IoT, AI等デジタル化の経済学

第179回「AIがマクロ経済に与える影響(5)」

岩本 晃一
リサーチアソシエイト/立命館アジア太平洋大学

6 リスキリングの重要性

図1は、スキルアップと比較したリスキリングのイメージである。スキルアップは、同じスキル領域のレベルを上げるものであるが、リスキリングとは、まったく異なった領域でスキルを取得するものである。

図1:スキルアップとリスキリングの比較 イメージ
図1:スキルアップとリスキリングの比較 イメージ

例えば、大卒後、銀行に入って融資の審査業務を行っていたが、そこにFintecが導入され、審査部はほんの数人で良くなったので、余剰職員は、銀行のデータを解析分析するデータアナリストとしてのリスキリングを受けて、職場を配置転換する、といった具合だ。もしくは、AIプログラマーとしてのスキルを取得して、メルカリに転職するといったことも想定できる。(図2)

図2:リスキリングによる労働力移動のイメージ
図2:リスキリングによる労働力移動のイメージ

リスキリングの基本は、「AI導入による生産性向上の過程で職を失う人々」が新しいスキルトレー二ングを受けて「AI導入により新しい産業や大きな雇用を創出する分野」へと労働力移動することである。それは通常は、企業や組織を超えて移動が行われる。

だが現時点では、一体誰が責任を持って、企業・組織を超えて労働移動する人のリスキリングを行うのかという議論はほとんど行われていない。従来、日本では、雇用者のスキル訓練は、企業内OJTにより行われており、国は日本人のスキル訓練を企業に全面的に依存してきた。

企業は入社面接で応募者が、特に大卒の新入社員がどのようなスキルを持っているのか質問することはほとんどない。スキルは入社後、身につければ良いと考えているからだ。それよりも入社後の人間関係や人間性、また将来の伸びしろを観察する。欧米企業では、入社を希望する若者の有するスキルが自分の会社が必要としているスキルと合致するかどうかを詳しく聞く。それは日本の面接とはまったく対照的である。

これまで国は日本人労働者のスキルを訓練するための施設をほとんど整備してこなかった。それでも、世の中は回っていた。だが、今のようなAI時代に入り、リスキリングが必要な時代に入り、国によるリスキリング施設がないことが大きな問題となっている。

2009年からコロナ前まで定期的に現地調査のために訪問していたドイツでは、全国各地に職業訓練所があり、そこは商工会議所が管理運営を行い、地方自治体が資金を提供している。2013年に発表されたインダストリー4.0構想による雇用問題を検討するため、Work4.0プロジェクトがドイツ政府により開始され、2017年3月に「White Paper Work4.0」においてリスキリングを提言してプロジェクトは終わった。今はその提言に基づき、全国の職業訓練所でリスキリングが行われている。

だが悲しいかな、日本にはそういった全国規模の公的な訓練施設がない。

ある企業がAIを導入し、余剰人員を解雇して企業外へ送り出すとき、企業はリスキリングの訓練を行ってから送り出すことはない。単に解雇して送り出すだけである。 ある企業がこれからAIを導入して新しい事業を始めようとするとき、新しく雇用する人員は、すでにAIの知識を持っている人を雇い入れる。入社時にAIに関する知識を何も待たずに入社後にAIのスキル訓練を受けさせる必要がある人間は雇わない。

そうすると残る手段は2つしかない。1つは解雇された人が以前の会社勤務中に貯めた貯金をはたいて自己投資する方法がある。だがいつ再就職できるか分からない不安の中で、自己スキル投資のために貴重な貯金を使えというのは余りに酷ではないだろうか。

残る2つ目は公的な機関がリスキリングを行う方法である。だが上述したように、日本はドイツとは異なり、国がそのような施設を整備することを完全に怠ってきた。そうすると残る最後の手段としては、大学しかない。全国各地に立地する大学で、生涯学習の一環としてスキリングを実施する、というのが日本の現実的な案ではないかと考える。所管が厚生労働省と文部科学省に分かれ、異なっているので、省庁の壁を超える必要がある。場所は大学を使用することができても、教官を必要数そろえることができるかという難題もある。

