米利上げ後の展望 新興国経済、ドル高で試練

伊藤 宏之
客員研究員

米連邦準備理事会(FRB)は3月16日、政策金利を0.25%引き上げた。コロナ危機に対応して2020年3月以来続けてきたゼロ金利政策が終了した。

今回の金融引き締めは約40年ぶりの高水準のインフレに対応するものだ。米国経済は20年春の景気の底から回復基調にあり、モノやサービスに対する需要は堅調だった。特に21年にワクチン接種が本格普及してからは、経済活動が復調し総需要が拡大していた。

だが供給面では人手不足が深刻で、生産や物流の遅れが生じている。サプライチェーン(供給網)がうまく機能せず、小売業にも影響を与えている。医療、飲食、宿泊などのサービス業でも全体的に旺盛な需要に供給が追い付かず、そのギャップが21年後半以降、1980年代初頭以来の高インフレとなって表れた。

さらに22年2月のロシアのウクライナ侵攻以来、両国とも資源や商品作物の主要輸出国であることから、原油、天然ガス、小麦などの価格が高騰した。高インフレの輸出という形で世界経済に影響を及ぼしている。

ロシア経済は、国際銀行間通信協会(SWIFT)からの一部銀行の排除、中央銀行の外貨準備の取引制限、貿易面での最恵国待遇の撤廃、多くの外資系企業の撤退など、多岐にわたる制裁により機能不全に陥っている。ルーブル相場は一時暴落し高インフレが経済を圧迫するとの懸念が広がり、ロシアの外貨建て国債の一部や国営ロシア鉄道でデフォルト(債務不履行)が認定されるなど、経済全体の危機が取り沙汰される。

欧米諸国はインフレ圧力に直面していたところに、ウクライナ危機でさらにインフレ圧力が高まった。

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FRBのように、インフレ抑制のために政策金利を引き上げるのは常とう手段だ。金利引き上げによるインフレ抑制は、経済の需要サイドが過熱している時に最も効果的だ。だが今回のインフレは、サプライチェーンの混乱、労働力不足、資源・商品市況の高騰など供給サイドの問題が原因だ。それぞれの問題が解決されない限り、金融政策だけで解決するのは難しい。従って高インフレは長期にわたり続くと予想される。

米国経済にとって最大のリスクは、高インフレと景気後退が同時に起きるスタグフレーションだ。政策金利引き上げによる資金調達コストの上昇に加え、ウクライナ危機に伴う不確実性の高まりが消費・投資マインドを冷え込ませ、景気後退をもたらしかねない。

米国の金融引き締めは、特に多額の対外債務を抱える新興国経済に大きな影響を与える可能性がある。

新興国の多くは巨額の対外債務を抱え、その約6割がドル建てで、FRBの金融政策による影響を受けやすい。FRBの金融引き締めはドル高を招き、ドル建て資産への需要を増大させて、資本が新興国から先進国、特に米国へ流出する。

基軸通貨ドルは国際金融システムで圧倒的な地位を占めている。世界に流通する金融資産、国際貿易決済、国家間の銀行融資に占めるドル建ての割合は高い。従ってその他の国、特に新興国や発展途上国のように自国通貨建ての資産を容易に拡大できない国は、対ドルレートの変動を通じて米国のマクロ経済状況や金融政策の影響を受ける。それが自国の資産市場や信用の伸び、対外的な資本の流出入を決定づける。

新興国の多くはコロナ危機以前から多額の債務を抱えていた。08年の世界金融危機後、米国など先進国が政策金利を引き下げたことで、ドルをはじめとする主要通貨が相対的に下落し、外貨による資金調達コストが低下し、結果として新興国の対外債務が増加した。

図からも、ドルの相対価値(実質実効為替レート)が低下した08年前後に新興国への資本流入が増えたことがわかる。海外からの資本流入は国内での投資意欲を高め、経済全体の債務を拡大させた。10~19年の間で、新興国の総負債の国内総生産(GDP)比率は60%から170%以上に拡大した。18年には新興国国債の海外投資家保有比率は43%となり、外貨建て社債のGDP比は10年の19%から18年には26%に上昇した。

図:新興国の民間部門資本流入とドルの実質実効為替レート

コロナ危機に対応するため多くの国が積極的に財政出動をして、感染者の救済、医療制度の保護、感染拡大に伴う個人・企業の所得補塡など、経済の悪化防止に努めた。感染拡大による税収減と相まって財政赤字が拡大し、もともと債務残高の多い国々がコロナ危機によりさらに大きな債務を抱えることになった。

そうした状況での米金利上昇は前述の通り、対外債務の返済負担を拡大させることにつながりかねない。

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またウクライナ危機により、安全資産として「有事のドル」の需要が高まっている。さらにロシアのデフォルト懸念について、投資家は新興国全体のリスク上昇の兆候ととらえる可能性がある。こうした状況を背景に、当面はドル高基調で推移するとみられる。

このままでは新興国で通貨安が進み、輸入品を含む物価の上昇につながることが予想される。世界的なインフレは新興国の消費者の購買力を低下させ、苦しい生活を余儀なくさせる。

新興国の中央銀行は政策金利の引き上げを検討せざるを得ない。これにより自国通貨の下落が止まり、インフレが沈静化する可能性がある一方、金利上昇は資金調達コストを引き上げ、企業投資や個人消費を減速させることが予想される。

欧米では3回目のワクチン接種率が高く感染状況が改善されたこともあり、旺盛な需要につながった。一方、新興国や途上国ではワクチン接種が遅れており、所得補塡政策も大規模に実施されていない国が多いため、総需要の回復は先進国ほど強くない。この状況下では、新興国にとって金利引き上げはリスクが伴う。

新興国は、自国の金利政策とは無関係に厳しい状況に置かれている。米国が金融引き締めを進める中で、新興国が何も対応しなければ自国通貨安を通じてインフレ率が上がる。つまり海外からインフレを輸入することになる。

一方、新興国が自国金利を引き上げればインフレを多少抑制できるかもしれないが、自国金利の上昇により債務の利払いが増大し、債務残高の大きな国のカントリーリスクが高まる可能性もある。

グローバル化の進展により、経済大国である米国と新興国の経済状況や政策の変化は相互に深く結ばれている。ショックが発生すれば震源地がどこであろうと世界金融市場を駆け巡る。可能な限りの安定性を確保するには、金融当局が市場参加者と十分にコミュニケーションをとり、情報の透明性を高めるとともに、主要7カ国(G7)や20カ国・地域(G20)を通じて、各国財政当局や中央銀行間で活発に情報交換や情報開示を進める必要がある。

経済の先行きと金融・財政政策の予測可能性を高めることが最善の道である。それが金融市場や国際貿易の安定につながり、世界全体の利益となるだろう。

2022年4月14日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2022年4月18日掲載

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