米連邦準備理事会(FRB)は、9月17〜18日の米連邦公開市場委員会(FOMC)で金融緩和に踏み切ると予想されている。ここ数カ月で高インフレも抑制され、雇用情勢などのマクロ経済データも大方弱含んでいるためだ。2020年3月以来4年半ぶりの金融緩和となる。世界中の市場参加者が米金融政策の動向に注目し、金融市場も一喜一憂を繰り返してきた。
08年の世界金融危機のような米国発の金融ショックや米国の政策変更は資産市場、銀行融資、景気循環を通じて他の経済地域にもスピルオーバー(波及)し、途上国や新興国経済が独自の安定化策で抵抗するのは難しい(ヘレン・レイ英ロンドンビジネススクール教授の「グローバル・ファイナンシャル・サイクル論」)。
米国の影響力はその経済規模だけでなく、ドルが世界で最も支配的な国際通貨であることにも由来する。第2次世界大戦後、ドルは国際貿易、投資・金融取引、外国為替市場取引で最大のシェアを占めてきた。23年末時点で世界の中央銀行の外貨準備の約58%がドルで保有されており、2位のユーロ(約20%)を大きく引き離す(図参照)。円は6%、人民元は2%だ。
ドルが主要な国際通貨である理由はいくつかある。第1にドル市場は流動性が高く(他の金融資産と容易に交換できる)、厚みがあり(金融資産の種類が多く、取引量が多い)、信頼性が高く、比較的安定している。
第2にドルが基軸通貨として使用されることで地域の経済統合に寄与する。例えば韓国やタイでは、中国や東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国との貿易の7〜8割程度がドル建てだ。貿易建値通貨を統一することで為替変動リスクを回避し、より安定した投資と経済成長につながる。
第3にドル資産は「安全資産」として、経済・金融危機に対し脆弱な途上国・新興国の市場経済にとっての保険の役割を果たす。実際にドル資産保有高が高い経済ほど、危機に陥った時のマクロ経済的なダメージが少なく、回復も早いとされる。ドル資産は流動性が高く利便性が高いため、利回りが低く保有する機会コストが高いにもかかわらず保険としての需要がある。
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こうした利点とは対照的に近年、「ドル1強」の国際金融システムに対する疑念が議論されている。
第1に前述した米国発のスピルオーバーである。途上国・新興国経済は金融市場が未発達なため、自国通貨建てで国際債券を発行したり海外から銀行融資を受けたりするのが難しく、ドル建てで資金調達することが多い。新興国の多くは巨額の対外債務を抱える(その約6割がドル建て)。ドル建てで短期資金を調達して自国通貨建てで対内投資するので、何らかのショックが起きると期間と通貨のミスマッチが起きやすい。
レイ教授は、途上国・新興国経済がスピルオーバーに陥った際は資本規制などを実施して国際金融市場との関係を閉じない限り、自国の経済を独自に安定させられないと主張する。FRBは国内経済の安定を第一の政策目標にするとの委任(マンデート)を受けている。だが米国の国内志向の安定化政策が必ずしも他国の安定化につながるとは限らず、世界経済全体を不安定化させる可能性もある。
第2にドル1強の国際金融の下では米国財政に対するチェック・アンド・バランス機能が緩むリスクである。米国はドル資産の信頼性や保険的役割を持っているため、それを担保に比較的安く資金調達ができる。
ある国が財政的に浪費体質になった場合、通貨安という形で市場からメッセージを受け、浪費体質改善が促される。だがドルは安全資産として根強い需要があり、世界最大の債務国である米国が浪費体質を続けても、米国経済が破綻しドルが暴落する可能性は低い。
実際に08年の世界金融危機時には米国が震源地なのに、「質の逃避」のためにかえって海外資本がドル市場に流入し、ドルが一時的に値上がりする状況が起きた。ほかに強い通貨が複数あれば、主要通貨間での為替変動により米国財政に対するチェック・アンド・バランスが機能する可能性があるが、ドルのライバルがいない状況では難しい。
第3に「ドルの武器化」である。22年2月にロシアがウクライナを侵略した際、米国と欧州連合(EU)はドル、ユーロの提供を禁止し、ロシアの特定の銀行を国際銀行間通信協会(Swift)から排除した。米国は制裁対象国を援助する国にも金融制裁を課す可能性を示唆している。ドルの武器化は、直接制裁を受けているロシア、イラン、北朝鮮などだけでなく、グローバルサウスの国々からも反発を招いている。
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こうしたドル一辺倒の状況を変え、国際金融をより安定させるには、ドルの競争相手となりうる主要通貨を増やすことが効果的だ。米国発のスピルオーバーを避け、武器化したドルの影響から逃れたいBRICS諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)は最近、自国通貨での決済や対外投資を増やし、海外でも自国通貨の流通を目指すなど、自国通貨の国際化を推し進めてきた。
通貨が主要な国際通貨になる条件として、通貨発行国の経済・貿易規模、法整備や確実な契約執行などの制度的発達、所得レベル、金融市場の発展や市場の開放性があげられる。BRICS諸国はこれらの条件を比較的近い将来満たすと期待される。だが一番の難関は、金融市場の開放性と金融市場の発展に必要な法整備を確立できるかだ。
中国は15年の上海株式相場の暴落時、資本流出を止めるため積極的に資本規制をとった。内外の市場関係者に対し、中国政府は必要とあらば積極的に資本規制をするとの印象を与えた。
ロシアや中国など新興国市場では、法律の解釈や適用が民主的なプロセスを経ずに恣意的になされる可能性がある。通貨の国際化の条件である法の整備、透明性、様々な自由や公平性といった点で、国際通貨の要件を満たすには時間がかかるかもしれない。開放的な金融市場を持ち、経済規模や所得レベルで条件を満たすユーロでさえ、ドルと対等な地位を確立できていない。BRICSやその他の国の通貨が国際化に成功するかどうかはわからない。
最後に、円の国際化をもう一度考えてみる価値があるだろう。円の国際化は1980年代から議論されたが、90年代の長期不況の始まりとともに、計画も頓挫した。しかし円の国際化の条件として経済規模以外はすべて満たしている。また米国と違って明確な敵国を持たず、政治的に安定し、外交的にも比較的中立な国としての地位もある。
もし日本政府が円の国際化に再び着手しても、一気にユーロ並みに国際化することはないだろう。しかしある程度影響力がある中堅通貨となる可能性はあるかもしれない。ユーロと円は米国財政および外交、地政学的な面でも米国のチェック・アンド・バランスの役割を担えるかもしれない。
2024年9月13日 日本経済新聞「経済教室」に掲載