仕事を習熟していった。さらにグーグル、ヤフー、マイクロソフト、楽天、NTTドコモなどが、ネット販売、ネット金融、音楽配信、検索エンジン、SNSなど新しいビジネスを生み出して成長し、膨大な新規雇用を生み出してきた。
このように、IoT導入により、失われる仕事はあるが、新しく生まれる仕事の方が格段に大きく、急成長する企業を創出する。それらをバランスをとって述べなければならない。
インダストリー4.0は単なる人員削減の手段ではないか、という意見は、パソコンが導入されるとタイピストという仕事が失われることのみを強調しているに過ぎない。
[誤解その2]ドイツはインダストリー4.0を始めた。米国は、インダストリアル・インターネットを始めた。日本のモノづくりは大丈夫か?
これなどは、国民の不安を煽って、注目を集めようとする常套手段である。これまで縷々述べてきたように、日本の技術は決して劣ってはいない。むしろある面では世界のなかで優位的立場にさえいる。
一歩譲って、国民の不安を煽って、注目を集めようとする意図がなかったとしても、ドイツのかっこいいキャッチコピーのプロパガンダに踊らされ、冷静で客観的な思考がなされない声である。
[誤解その3]その程度なら既にやっている。何が新しいのだ。トヨタ生産方式とどこが違うのか?
これは、先ほどとは真逆のことを述べている内容だが、ドイツに関する無知からだろうが、あまりにドイツを軽んじている。かつて日本は、韓国が半導体ビジネスに参入したとき、韓国を見くびったがために、今や韓国の足下にも及ばなくなってしまったが、その現象とよく似ている。
かつて日本にパソコンが導入された頃、怖くてパソコンに触れることができなかったにもかかわらず、パソコンなしで十分仕事ができると自慢していた者がいたのと同様、新しい技術に対してアレルギーを感じ、冷静な思考ができない声である。
[誤解その4]ドイツは一枚板でまとまり、すごいことをやっている。
2013年頃、ドイツ関係者が外国に向かって「夢で語っていたコンセプト」をそのまま、今も受け売りしている者である。
[誤解その5]系列を破壊するのではないか? 系列がある日本には導入できないのではないか?
「夢のコンセプト」によれば、ドイツでもBMW、ベンツ、ポルシェ、アウディなどの工場どうしが接続されるのは20年後の予定でしかない。ドイツでも本当に実現するかどうか、わからないことを前提に、日本への導入を完全否定することは愚かなことである。日本は日本の風土に合った形で発展させればよいだけである。
図1に世界の鳥瞰図を示す。各国の各企業・機関は、自らの過去の膨大な蓄積を基に、その延長線上で取り組んでいる。個々の分野では、各社とも世界トップクラスにある。ネット化の波は、金融(フィンテック)、農業(スマートアグリ)、医療介護、エネルギー(スマートグリッド)、運輸、都市(スマートシティ)などあらゆる分野に同時に押し寄せている。そのうち製造業分野における変革のことをドイツ人はインダストリー4.0と呼んでいるにすぎない。

それは世界各国におけるネット化の呼び名にも現れている。ネット化の波は、世界中に同時に押し寄せており、国、地域、企業、人により、呼び方が異なっている。だが、呼び方は違っていても、内容は同じことを指している。
(1)ドイツでは、「インダストリー4.0」というかっこいいキャッチコピーを国が創造することで、ドイツ全体が新しく先進的な取組みをしているというイメージのアピールに成功している。ドイツの取組みは他国に比べて傑出していると思い込んでいる者は、技術の中身がよくわからない者であろう。
(2)米国では経済活動は民間企業が行うもので、基本的に政府の産業政策が存在しない国である。GEは、「インダストリアル・インターネット」、シスコ・システムズは、「すべてのインターネット(IoE ;Internet of Everything)」、経済学者のマイケル・ポーターは、「第三次IT革命」などという表現を用いている。
(3)中国では、政府が「中国製造2025」と呼ばれる政策を実施しており、これは「中国版インダストリー4.0」とも言われている。
(4)真面目な日本では、ドイツの「インダストリー4.0」に相当するような国全体でのかっこいい呼び名はない。民間企業が独自の呼び方で独白のビジネスを展開している。例えば、日立製作所は、「共生自律分散制御システム」、富士通は、「スマートなものづくり」、三菱電機は、「e-F@ctory」「CC-Link」、日本電気NECは、「次世代ものづくりソリューションNEC Industrial IoT」、東芝は、「次世代ものづくりソリューション Meister」、法政大学の西岡靖之教授は、「インダストリアル・バリューチェーン・イニシアチブ(IVI)」などという呼び名をつけている。
また、特定の国や個人の固有の呼び名ではないが「M2M(Machine to Machine)」、「スマート工場(Smart Factory)」、「スマート製造業(Smart Manufacturing)」、「デジタル製造業(Digital Production)」、「デジタル工場(Digital Factory)」などとも呼ばれている。
以上からわかるように、日本に「インダストリー4.0」に相当する呼び名が存在しないからといって、日本の技術力が遅れている訳でも何でもない。