もし、日本においてリスキリングが進まなければ、企業や組織を超えた労働移転がスムーズに進まないことが予想され、以下のような将来の日本の姿が予想される。

  1. 1)経済格差が拡大する。かつて日本の経済成長を支えた中間層がいなくなり、低賃金・低収入層が増える。
  2. 2)セーフテイネットへの国家財政支出が増加する一方、 国の将来の成長の投資に回す国家財政予算が減少する。
  3. 3)企業がグローバルで競争するために必要なスーパースキルを持った人材、例えばデータサイエンテイスト、サイバーセキュリテイ専門家などの人材が不足し、日本経済の成長の足かせとなる。

いずれにしても 日本のマクロ経済にとってマイナス要因となる。

7 リスキリングによるマイナス面とプラス面

図3は、リスキリングの前後に関して、そのイメージを表現している。確かに、リスキリングをどんなに施しても、新しい技術に馴染めない人、新しい技術の下では働けない人が一定数発生する。これはAIに限らず、どんな新しい技術であっても、過去これまで同じ現象が起きてきた。かつてはパソコンが1人1台ずつ配布されたときも、パソコンをどうしても使えなかった人がいた。

そういう人をどのように処遇するかはどの国でも大問題である。私が訪問したドイツでも深刻な問題であった。ある人は「お金を渡して、辞めてもらうしかない」と言ったことがある。

日本では、そうした人の処遇は会社の人事上の問題であると思う。会社の人事部が責任を持って処遇すべき問題であると考える。

一方、古い技術の下では働けなかった若者が、新しい技術の下では働くことができることがある。例えば、古い油まみれの旋盤工場では働けなかった若者が、綺麗なオフィスでのアプリ生産工場では働くことができる。このように新しい技術の登場は、それまで働けなかった人の労働市場への新規参入を可能にする。

世間では、前者の新しい技術の下では働けない人ばかりが注目されているが、一方で新しい技術の下では、新規参入者もあることを強調しておきたい。

図3:AI時代に新しく労働市場に参入できる人々と退出する人々
図3:AI時代に新しく労働市場に参入できる人々と退出する人々

8 当面われわれが直面する課題

AIが人間の労働に代替する前に、当面われわれが直面する「生成AIが雇用に与える影響」の大きな3つの波がある。

  1. 1)生成AIを使いこなせない人が、労働市場から弾き飛ばされる。かつてパソコンが1人1台配布されたときに発生した問題と同じ現象である。
  2. 2)雇用減より賃金低下が発生する。ChatGPTによって、平均的な執筆スキルを持つ人々が、論文や記事を書くことができるようになり、ジャーナリストの競争は激しくなり、賃金が低下する。また翻訳・通訳AIが出現したことにより、同レベルの技能を持った翻訳家・通訳の賃金は大幅にダウンしている。
  3. 3)GPS技術とウーバーが出現したとき、タクシー運転手が全ての道を知っていることの価値が下がり、その結果、既存のタクシー運転手は大幅な賃下げを経験した。
  4. 4)デジタルに関する高度な知識を持つ専門職に対する需要が急増するが、人数は極めて限られているので、データサイエンテイスト、サイバーセキュリテイ専門家などの賃金が高騰する。

これらは日本のマクロ経済にとって大きなマイナス要因である。

9 AIの雇用問題を解決する王道

AIの雇用問題を解決する王道は、新しい事業や産業を興して、失う雇用よりも、もっと大きな雇用を創出することである。
動力で駆動する機械の時代は、新しい産業が勃興し、新しい仕事が生まれてきたが、比較的その変化が緩やかだったので、その仕事ができる人材は、ゆっくりと待っていても、必要な量が確保されてきた。
だが、AIの時代では、新しいテクノロジーの急速な勃興に必要な大量の人材が、急にはそろわない、という問題が深刻化している。
テクノロジーの発展で余剰になった人材をリスキリングし、新しく必要とする分野にスムーズに移動することが必要である。そうしないと、失業の問題よりむしろ、新しい事業や産業が立ち上がらず、日本が、日本企業が世界の競争に負けてしまうという危機がある。これもまた日本のマクロ経済にとって大きなマイナス要因である。

2025年2月17日掲載

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